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時計の針は既に七の数字を指していた。早く行かないと食堂が満員になると言うので、俺は二人に深い深いお辞儀をして、学園長室を出ることにした。行きと同じようにエレベーターに乗ろうとしたのだが、目の前には二つのエレベーターがあった。こんなのあったのか、気付かなかった。
「宗介」
「あ、剛さん」
再び学園長室の扉が開き、剛さんと凪さんが出てくる。
「此処のエレベーターは特殊でな。此処まで来れるのは数人しかいない」
「大体、何で学生寮に学園長室があるのか不思議ではなかったですか?」
そう言われれば、さっき凪さんと乗ったのは学生寮のエレベーターだ。大して移動していないし、間違いない。けど、普通そう言うのは校舎の方にあるんじゃないか?
「特別な術がかけられているんだ。この部屋は、校舎と学生寮どちらからも行き来可能な場所なんだ」
「本当は此処、教職員用の寮の最上階なんですよ。けど、魔導の力で全てを繋げているんです」
凄い。現実ではありえないような事を、俺はもう体験したのか。初めて見た、魔導の力。本当に俺にもこんな事が出来る様になるのか少し先行き不安になった。
「それで、学生寮の食堂はこのエレベーターです」
ピッと横のボタンを押すと、すぐに扉が開く。どうぞと促されるままに、俺はエレベーターに乗り込んだ。
「それじゃあ、宗介。また連絡する。何かあったらすぐ連絡をくれ」
「本当に、ありがとうございました」
扉が閉まる前に、また二人に頭を下げる。此処に来るまでモヤモヤしてた気持ちが、今はホカホカと大分違う気持ちになっていた。温かかった。凪さんはよく分からない人で苦手だと思っていたけど、全然優しかった。俺があんな態度とってもずっと怒らず俺の話を聞いてくれた。剛さんもだ。あんなに謝ってもらう価値なんて俺にはないのに、凄く俺の為に尽くそうとしてくれたのが伝わってきた。あの人たちは、信用できる。あったばかりで何言ってるんだと言われるかもしれないけど、俺の直感がそう言ってる。きっと、信じて間違いない。階下に向かって動くエレベーターの中で、俺は静かに微笑んだ。
*
困った。本当に困った。俺は凄い賑わいをみせる食堂へとやって来たのだが、どう言うシステムになっているのか…滞りなく動く生徒の姿を、入り口からただ呆然と見つめていた。食堂に入ってくる人たちは、私服の俺を一瞬好奇の目で見るも、俺の形を見るなり顔を顰めた。俺、今そんな凄い恰好してるかな。やっぱこの髪型がいけないのか?
少し考えてみるが、俺はたぶん、少し皆と感覚が違うのかもしれない。だからきっと考えても仕方ないと踏んだ俺は、意を決してそのまま人の流れに乗ってみた。皆、あの自動販売機みたいな所にそのまま並ぶ。俺もこそっと、そこに並んだ。
「今日も来るかな?」
「来るだろ絶対。あー楽しみ!」
前の生徒たちの会話が耳に入る。来る?何が来るんだ?ちょっと気になるその会話に聞き耳を立てる。
「あ、でも今日日比谷先輩の部屋に転校生が来たらしいよ」
「え。風紀委員長の部屋にか!?それは気の毒に…もう追い出されたんじゃね?」
「けど聞く限りじゃソイツ汚い身なりしてたらしいし、日比谷先輩じゃなくても追い出したくなるって」
聞き耳立てるんじゃなかった。どう考えても俺の事だよな。汚い身なりか…皆にはそう見えるのか。だったら剛さんや凪さんにもあんまりいい印象を与えなかったかもしれない。優しいから黙っていただけで。そう考えると申し訳なさ過ぎて思わず項垂れる。きっと俺の存在に気づいていないんだろう。お前らの後ろにその転校生居るから、あんま傷つくこと言わないでやってくれ頼むから。
「あ、そう言えば今年は珍しくもう一人転校生が来るって噂なんだけど――」
転校生?俺の他にもう一人?気になる内容に再び聞き耳を立ててしまう俺だったが、彼がその続きを口にすることはなく、突然響いた騒音に掻き消された。騒音と言うか、これは歓声か?
「Sクラスの人達だ!」
誰かがそんな声を上げた。Sクラス――何でも此処はS、A、B、C、D、Kの順にクラスにが分けられるそうだ。しかも魔力の強いもの程上。だからSクラスとはかなり優秀な人材で集められた天才集団だと、今朝送ってくれた黒服のおじさんが教えてくれた。因みにKはかなりの落ちこぼれが集められる集団らしく、留年した人も必然的にそのクラスになるらしい。俺はある意味確信している、絶対Kクラスに行く気がする。でも魔導が学べれば、俺はそれでいい。ある意味能力的には親しみがわきやすいクラスなんじゃないかと思う。勝手にだけど。
それはそうと、Sクラスだからって、そんな大騒ぎすることなのか?俺にはよく分からない世界だなぁと、再び前に視線を戻せば、いつの間にか列がなくなってる。マジか。皆どうやらそのSクラスの人達を見に行ってしまったみたいだ。よく分からないが、またとないチャンスだ。俺はそそくさと自販機の前に立ち、そして呆然とする。これは、どうやって買うんだ?正直俺は機械に触れる機会なんてあんまなかったから、滅法そう言うモノに疎い。けどこれは疎いとかそれ以前にお金を入れる場所がない。これまたそれ以前に俺お金持ってない。分からない、これどうすればいいんだ。
「おいお前。道を開けろ!」
一人自販機の前でオロオロしていると、後ろから怒鳴り声を浴びせられた。驚いて後ろを振り返ると、耀と同じぐらいの身長で、彼と同じように男なのに可愛い系の顔をした男子が、クリッと丸い目を吊り上げ、俺を退かそうとする。
まだ買ってないけど、確かに俺邪魔だな。一度皆が買う様子を観察してから買った方が――。
「南井。何を騒いで…キミは」
ゾロゾロゾロ、いつの間にかみんなその人達を囲むように道を作っていた。ああ、もしかして、わざわざ列を退いたのはこの人たちに譲る為か?後悔しても遅い。俺の目の前に立つ今朝案内してくれたこの黒い髪の人の後ろに、よく見知った顔を見てしまった。
まさか、こんな早く会うことになるなんて。
「宗介ッ…何でお前が此処にいる!」
不快感嫌悪感その他いろいろ複雑な感情が混じった表情で俺を見る光城耀に、心の中で一つ溜息をついた。