伝説のナル | ナノ


22

『――尚親』


 魔性の森――そこは、弱い人の心を暴いてしまう恐ろしい森。この森を抜けるのは、相当な覚悟が必要と分かっていた筈なのに、試練は何の前触れもなく唐突に俺の前へと突き付けられるのだった。





「うわあああぁ!」
「っ……」

 近くを走っていた他のペアの悲鳴が聞こえ、俺は肩を揺らす。どうやら魔性の森の至るとことに設置されている罠に引っかかったようで、その身体は上空にまで飛ばされていた。しかも何故か落ちてこない。もう一人が助けようとするも、その高さまで届かないのか、呆然と空を見上げ立ち尽くしていた。
 そんな二人に構わず、日比谷さんはその横を見向きもせず通っていく。ただついて行くだけの俺としても、二人の横を通らないといけないため、物凄く申し訳ない気持ちになりながら、俺も横を走り抜けた。もうこの試験が始まって、五組の脱落する姿を見た。入ってそんなに経っていないのに、それでもこの森の罠は猛威を振るっている。俺も足元や近くの木々には十分注意しながら走っているが、今の所罠に引っ掛かることなく済んでいる。と言うより、日比谷さんが罠を避けているのかもしれない。俺は日比谷さんの後ろについているだけだから。
 何か罠を見破るコツでもあるのだろうか。聞いてみようかな、などと図々しい考えをひっそりと忍ばせていると、突如身体ごと揺らされる大きな振動と目が眩むほどの閃光、そして爆音が響き渡った。何が起こったのか分からず、目を白黒させ足を止めた俺は、前を走っていた日比谷さんが凶悪に笑った姿を目に映した。

「出やがった……」

 そう小さく呟いた日比谷さんは、そのまま音がした方へと足を向け駆け出した。俺は「え?」と思わずと言った風に声を漏らしたが、そんな小さな声が届く筈もなく、日比谷さんは物凄い速さで木々の合間を縫って駆けていく。このままでは離されてしまう。呆然とその後姿を見送っていた俺だったが、我に返り急いで日比谷さんの後を追った。
 何で、一体何があったんだ。そもそもあの大きな音は何だったんだろう。あんな大きな音と光がした方向へ走って行って大丈夫なんだろうか。
 色んな考えが浮かび、その度に不安で心臓が変な音を立てる。しかしそこでハッとした。此処が何処だかを思い出したからだ。此処は魔性の森、弱い心を持つ者、そして己を信じられなくなった者から破滅へと誘われる。今の俺は正にそれだ。不安で心が埋め尽くされている。こんなんじゃ駄目だ。俺が動けなくなれば、日比谷さんまで自動的に再試コースまっしぐらだ。全力でサポートすると言った口で俺だけ先にリタイヤする訳にはいかない。
 俺はふるふると首を振り、キッと前を見据えた。今は、日比谷さんの言葉を信じよう。この試験に対するあの人の熱意を信じるしかない。そう気を持ち直した時だった。前方で火柱が上がり、俺は思わず口を開けた。なんでこんな森の中で火柱が。

「凪ッ!!」

 火柱が上がると同時に、日比谷さんの怒号が響き渡った。見ると、涼しげな顔で木の上に居る凪さんに対峙している日比谷さんの姿があった。他にも何組かのペアがおり、突然始まったであろう日比谷さんと凪さんの闘いに巻き込まれたのか、その場から動けない状態になっていた。
 どうしてこんな事になっているんだ。いきなりの事態で状況を把握できずにいる間にも、日比谷さんは凪さんへと向かっていく。大きな炎の竜巻を創り出し、それを凪さんの方へと向けた。凪さんはその竜巻を難なく避けたが、その竜巻は最初から凪さんの気を引くためだったのか、凪さんが避けた方向には既に日比谷さんが先回りしていた。速い、そう感じたのは俺だけではなかったようで、凪さんも少し驚いた表情を浮かべた。

「吹き飛べ!!」

 そのまま日比谷さんが凪さんへと拳を振り下ろす。誰が見ても当たると、絶対避けられないと思っただろう。しかし、振り下ろされた拳は空を切った。拳を振るった本人は勿論、周りで見ていた俺達も目を瞠った。そして何故拳が当たらなかったのか、それを理解した時には日比谷さんの身体は遠くに吹き飛ばされていた。

「日比谷さんッ!」

 派手に吹っ飛んだ日比谷さんの傍に駆け寄ろうとすると、俺の前に凪さんがスッと立ちはだかった。思わずサッと身構える。まさか凪さんとこうして対峙する日が来るなんて想像もしていなかった。身構える俺に、凪さんは何処か嬉しそうに笑みを浮かべながら、倒れ込む日比谷さんの方へと顔を向けた。

「無暗に突っ込んで来るほど馬鹿じゃないと思っていたのですが、想像以上の馬鹿だったらしい。それとも、考えるだけの余裕がなかったとか?」

 フッと鼻で笑った凪さんは、重い一撃を食らった身体を起こしながら、それでも自分を睨み付ける日比谷さんを見据えていた。そう、何故日比谷さんの攻撃が当たらなかったのか。それは凪さんが得意とするテレポートの魔導を発動させたからである。そのまま日比谷さんの背後に移動した凪さんは、自身の持つ日本刀を振るい、日比谷さんを吹っ飛ばしたのだった。

「俺が刀を鞘から抜いてたら、お前死んでたぞ」
「……!」
「俺の魔導を知っていながら真正面から挑んでくるのは、勇気でも何でもない。ただの馬鹿だ」
「うるせぇ!!」
「何を焦っているのかは知らないが、今のお前は俺の足元にも及ばない。それも分からず俺の元へ来た時点で、お前の負けだ」

 そう言い放った凪さんの目が冷たく光ったのを目の当たりにした俺は、ほぼ反射的だったのだと思う。背中に背負っていた弓に手を掛けていた。

(凪さんの敵意が日比谷さんに向けられている。このままだと日比谷さんが……)

 失格になどさせない。全力でサポートするんだ。日比谷さんを。だから、相手が凪さんであろうと、俺は自分の言った事を全うする。何で日比谷さんがそこまで凪さんとの勝負に拘っているのかは分からないけど、信じるって決めたから。だから、俺は――。

「――!」

 凪さんの足元へと放った矢は、凪さんに察知されすんでの所で躱されてしまった。凪さんが目を丸くして俺を見る。そして日比谷さんも、驚いた表情で俺を見ていた。少しでも時間が稼げれば良いんだ。日比谷さんとゴールに向かう為に、俺に出来る事をするんだ。
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bkm