伝説のナル | ナノ


11

 騒然とする周りを一切気にすることなく、凪さんは真っ直ぐ俺の元へやってきた。そして床に座り込む俺の腕をとり引っ張り起こしてくれた。パンパンと俺のズボンについた埃を払ってくれる。

「此処の床はあまり綺麗ではありませんよ」

 そう言って笑う凪さん。少し白くなったズボンを見てから俺はハッとする。そうだ、俺のせいで凪さんまで変な目で見られたら…そう思って凪さんの胸を少し押した。

「あの、俺にあんまり…」
「貴方は俺の言葉と、周りのヤツラが言った言葉。どっちを信じますか?」

 優しい声が俺に降ってくる。それに釣られて凪さんの顔を見上げると、優しく微笑んで俺を見ていた。そんな顔されたら、答えなんて出たも当然だ。そう、さっき俺この人を信じると決めたんだ。答えの代わりに、俺は凪さんの服の袖を軽く掴む。

「買い方が分からなかったのでしょう?」
「何、でそれを…」

 凪さんは此処にいなかった。だから俺が何にもたついてたかなんて分かるはずないのに。

「ガイドも見ずに部屋で呆けてた人がコレを使えるとは思ってませんよ。だから俺が教えます」

 そう言って凪さんは自販機の前に立って、俺を手招きした。横に立ち、俺のカードを出すように促される。

「まず此処にカードリーダーがあります。此処に差し込むことで、生徒の情報やチャージ金額が表示されて…」
「――凪さん!」

 凪さんが説明しだした時だった。ドスッと凪さんの背中に耀が抱きついてきた。俺は耀の突然の行動に目を丸くし、対して凪さんはハアと大きな溜息をつく。一瞬その翡翠の瞳が冷たく光ったのは気のせいだと思いたい。と言うか誰だコイツは。顔を赤らめオマケに目までキラキラさせて、いつも以上に猫被りじゃないか。

「…光城くん、でしたっけ?俺は今仕事中なので離れて下さい」
「だから、言ってるじゃないですか。俺のことは耀って呼んで下さいよ…」

 出た、耀の泣き落とし作戦。あんなしょぼくれた顔されたら誰もが放っておけなくなると言う魔性の技。あれから逃れた人は見たことない。

「悪いんですが、俺は遠慮しときます」
「何でですかっ。だって、宗介の事は名前で呼んでるじゃないですか!だったら俺のこと名前で呼んでくれたって…!」
「宗介くんは特別です。俺がそう呼びたいから勝手に呼ばせてもらってるだけです」

 中々食い付いてはなれない耀に、凪さんは淡々と言葉を返していく。耀のあの技をかわすなんて、流石だな。にしても今サラリと恥ずかしいこと言わなかったか?

「な、なんで宗介なんか…ッ」

 そこまで言って、耀の言葉が止まった。と言うより、その続きを言うことが出来なかったからだ。耀の周りにいた日比谷さんや黒髪の人でさえ、その突然の行動に静止していた。

「それ以上口開いてみろ――この首落として殺すぞ」

 苛立たしげにそう吐き捨てた凪さんの手には、いつの間にか黒い刀身の日本刀が握られていて、その刃先は耀の首もとに突きつけられてる。それがショックだったのか、今度は耀がぺたりとその場にへたり込んだ。そんな耀を慌てて日比谷さんと黒髪の人が支える。そして二人は凪さんを睨みつける。

「それから、那智」

 だけど凪さんはそんな二人を冷たく一瞥するだけで、顔はもう一人の銀髪の人へと向けた。彼は耀を支えに行くわけでもなく、ただ俺と凪さんをジッと探るように見ていた。淡く光る琥珀色の目が時折合う。そんな彼に、凪さんは冷たく言い放った。

「オマエがこの人に手をあげなくて良かったよ。もしそうなってたら、腕の一本じゃ済まないからな」

 ――弟の腕を切らずにすんで助かったよ。
 そう言って笑う凪さんに周りは息をのむ。ピリピリと肌をさすこの感じ…笑っているはずなのに、とても凪さんを怖く感じた。多分と言うか確実に凪さんが怒っている。しかし、耀とのやりとりの中で何が彼の逆鱗に触れたのか、俺には分からなかった。

「……此処は気が散りますね。宗介くん、今日のところは部屋で食べましょう。注文を此処で済ませて後で持ってこさせます」
「えっ、でも…」

 俺まだ使い方聞いてない。俺がそう口にする前に、明日また教えますと言って、凪さんはカウンターの方に行き厨房に向かって何か言っている。そして、すぐ俺の方へ戻ってきて、そのまま俺の手をとった。

「待てよ凪」
「あ?」
「耀に刀突きつけといて謝罪の一つもなしか」
「いくら学園の番人と言えど、やって良いことと悪いことがあるだろ」

 しかし後ろから掛けられた声によって足が止まる。心底鬱陶しいと言わんばかりに振り返った凪さんに、日比谷さんと黒髪の人が食ってかかる。

「尚親、晃聖」

 二人の言葉を聞き、凪さんが呆れたように二人の名前を呼んだ。

「言って良いことと悪いこともあんだよ。よく覚えとけ」

 それだけ言って、二人に背を向け歩き出す。笑みを一切消して言い放った凪さんを、再び止める人は現れなかった。そのまま食堂を出た俺達は、廊下に響いて伝わってくる皆の戸惑いの声を聞きながら、俺の部屋へと向かうのだった。
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bkm