伝説のナル | ナノ


25

 早めに学校が終わってしまったので、一人でまだ人も疎らな食堂に来た俺は、入り口から一番遠い端の四人掛けの席に座り、注文した料理が来るのを待っていた。昨日夜は食べてないし、朝は軽くトーストを頼んだだけだからお腹すいた。
 ふうと一息つき、天井を見上げる。どうしよう、非常に困った。どうやら俺は隣の席の男を怒らせてしまった様で、意を決して一緒に食堂へどうか誘おうと声を掛けようとした俺を驚いた目で見たかと思うとビュン!と物凄い速さで姿を晦ました。ただ声を掛けようとしただけであれだから、相当怒っているのかもしれない。初日からやってしまった。一体どうすれば許して貰えるだろう。分からずに悶々とした気持ちで天井を仰いでいた俺の視界に、急に人の顔が映りこんできた。思わず、「うおっ」と声を上げる。

「宗介の馬鹿」
「え、あ」
「俺が昨日どれだけ心配したか。あんな事あったから心細いだろうと思って何回も電話したのに出ないし、学園長に言ったら「凪が宗介の所に行ったから平気だろ」とか言ってさ、凪に確認したら「もう寝るみたいだから明日にしろ」とか言われるしさ。もうなんなの」

 すいませんの言葉一つ挟むすきもなく、黒岩さんから吐き出される不満の数々。凄く不満そうな顔をしながら、何故か彼は俺の前ではなく俺の隣に座ってきた。ファミレスの様なソファ型の座席だから、隣に座られるとピタリと密着してしまう。なぜ態々狭い所に座るんだ。

「あの、黒岩さん…」
「く、くろいわさん!?」

 今度こそ謝ろうと思って話しかけると、黒岩さんは突然驚いて声を上げた。そして酷く傷ついたと言う表情をありありと見せ、シクシクと泣き真似を始める。どうしよう、凄く面倒な人だ。と言うか、何をそんな驚くことがあったのか。

「何で」
「え?」
「何で凪は凪さん、なのに俺は黒岩さんな訳?凪だって黒岩さんじゃん…」

 机に突っ伏した顔を俺の方へ向け、ジトッとした目で見てくる。何でと言うか、それは単純な理由しかない。

「みんなが凪さん凪さんと言っていて、苗字が分からなかったからです」
「俺だって那智としか呼ばれないもんっ」

 うん、まあ確かにそうだった気がする。けど、気安く名前で呼んでいい感じではないと思ったし、出逢い方もあれだったし…凪さんとは状況が全然違っていたから仕方がないと思う。けど、黒岩さんにとってはそうではないようで、ムッと口を横一線に結ぶと、再び机に突っ伏す。そして、聞き取るのが難しい位小さな声で言った。

「呼んでよ…俺の名前」

 名前で…?聞き返しはしなかったが、確かにそう言った。どうして彼がそこに拘るのかは分からないが、昨日のお詫びも含めいい機会だと思う。うんと一人頷いた俺は、あの、と控えめに声を掛ける。

「昨日は探してくれて、有難うございました。那智…先輩?」
「……!」
「俺は大丈夫です」

 少なくとも、今この人から敵意を持たれてる感じはしないし、正直呼び方は何でもいい。年上だけど、学園の生徒なら、一応先輩と言う呼び方がやはりしっくりくるかと思ってそう呼んだのだが、那智先輩は俺が呼び掛けてから数秒止まった。
 あれ、この呼び方は不味かったか?うーん、この人の地雷が分からない。

「あの、那――」

 那智先輩、と言う筈だった俺の唇が何かに塞がれ、その先を口にすることが出来なかった。何かと言うか、先輩の口で塞がれたらしい。チュッと軽く音を立てて離れていく先輩の顔を見て漸く分かった。

「宗介」
「何ですか?」
「凄く嬉しい。ありがと」

 ニヘッと笑った先輩に、何だかむず痒い気持ちになる。怒っていた訳じゃなかったのか、一体何が先輩を喜ばしたのか分からないが、まあ機嫌が戻ってよかった。あーでも、何だったんだ今の。キスって、確か男女が好きあってするものじゃなかったか?中学の時偶々そう言う場面に出くわし、固まった俺に男が見んなボケっ!と暴言を浴びせてきた記憶が甦ってくる。ああ、悲しい記憶だ。懐かしいけど。

「ところで、チュウしたのに怒んないの?」
「え?と言うか、那智先輩こそ、何でしたんですか?」

 理由が分からないから聞いてみたのだが、その反応が意外だったのか、少し目を見開いた那智先輩。しかしすぐにその表情は変わり、いつも通りのニコニコした表情に戻った。けど何処か企む様な目つきなのは俺の気のせいか?

「んー?無事に仲直りしたって言うチュウだよ」
「仲直り、ですか」
「そう。オトモダチ同士が仲直りしたんだから、これ位は当然」

 その言葉に今度は俺が目を見開く。そして、ジーンと少し胸に響いた。今、先輩、俺の事お友達って言った。本当に、俺が?

「お、俺。先輩の友達、ですかっ?」
「うん。もっちろん」

 凪さんや剛さんは、とても友人とは言えない存在だから、やっぱり俺が友人と呼べるのは大樹だけで…だから、大樹以外の人から友達と言う言葉を貰えるなんて思ってもみなかったし、相手が先輩でついこの前まで敵視されてた人でも嬉しい。思わず口元が緩む。
 それにしても友達同士でキスか。俺大樹と喧嘩したことないし、仲直りにキスなんて初めて知った。あんまり周りでも見たことなかったし。

「まあ、今んとこキスフレみたいなもん?かなー」
「きすふれ、ですか?」
「うん。ね、だから、宗介からも頂戴?」

 プニッと人差し指で唇を押される。俺が、先輩にするのか。しかし俺はキスはしたことがないからやり方が分からない。さっきの先輩のも一瞬だけだったし。取り敢えず口をくっつければいいのか?

「口にですか?」
「うん。チュッてやって?」

 グッと顔を近づけて来た先輩は、そう言ってそのまま目を閉じる。ザワザワと入り口の方が騒がしくなってきた。人が増えてきた証拠だ。友達同士で当たり前とはいえ、やはり慣れていないものを見られるのは少し恥ずかしい。早いとこ済ませよう。
 そう思って俺は先輩の唇に、自分の唇を寄せた。フニッと感触が伝わってくる。

「――お前ッ、宗介に何してる!」

 その時だった。聞き慣れた声がすぐ傍で聞こえたかと思うと、勢いよく那智先輩が離される。胸ぐらを掴まれ、再び機嫌の悪そうな顔をして相手を見ていた。けど俺は、突然の登場に驚き固まってしまった。

「大樹…?」

 何とかそれだけ、言葉にすることが出来た。
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bkm