伝説のナル | ナノ


20


 とうとう実技試験が明日に迫った。俺達はいつも通り中庭で昼食を済ませていた。あれから那智先輩は変わらず俺の傍に居るようになったが、あれから一度もあの日の事に触れていない。俺も、自分から触れていない。お互い、胸の内にしまっておいた方がいいのかもしれない。そう考えているのかもしれない。そう思い、俺も変わらず皆と過ごしていた。
 そして今日、人があまり来ないこの場所に、珍しく晃先輩が地図を片手にやって来た。

「こーせー、こっちこっち」

 那智先輩が手を上げて晃先輩を呼ぶ。俺達の傍までやって来た晃先輩は一言、「遅くなった」と言って那智先輩の隣に腰を下ろした。
 俺も大樹も蓮も、何が起こるのか分からず首を傾げている。

「実技試験は明日だろう。宗介に、試験について説明しておこうと思ってな」
「お前も初めてでしょー」
「……ッス」

 どうやら試験初心者の俺達に、晃先輩と那智先輩が明日の試験について教えてくれるらしい。有難い申し出に、俺は頭を下げた。そして大樹も小さくお礼を言っていた。

「それじゃあまずはこの地図を見てくれ」

 そう言って先輩が広げたのは試験会場となる山の地図。こうしてみると本当に大きい。

「スタートは此処だ。学園の裏門」

 思わず俺も大樹も声を上げる。

「山はもっと先なのに……」
「ああ、学園から山に広がるこの森を抜けるのも、訓練の一つだからだ」

 地図じゃ分かり辛いが、相当距離的には離れている。その上でこの山に登るのか。聞いていた通り、相当辛い試験だ。

「此処は魔性の森と呼ばれている厄介な森だ」

 晃先輩のその言葉に、蓮が顔を蒼くさせた。

「どうした蓮?」
「いや、去年の試験を思い出して……」

 そんな顔を蒼くさせる様な事があったのか?
 蓮の隣に座る大樹が、その顔色を見て少し顔を引き攣らせていた。

「この森はかなり深い。その上、俺達を惑わす魔導がそこかしこに仕掛けられている」
「ホント怖いよこの森は。ある人は恐怖心を、ある人は懐疑心を、ある人は人を愛す心までも惑わしてしまう」
「だから、魔性の森と言われているんだ」

 どんな人間でも、人に触れられたくない部分を持っている。だから、きっと惑わされてしまうんだ。

「解決策はないんですか?」
「まあ一番は惑わされない強い心を持つってのが、効果的なんじゃないかな」

 那智先輩の言葉に、俺と大樹はうーんと唸り声をあげる。正直俺には自信ないな。強い心を持って進むことがどんなに大変かは、那智先輩や晃先輩を見て来たから分かる。二人とも、心に不安を抱えていた訳だし。

「先輩達はどうやって切り抜けたんですか?」
「それを教えることは出来ない。これは、大事な試験だからな」
「でも一つだけ言えるのは、俺も晃聖も、そして尚親も魔導の影響は受けなかったって事だけかな」

 それはどう言う意味なんだろう。だが聞いたところで、やはり答えは返って来ないだろう。これは試験なんだ。去年の内容を教えてもらえるだけでも有難い話なんだから。

「それじゃあ次だ。この魔性の森を抜けると、山を囲むように川が存在する」
「川……」
「その川の流れは激しく、泳いで渡る事は不可能に近い」
「それに渡る為の橋もない」
「……でも、渡る方法はあるって訳ですよね」

 大樹の言葉に、先輩たちが意味あり気に笑った。見るからに渡るのが不可能な川だけど、こうして試験をパスする人達が居るって事は、何らかの方法があるって事だ。

「んで、目出度く川を抜けたらとうとう大本命!お山の登場でーす」
「この山にも魔導が施されていてな。一番厄介なのは気温だ」
「年中、例え真夏の暑い日差しの中でも、この山の頂上は常に吹雪いているんだー」

 成る程、だから俺達が持たされる荷物の中には毛布やらカイロやら、暖かくする物が含まれているのか。ああ、因みに荷物は魔導で縮小した物をウェストポーチに入れて、なるべく軽く動きやすく考えられているらしい。

「そして、この山のポイントは登山ルートが幾つも存在することだ」
「え?」
「地図だと分かんないけど、それも魔導の一種でね。少しでも道を外れると違うルートに突入したりするから、気を付けた方がいいよ」

 きっとどのルートも険しく、頂上までの道のりは遠いんだろう。上手く登り切れるといいんだけど。

「んで、今回の試験で一番ヤバいのは、森でも川でも山でもない訳よ」
「え?」
「まあ厄介な事に変わりないが、一番の脅威は他にある」

 そう言って二人は少し難しそうな表情を浮かべた。だが、その表情の意味はすぐに分かることとなる。

「それは、凪を含めた黒服の人達が何処にいるか、だね」

 そうだ。そうだった。この試験、凪さん達も参加するんだ。人の手による妨害は、ある意味仕掛けられている魔導よりも厄介だ。

「まあとにかく、凪が居る所を上手く避けるしかないねぇ」
「とは言え、アイツは瞬間移動が使えるから、何処から現れるのか俺達にも予測出来ない」
「もし、会ってしまったら?」

 そうなったら、どうすればいいんだろう。その言葉に、那智先輩はうーんと複雑そうな表情をし、そして苦笑いを浮かべた。

「もーそうなったら、腹を括って戦うしかないね」
「た、戦う!?」
「そ。凪も、試験である以上手加減はしてこないよ。例え宗介相手でもね」
「それにアイツの事だ。寧ろ宗介と戦うことを楽しみにしているかもしれない」
「えっ」

 何で凪さんが俺との戦闘を楽しみにするんだ?俺としては、やっぱり戦いは避けたいところだけど。もしかして俺のあまりの不甲斐なさに喝を入れに来るとか!

「宗介がどれ程強くなったかどうか、一番楽しみにしているのは他の誰でもない、凪だから」
「――!」
「だからもし戦うことがあったら、遠慮なくぶっ飛ばしちゃえ」

 ニシシと笑う那智先輩に、俺は「はい!」と力強く返事をした。嬉しい、俺の成長を楽しみにしてくれる人が居ると分かるだけでこんなにも嬉しいんだ。

「けどまぁ、宗介と凪が戦う前に、百パーその隣に居るであろう尚親が凪に突っ込んで行くだろうけどね」
「え?日比谷さんが、ですか?」
「尚親の頭の中に、逃げると言う文字はないからね」
「それに相手が凪となれば、アイツは間違いなく本気で戦うだろうな」

 前から気になってはいたが、日比谷さんはどうしてそこまで凪さんに対抗心を燃やすのだろうか。昔、何かあったのかな。なんて事を思ったのが顔に出たのか、那智先輩が小さく笑った。

「尚親と凪の関係、気になる?」
「えっと……はい」
「ふふっ、別にこれと言って恨みがあるとかそう言うんじゃないんだ」
「なら、どうして……」

 俺の言葉に那智先輩は愉快そうに笑うが、反対に晃先輩は複雑そうな顔をして「おい……」と那智先輩の言動を止めようとしていた。

「ただ単に、凪が俺達三人のブフッ!」

 それでもなお続けようとした先輩の口を、隣の晃先輩が思い切り叩いて塞いだ。バチンといい音がしたから相当痛いだろう。那智先輩は顔を押さえて机に突っ伏した。だが隣の晃先輩は我関せずの態度だ。

「こーせー酷い!」
「お前が余計な事を言うからだ」
「まだ言ってない!」

 ギャーギャーと言い争う二人を見て、俺は笑った。何と言うか、二人とも普段は頼りになるし俺にとっては大人な対応をするように見えるけど、こうして二人揃うと途端に子供っぽく感じる。それが新鮮でいて、面白くて、俺は笑った。それに釣られてか、大樹と蓮も笑っていた。こんな日がいつまでも続けばいいのに、そんな事を、心の片隅で思った。
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bkm