伝説のナル | ナノ


1

 産まれたときから、俺は銀色の髪と金の目を携えていたらしい。物心つく前から刀を握らされ、漸く立って話せる様になった俺を待っていたのは、一族からの厳しい教育だった。
 両親の愛情のこもった眼差しなど見たことはない。ただ俺は黒岩家の再起のために一族に作り上げられるただの人形となったのだ。少しでも間違えれば容赦なく打たれる。痛さで泣き喚く俺を、誰かが助けることもない。この世に生を受けて、これほど後悔する三歳児も中々いないと思う。

『う、え…ひっく…』

 今日の指導が終わり、俺は縁側で一人泣いていた。そんな時、離れから一人の子供が出てくるのが見えた。思わず凝視する。黒岩の家に子供が居るなんて思わなかった。しかし、彼が靡かせる金の髪を見てハッとする。話にしか聞いたことのない、八つ上の兄の存在。彼は離れに住んでいて、再来年には冥無学園に行ってしまうと。母家から出されたことのなかった俺は、今まで一度も見たことなかった。あれが俺の兄。ぼんやりと彼の背を眺めていると、どんどん門の方へ歩いていく。その背中が遠くなるのを見て、焦った。イヤだ、イヤだ!行かないで!
 当時の俺は誰かにすがりつくしか出来なかった。助けてほしい、この檻の中から出してほしい。そう思ったら母屋を飛び出し、その子供にしがみついていた。兄は――凪は、何事かと目を丸くして俺を見ていた。それもそうだろう。突然小さな子供がしがみついてくるのだから。

『…ちゃ、お兄、ちゃん…ッ』

 お願い、俺を助けて。ボロボロと泣く俺を、凪がその時何を思っていたのかは分からない。ただ、黙って俺を見ていた。

『若様、母屋にお戻り下さい』
『イヤ、イヤだぁ…!もうイヤだよッ…!』

 俺の後ろから、俺の護衛の大人たちがゾロゾロとやってきた。そして凪にしがみつく俺を引き離そうと手を伸ばしてくる。やっぱり駄目だ、もう俺はこの家から解放されるなんてことはないんだ。ギュッと固く目を瞑り、より一層凪にしがみついた時だった。
 バチッ!と男の手が何かに弾かれた。何事かと目を開けると、凪と俺を囲うように電気が走っているのが目に映った。凪の顔を思わず見上げる。翡翠の瞳は、淡く光っていた。

『凪様っ!?』
『さがれ』
『しかし凪様…っ』
『同じ事を言わせるな。さがれ』

 グッと俺の肩を抱いた凪は、護衛たちにそう釘を刺すと、そのまま俺を引き連れて門を出た。護衛の人たちは渋い顔をしていたが、それ以上追っては来ない。

『お、兄ちゃん…』
『オマエが那智?』
『う、うん』

 もう一度俺は、凪を見る。金の髪は今よりもっと短くて、顔もまだ幼い。それもそうだ、まだ小学生なのだから。
 その時、ぼんやりと凪を見ていた俺の足に激痛が走り、思わずその場に座り込む。そうだ、懸命に凪を追いかけることだけ考えていたせいか、何も靴を履いてこなかった。ソロッと足の裏を見ると血が滲んでいる。それにまた涙が零れ出る。

『ぅ…痛、いよッ…』
『うるさい。泣くな』

 そう言いながら、凪は俺に背を向け屈んだ。何をしているのか分からず、ぼやけた目でその背を見ていると、凪が急かすように「早く乗れ」と言う。俺はおずおずとその背に身を寄せた。この時、生まれて初めて家族の温もりを感じた気がした。

『どこ…いくの…?』
『それは――』

 俺の記憶の中の小さな凪がその続きを言う前に、ザザザァと砂嵐のように記憶が途切れていく。そこでガバッと勢いよく身体を起こした。
 ああ、またこの夢か。思わず溜め息をつく。

「悪い夢でも見たのか」
「……いつから居たのー?」
「さぁな」

 いつから居たのか、部屋にあるイスに腰掛けている凪がそう言って笑いながら本を閉じる。

「悪い夢って言うか…昔の夢?見てた。俺が母屋から出してもらえなかったぐらいの頃の。凪と初めて会った日の夢」
「……」
「俺を連れて凪が外に出て行くんだけど、いつも行き先聞いたところで覚める」

 と言うか…そこで言葉を切った俺を凪が無表情に見つめる。

「たぶん、そこから先は無くしちゃったのかな…俺が覚えてるの、後は病院の風景だし」

 学園長から、宗介は昔の記憶が曖昧だと聞いていた。一種の記憶喪失らしいけど、実は俺もなんだ。
 俺がハッキリ覚えているのは、六歳の頃、任務で大けがを負って生死をさ迷った後のことだけ。その前の記憶は、断片として夢に見るだけだ。凪と出会った頃の記憶はまだ曖昧ながら覚えているけど。
 出来ることならすべて思い出したい。だってそれが、俺の――。

「あたっ」
「早く着替えろ」
「え、何急に」

 考えに耽っていると、凪が突然服を投げてきた。顔面に当たったそれを手に取り、凪を見るとフッと口元を上げ、部屋を出ていこうとする。
 思わず夢と同じように聞いてしまう。

「どこ…いくの…?」
「決まってんだろ」

 髪切りに行くんだよ。
 凪から今度はちゃんと答えが返ってきたことも含め、俺は嬉しくなった。そうだ、今日は日曜日。
 ――宗介が髪を切りに行く日だ。
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bkm