伝説のナル | ナノ


34

「異常が無くて良かったです。今日は色々あって疲れたでしょう。早く寝てください」
「はい。本当に、色々有難うございました」

 深くお辞儀し、パタンと玄関の扉を閉める。きちんと鍵をかけ、そのまま俺は浴室に向かいお風呂に入る。湯につからず身体を綺麗にするだけならそう時間は掛からず、すぐに浴室を出ると、そのまま自室へ戻った。
 確かに、色々あった。食堂での騒動に地下への連行。続けて謎の部屋に謎の人物。戻ってきたら凪さんからの飴と鞭。そしてその後、傷は治ったものの心配だからと保険医に見てもらい、大丈夫、異変があったらすぐ病院にとの言葉を貰い、また地下へ戻る。夜までは此処で待機してないといけないのは分かっていたので、何で時間を潰そうか考えていたが、凪さんが夜まで俺の話し相手になってくれた。きっと他にも仕事があっただろうに、凪さんも本当に優しい。そして夜、俺の謹慎がとけ、漸く部屋に戻ってこれた。これも大樹と那智先輩と日比谷さんのお蔭だ。
 今度ちゃんとお礼をしないと思っていると、ガタッと部屋の外で音がした。ベッドから身体を起こし、扉を凝視していると、外から「おい」とぶっきら棒な声が掛けられる。この声、日比谷さん?

「戻ってんだろ」
「はい」
「……これで、貸し借りなしだ。掛けとくぜ」

 言うだけ言って、日比谷さんが扉から離れていく足音がする。俺は何のことか分からず、取り敢えず恐る恐る扉を開けてみた。掛けとくって、何をだ。そう思って覗くと、ドアノブに袋が掛けられていた。それを手に取り、中を見るとおにぎりやらパンやら飲み物やらが沢山入っていた。思わず駆け出し、自室の前にある、日比谷さんの部屋の前に立つ。

「あのッ、これ…!」

 そう声を掛けたのだが、中からは返答がない。まあ、それもそうだよな。俺に話しかけられても鬱陶しいだろうし。一体どう言うつもりでこれを俺にくれたのか分からないが、まだ晩御飯は済んでないし、食堂にも行き辛い俺には本当に嬉しい贈り物だ。「あの、ありがとうございます」と扉に向って言い、自室に戻ろうと振り返った俺は、誰かとぶつかった。ブフッと情けない声が漏れ、何なんだと不満げに見上げると、深緑の瞳と目が合った。思わずひっと小さく声が出る。

「人の部屋の前に立つな。邪魔だ」
「あ、う、すいません」

 まさか後ろに居るだなんて思ってもみなかった。サッと扉の前から退いた俺を一瞥した日比谷さんは、そのまま俺の前を通過し、部屋の扉に手を掛ける。
 あ、と言うか今がチャンスなんじゃないか?相手に迷惑かもしれないが、俺は俺でお礼をしないとやはり気が済まない。一言だけでいいから言わせてもらいたい。

「あ、あの!」
「……あ?」
「反省文、書いていただいて有難うございました。お蔭で助かりました。それにこれも、有難うございます」

 言い切った。深いお辞儀と共に謝礼の言葉を吐き出した俺は、頭を上げ、そのまま去ろうとしていたのだが、日比谷さんの目を見開いた顔を見て、俺まで驚いた表情をしてしまう。な、何かいけないことを言ってしまったのだろうか。

「何でテメェが謝んだよ」
「え?」
「悪いのはあの転校生と那智と…俺だろ。どう考えても。それなのに凪の野郎に土下座までして、んで俺にお礼言って、何だお前」

 解せないと言わんばかりの顔に、俺も難しい顔で返す。そう言われても、俺にはやっぱり自分が悪いとしか思えなかったし、物を貰ってお礼が言えないほど非常識なつもりはない…はずだ。どこか人とずれているとしても。

「俺はテメェへの借りを返しただけだ…食堂、まだ行き辛ぇだろ」

 それだけ言うと、プイッと顔を前に向かせ、早く食って寝ろと呟いた日比谷さんは部屋に戻って行った。なるほど、これはあの食堂での一件があったからか。けど、俺が食堂に行き辛いことを把握してくれたのか。何だか反省文まで書いてもらったのに悪いことしたな。けど、こうやって配慮してくれるって事は、俺が思っている程冷たくて怖い人ではないのかもしれない。
 今度は声に出さず、扉に向ってお辞儀だけした俺は、今度こそ部屋に戻る為踵を返した。





「明日から授業だ。いいかー、時間割よく見て教科書忘れんなよ」

 以上だ。そう担任の志筑先生がダルそうに言って今日のホームルームが終わった。流石に反応の薄かったKクラスでも、昨日の一件があった今日は、俺をチラチラと見る人が殆どだった。いやに浮いてしまったな。それに寂しさを覚えながら、今日の昼はどうしようと考えていた俺の横から、大きな声で「あのさ!」と声が上がった。驚いてそちらへ顔を向けると、隣の席の男が緊張した面持ちで俺を見ていた。え、もしかして、俺に話しかけたのか?

「えっと、どうかし――」
「き、昨日はごめん!俺、人見知りで逃げる様な真似しちゃって…!」

 俺の言葉を遮り、バッと頭を下げる隣の席の男に思わず面食らう。しかしすぐに我に返り、頭を下げたままの男に慌てて頭を上げてくれと言った。

「気にしてない…と言ったら嘘になるが、でも怒ってなくて良かった」
「へ?」
「怒らしたと思ったから」

 そう言った俺に、男はそんな事ない!とこれまた大きな声で返してきた。クラスメイトはそれに興味を示しながらも、皆教室を出て帰っていく。いつの間にか、教室には俺と隣の男の二人だけになっていた。それによって静かになった教室。少し空いた変な間に、同時に吹き出した。

「何か、このやり取り変でしょ。何なの俺ら」
「確かに」
「あー、その…とにかく、ごめんて言いたくて、それで…」

 今度は俺が男の言葉を遮って、言った。怖がらずに、勇気を出して。

「この後さ、一緒に飯食わない?」
「……ッ!」
「駄目、か?」

 ハッと息を呑んだ反応に、断られるのかと思って聞いたのだが、彼はブンブンと首を横に振り、そしてパッと笑い、「俺も言おうと思った!」と嬉しげに言った。顔はどことなく平凡なのに、その笑顔には人を安心させる何かがある。心が温かくなったのがその証拠だ。釣られて俺も口元が緩む。
 彼は井島蓮と言うらしく、俺よりも小柄な男だ。お互いの自己紹介を済ませ、苗字より名前の方が言いやすいと思って名前で呼んで貰おうとした俺は、これまた名前で呼んでもらおうと思っていた井島とタイミングが被ってしまい、それが可笑しくてまた二人で笑った。俺と蓮は昨日のやりとりが嘘のように話が弾み、帰り支度を終えてからも少し話し込んでしまった。そして、話は昨日の食堂での出来事まで及んだ。

「にしても、昨日の宗介は凄かったよね。学園の姫とのいざこざや実技試験もだけど、昨日のは特にインパクト強かった」
「頼むから忘れてくれ…」
「それに転校生、大地のガーディアンも凄かったよ」
「え?」

 昨日を思い出しているのか、蓮が天井を見ながら少し興奮気味話し出す。

「宗介が連れてかれた後、彼に近寄った姫に、彼は言ったんだ」

(俺は、宗介を苦しめるお前を許さない。ぶっ殺したくなるほど。けど、今一番ぶっ殺したいのは――俺自身だ)

 その後は那智さんや日比谷先輩と一緒に連れていかれたけどね。蓮のその言葉に俺はただ驚く。大樹にそんな事を考えさせていたなんて、と言うか大樹は俺と耀の関係を知っているのか?

「でも正直俺、あの姫あんま好きじゃなくてさー。あの衝撃を受けた顔見てスカッとした!」
「悪い蓮…ちょっと待っててくれないか」
「え?ちょっ、宗介!?」

 席を立った俺は急いで扉へと駆ける。蓮の焦った声が後ろからしたが、俺は止まることなく教室を飛び出す。俺、大樹に会わないと。そう強く思ったんだ。今会って話さないと、駄目だ。そう思って廊下へ足を踏み出した俺は、視界に端に映った人影に思わず急ブレーキをかける。そう、教室の扉の前で誰かが座り込んでる。その人物は俺のよく知っている顔で、俺が今一番会いたい人物。

「大樹?」
「……宗介」

 すっかり意気消沈してしまっている表情に、俺は急いで大樹に駆け寄る。
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bkm