24
それは、声にならない悲痛な叫び声だった。
乱心した日比谷さんが、耳を塞ぎ、更には自身の周りに炎を巻き起こした。先程の竜巻とは比べ物にならない熱量を持つ激しく燃え盛る炎に、その場にいた全員が日比谷さんから距離をとる。近付けば間違いなく、その身を焼かれてしまう。それ位日比谷さんは手加減もなく魔導を発動させていた。
「日比谷さんっ」
炎の中に向かって声を投げ掛けるが、肝心の日比谷さんは俺の声など聞こえていないのか、苦悶の表情を浮かべていた。こうなる前に、日比谷さんはある一点を見つめ、そして心を乱した。考えづらいが、日比谷さんは魔性の森の魔導に引っ掛かってしまったのだろうか。でなければ、あんな風にならないだろう。
でも、一体何がきっかけで……。
「あっ」
炎の中の日比谷さんが、俺達に背を向け走り出したのが見えた。それは凪さんにも見えたようで、小さく舌を打ちながら、その背を追おうとする。俺も後れをとらぬよう、その背を追い掛ける。しかし、何故か凪さんの行く手を阻む様に、足元に魔法陣が浮かび上がった。それにいち早く気付いた凪さんはそれを何とか回避するも、まるで凪さんを足止めするかのように、次々と魔導のトラップが発動していく。
おかしい。このトラップは、俺達生徒に対して発動するはずなのに、何で試験官である凪さんに対して発動するのだろう。俺は慌てて凪さんの手助けをしようと足を止める。
しかし、それに気付いた凪さんが、俺に向かって日比谷さんが走って行った方向を指差す。そしてその顔に、薄く笑みを浮かべた。
『お願いします』
そう、唇で紡がれたような気がした。俺はそれに対し大きく頷くと、凪さんに背を向け日比谷さんを追い掛けた。今も耳の奥で響く、日比谷さんの聞いた事のないほどの悲痛な叫び。魔性の森は、一体あの人に何を見せたのだろうか。
*
『何で生きてるの』
そんなの、俺が聞きたい。
『私は、炎に焼けて亡骸さえ残ってないのに』
俺の炎で焼けていくお前をこの目でハッキリ見た。
骨さえも灰になって、何も、何も残らなかったのを俺は憶えている。
『人殺し。返して、私の身体を返してよ』
俺は、謝罪の言葉さえも言えなかった。
お前が居た場所に立ち尽くすだけの俺は、お前が遺した最後の言葉を呟くしか出来なかった。それしか、俺に遺されたモノはなかったから。
「は……っ?」
最後の、言葉?
<尚親、どうか――>
アイツは、最後、何て言った?
最後の言葉が――色褪せて思い出せない。
「日比谷尚親」
誰かが、俺の名前を呼ぶ。けど頭の中がグチャグチャで、人物を認識できない。視界がグラグラだ。
「無様な姿だな。俺が警告するまでもなく、どの道端からお前は終わっていた」
訳の分からない事をベラベラ話し出す男は、聞いてるだけで分かる位、上機嫌な声で俺に話し掛けて来た。
「俺は最初から見ていたよ。お前はこの森に入った時からもう、すでに魔性の森に心を乱されていた。いつものお前なら、こんな事にはならなかっただろうな」
何に気をとられていたんだろうな――そう言って楽し気に男が嗤う。
何を言ってるんだこいつ。意味を理解しようにも、上手く思考が巡らない。
「とても面白い姿を見せてもらった。だがこれで俺の気が済む訳ないだろう」
その声に怒りを滲ませ、男の声が一段と低くなった。けど、そんなのどうでもいい。
こんな男を相手にしている場合じゃない。俺は、俺にはやらなきゃいけないことがあるんだよ。
「お前の為に用意した導具だ。これでお前は一生、立ち上がれなくなる位の絶望を味わうだろう。俺の恋人を奪った、当然の報いだ」
もう一度、もう一度お前に逢いたい。そう願っていた。いつだって。
お前に言いたいことがある。言えなかった俺の気持ちを、素直に。
だから――。
「お前は一生、【悪夢】を見続けるんだ」
俺を連れてってくれ、宵。
お前が眠る、その場所に。
「消えろ!日比谷!」
何かが身体にぶつかった。その瞬間、身体中を闇が包み、目の前が暗くなる。
薄れゆく意識の中、最後に俺の耳に入って来たのは、俺を呼ぶあの根暗の声だった。
「日比谷さんッ!!」
力の入らない、ダラリと伸びた腕を、誰かが掴んだ気がした。