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「どうしよう……」
かれこれ二十分ほど俺は扉の前で立ち止まり、頭を悩ませていた。と言うのも、日比谷さんの話を聞いてしまったからだ。実技試験の日、それは日比谷さんにとってとても相性の悪い日で、身体的にもかなりの影響があると晃先輩は言っていた。
下手をすれば、死んでしまうと――。
「ッ、やっぱり、辞退する様に……」
しかし、俺が言ったところで聞いてもらえないのは分かり切っている。だからと言って、晃先輩や那智先輩が言っても聞き入れてくれないと言っていた。ならどうしよう。誰か、日比谷さんに意見出来て、かつそれを受け入れてもらえる様な人が居れば良いんだけど。
「おいお前!部屋の前で何をやって……ッ、お前は!」
「え?」
急に声を掛けられたと思ったら、顔を向けた先に立っていたのは、耀の傍によく居る南井と……耀自身がそこに居た。
「お前か宗介」
「……」
「尚親の様子が変だから見に来たけど、そう言えばお前が同室だったな。尚親も可哀想に。それで具合が悪いんじゃないか?」
耀とこうして面と向かい話すのは久し振りの事だった。相変わらず全開で人を見下すが、今はそんなのどうでもいい。そうだ、居たじゃないか。日比谷さんに意見できて、かつその意見を受け入れてもらえそうな人。
日比谷さんが護るべき存在の耀だったら、それは可能なんじゃないか?
「おい、俺の話を聞いて……」
「耀!日比谷さんに実技試験を止めるよう説得してくれないか!」
「はあ?」
詰め寄る俺を鬱陶しそうに見る耀は、訳が分からないと言う風に顔を顰めた。
「このままだと日比谷さんの身体、どんどん悪くなっていくって晃先輩や那智先輩から聞いて、でも実技試験には絶対出る気でいるらしいから、俺の言葉じゃどうしても聞いてもらえないし、耀の言葉だったらきっと日比谷さんも……!」
「――調子に乗るなよ」
「いっ」
「姫!?」
突然の痛みで顔を顰める。どうやら髪を鷲掴みにされたらしい。そしてそのまま顔を上げられ間近に耀の苛立った顔が迫った。
「いつの前に晃聖まで誑し込んだの?て言うか、ガーディアンに構ってもらえて優越感にでも浸ってるつもり?けど残念だったね、そんな事でお前の価値は上がらない。何処に行っても、いつまで経っても、お前は無能のまま」
「……ッ」
「それにガーディアンはナルを護る者。お前なんかと一緒に居たら、それこそ彼らの価値までも下げる事、お前分かってるの?」
「……あ」
耀の言葉が、耳にどんどん入っていく。そしてそれは、俺の身体を動かせなくする、まるで魔導の様な効果を持っている。いつもそうだ。俺は、耀には敵わない気持ちになる。とても、自分が小さく惨めに感じるんだ。やめてくれ、分かってる。俺が周りからどう思われているかなんて。
「だったらほら、早く皆を解放してあげないと」
「解、放……」
「お前から一言言えば済む話なんだよ?俺に近寄るなって。言えるだろ?」
囁くように問い掛けてくる耀。まるで毒の様に、その言葉は俺を惑わしていく。苦しい、頭が上手く回らない。あれ、耀が、何か言ってる。ああそうだ、応えないと。耀の言葉に、従わないと――。
そうしないといけないと思わせる何かがあり、俺は浮かんだ言葉をそのまま口にしようとした。
「……分かっ」
バシッと手の平を叩く音がした。瞬間、俺の髪を掴んでいた耀の手が外れる。俺はそのまま膝をつき、痛む頭を押さえる。バクバクと急に心臓が鳴り出した。今までちゃんと息していた筈なのに、何でこんな苦しいんだ。肩で息をし、乱れた息を整えていると、俺の傍に影が出来た。
大きなその影は、ゆっくりと俺に手を伸ばしていた。何が起きたか理解できず呆ける俺は、徐に顔を上げた。そしてその先に立っていた人物に目を丸くする。
「清水……」
俺の呟きコクリと頷いた清水は、俺の腕を掴み、俺を起こしてくれた。
「何で此処に……」
「お前、姫になんて事をっ」
「いいよ。嵐士」
「でもっ」
驚く俺を余所に、南井は清水に向って怒鳴っている。しかし意外にもそれを止めたのは耀だった。自分の手を叩かれたんだ、怒ってもおかしくないのに。
「清水冬二」
すると耀が清水の名前を呟いた。やっぱり耀も知ってるんだ。それ位、清水は有名だったのかもしれない。けど、耀は暫く清水をジッと見つめ、そしてその顔に嘲りの笑みを浮かべた。
「一応ナル候補にも上がっていたからどんなもんかと思ったけど、所詮はその程度か」
「え?」
「ま、根暗は根暗同士仲良くしてれば?お似合いだからさ」
そう言って耀は踵を返し、来た道を戻って行ってしまった。耀の後を追う南井は慌てて耀を追い掛ける。けど一瞬だけ、俺に複雑そうな顔を向けた。そのまま前を向いて走って行ったけど、最後の表情はどう言う意味なんだろう。
俺が二人が去って行った方向を見つめていると、不意に腕に何かが押し付けられた。ハッとしてそちらを見ると、清水が何かを差し出していた。
「これは、本?」
その本を受け取りタイトルを見ると、魔導操作と書いてあった。数回瞬きをし、その本を眺めていると、清水が静かな声で「これ」と口にした。これが、何だ?
「あげる」
「え?」
それだけ言って清水は耀達とは反対の方向へと歩き出してしまう。慌てて引き止めた俺を、清水が見下ろす。残念だけど、その表情は髪で隠れていて窺うことは出来ない。
「もしかして、清水が此処に居たのって……」
俺の部屋に向かう最中だったからか?そうだよな、それなら階も違う清水が此処に現れたのも納得がいく。けど、何で俺にこれを?
「お礼」
「お、お礼?」
清水の言葉に俺は首を傾げる。俺が居残りに付き合ってくれたお礼をするならまだしも、俺は清水にお礼される様な事してないぞ。俺の疑問を感じ取ったのか、清水は静かに首を振り、そして言った。
「前、助けてくれたから」
一瞬何のことか分からなかったが、フッと以前清水がクラスメイトに囲まれ暴力を受けていた光景を思い出した。もしかして、それの事か?
「い、いやでも、それは気にしないでいいって言うか……居残りとかもしてくれただろ。それだけで俺、嬉しかったし」
「それも含めての、お礼」
そうだったのか。清水が急に手を挙げたのはそう言う意図もあったのか。
「いいのか?それを言ったら、今俺もお前に助けられたのに……」
その言葉に、清水は静かに頷く。
「使って、それ」
「――!」
そう言って清水は再び歩き出した。今度は引き止めず、代わりに「ありがとな!」とその背に向って叫ぶ。一瞬足が止まったが、清水は振り返らずにそのまま歩いて行ってしまった。俺の気のせいかな。
今一瞬だけ、清水が笑った気がした。本当に少しだけど。それでも、以前よりずっと縮まっている彼との距離に、俺も思わず笑みが零れた。
「あ……」
しかし、大事な事を思い出し、また俺は項垂れる。
日比谷さんへ、声掛けてもらえなかった。耀も行っちゃったし、俺から頼んだのがいけなかったのかな。耀しかいないと思ったんだけどな。
また、問題が振り出しに戻った。