伝説のナル | ナノ


10

 ――なんだ、アイツ。

 胸がざわつく。
 アイツの言葉、表情が、俺の胸の内を騒がせる。

「チッ」

 苛立ちが治まらず、廊下の壁を思い切り蹴る。それでも苛立ちは治まる所かどんどん加速していくばかり。今度は拳が出そうになったところで、フと背後に人の気配を感じた。

「……なんの用だ」
「不貞腐れているガキを一人見掛けてな。面白半分につい揶揄いたくなったんだ」

 その言葉にカッと血が昇り、そいつ目掛けて拳を振り下ろす。だが、難なくそれを避けたそいつは、流れる様な動作で俺の背後に回り、軽い力で俺の背を押す。

「ッ、クソが!」
「風紀委員長がこの程度じゃ、聞いて呆れるな」
「うるせぇ化け物!」

 本当に揶揄いに来たのか、俺を煽る事ばかり口にする凪に、俺は回し蹴りを仕掛ける。だがそれも読んでいたのか、態とすれすれで避けた凪は反撃するでもなく、俺と距離をとった。そんな凪に苛立ちは募るばかりで、吠える様に凪に噛み付く。

「うぜぇ!とっとと消えろ!」
「随分と苛立ってるな。そんなに嫌なのか?」
「あ!?」
「那智と晃聖に置いていかれる気分になるのは、そんなに嫌かと聞いてる」

 ドクリと、心臓が鳴る。何を言ってんだこの野郎は。
 置いていかれる気分?何の話だ。俺が、いつそんな感情を抱いたと言うんだ。

「なんだ、自覚なしか」
「訳の分からない事をツラツラと……」
「なに。俺には置いてかれて焦り、何も変わらない自分に不貞腐れてるただのガキに見えたんでね」
「テメェ!」

「――日比谷さん!」

 凪に拳を振り翳したその時だった。俺を呼ぶ声に、思わず手が止まる。

「あ?」
「こんばんは、宗介くん」
「あ、れ?凪さん?何で此処に……」

 俺を呼んだのは、先程までの俺のイライラの元凶。
 俺と同室の、あの男だった。





 あのまま放って置いて良かったのかもしれない。
 でも、勝手に踏み込んで不快にさせたのは俺だ。だから一言、どうしても今日の内に謝りたかった。そう思って俺は急いで日比谷さんの後を追い掛けたんだけど、漸く見つけたと思ったら何故か凪さんと一緒に居た日比谷さん。何だか珍しい組み合わせに、俺は目を瞬かせる。

「すいません、お話し中でしたか……?」
「いえいえ。ただ談笑していただけですので、お気になさらず」
「ハッ。談笑、ね」

 凪さんの言葉に、日比谷さんが皮肉めいた笑いを零す。そんな二人を不思議そうに見ていると、凪さんが「それで?」と俺に問い掛けて来た。

「宗介くんは、何故ここに?」
「あ、えっと、その……」

 日比谷さんを不快にさせたから、謝りに来た。そう言いたいが、肝心の日比谷さんはもう完全に俺を見ようともせず全然違う方向へ顔を向けていた。やっぱ今日は聞いてもらえないかもなと、小さく溜息を吐くと、凪さんが何かに気付いた顔をした。

「ああ。もしかして尚親がイライラしていたのは、宗介くんと何かあったからですか」
「え?あ……」
「テメェには関係ねぇだろ」
「図星ですね。分かり易い」

 クスクスと笑う凪さんに、日比谷さんが苛立った視線を投げ掛ける。でも、ズバリ正解だから俺も小さく頷く。そして苛立つ日比谷さんに向って声を掛ける。

「あの、日比谷さん」
「……」
「その、さっきは……」
「ああ。そう言えば、今度の実技訓練、宗介くんは尚親とペアでしたね」
「え?」
「あ?」

 俺の言葉に被せる様に、凪さんが今思い出したと言うように声を上げた。思わず俺も日比谷さんも凪さんを凝視する。どうしたんだいきなり。

「今年は生徒会が優秀でね、もうペアの登録は済んだようですよ」
「え?……え!?」
「ああ?どう言う事だ」
「言葉通りだ。もうペアの解消は出来ない。もし辞退するものなら追試を受けてもらうことになる」

 生徒会。その言葉に晃先輩の顔が浮かぶ。それは俺だけではない様で、日比谷さんも忌々しいと言わんばかりに顔を歪め舌を打った。

「あの朴念仁がっ……!」
「ああ、それと尚親。お前、今年こそ歴代一位の記録を抜くとか何とか言ったらしいな」

 歴代一位の?それを抜くって、かなり凄いことなんじゃないか?
 そう思って日比谷さんを見ると、日比谷さんは険しい顔つきで凪さんを睨んでいた。

「ああ……今回でテメェの記録は塗り替えられるだろうよ」
「え?」

 驚き凪さんを見ると、凪さんは小さく笑い、「昔の話ですよ」と何てことないと言う風に肩を竦めた。

「最強の魔導士であるお前を越えれば、俺は本物の強さを手に入れられる」
「へえ……」
「フンッ。今に見てろ。その面を泣きっ面に変える日もそう遠くないぜ」

 そう凪さんに吐き捨てる日比谷さんだったが、凪さんは興味ないと言わんばかりの顔をし、そして息巻く日比谷さんに向かって「一つ忠告してやる」と静かな声で言った。

「お前がいくら独り善がりの強さを手に入れても、それは本物の強さとは言わない」
「あ?」
「今持つその強さを、他人の為に使う。それを今でも怖がっているようじゃ、お前はいつまで経ってもアイツらに追いつけやしない」
「……!」
「お前の求める姿には、永久になれやしねぇよ」

 それだけは忘れるな。
 そう言って日比谷さんに背を向けた凪さんは、俺の腕を掴んだ。

「行きましょう宗介くん。部屋に戻りますよ」
「え?あ、ちょっ」

 そのまま歩き出した凪さんに引き摺られながら、俺は後ろに立ち尽くす日比谷さんを見る。けどその顔は、俯いていてよく見えない。

「凪さんっ」
「今は放って置きましょう。ああでも言わないと暴走しかねない」
「暴走って……」
「今のアイツは、目的を見失いつつあるから」

 だから、と言葉を切った凪さんは俺を振り返り、そして笑った。

「貴方が、導いてあげて下さい」
「え?」
「俺達がそうだったように、きっとアイツも貴方の導きを受ける」

 俺が、日比谷さんを?
 けど凪さんは、迷いのない目で俺を見据える。
 と言うか、俺達って一体誰の事だ?

「凪さ……」
「着きましたよ」
「え?あ、俺の部屋……いつの間に」
「では、お休みなさい。いい夢を」
「え、ああ、お休みなさい」

 肝心なところで部屋に着いてしまい、俺は結局凪さんに何も聞けず、その後姿を見送ることになった。部屋に入り、一人になった所で、俺は一気に疲れが来て大きく溜息を吐いた。結局話し合うこともなく、俺達はペアになってしまったけど、それでも俺は嬉しい。どんな形であれ、日比谷さんと訓練を受けられるんだ。せめて、日比谷さんが目指すその記録を塗り替える手伝い位は出来たらと思うけど……。


(でも、歴代一位の記録って、凪さんの記録なんだよな)


 いつだって凛々しく強いその背中を追い越すイメージがつかず、俺は再び重い溜息を吐くのだった。
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bkm