伝説のナル | ナノ


2

『取り敢えず、機嫌良さそうな時に話しかけてみなよー』

 那智先輩の助言に、俺は取り敢えず様子を窺いながら話しかけてみようと意気込んだ。部屋で会った時日比谷さんと話してみようと思った俺は、皆と夕食を済ませた後、一人部屋に戻っていた。途中で買ったお茶を片手にいざ玄関を抜けた時、俺は異変に気付く。靴がある。日比谷さん帰って来ているんだ。それはまだいいとして、問題なのは靴が多いこと。いつもは俺と日比谷さんの分の靴しかないのに、今は日比谷さんともう一人、誰かの靴が置いてある。もしかして、耀か?
 耀だったら面倒だなぁと内心ドキドキしながらリビングに近付くと、少しだけ開いた扉の隙間から声が聞こえて来た。


「あっ、だめ……そこ、は……ッ」


 ん?耀じゃないのか?
 甲高く切羽詰った声は、どうやら耀のモノではない。けど、何だろう今の声。一体、何しているんだろう。どのみち俺の部屋はこの先を抜けた所にあるから、サッと通ってしまおう。そう思ってソッと扉を開けた俺は、ソファーを見て思わずその場で固まってしまった。後でゆっくり飲もうと思って買ったお茶が床に落ち、大きな音を室内に響かせる。その音に反応した一人が、盛大な悲鳴を上げた。

「キャ!えっ、なに!ひ、人!?」
「……あ?」
「ひ、人いないって言ったのにっ」

 まるで女の子の様な悲鳴をあげた上に女の子の様な可愛らしい顔をしたそいつは、リビングの扉の傍に立っていた俺を見て、自分の上に乗っていた男――日比谷さんを退かすと、そそくさと服を集めて恥ずかしそうに俺の横をすり抜けた。
 俺は何も反応できず、ただ黙って事の次第を見ていたけど、何であの子日比谷さんとソファーで寝転んでたんだ?俺が見た角度からだと日比谷さんがあの子の首を絞めているように見えて思わず固まってしまったけど、一体何だったんだ?それに何故裸?


「テメェのせいで逃げられたじゃねぇか」
「――!」


 男が出て行った玄関をボーッと見ていたら、すぐ傍で日比谷さんの声がし、慌てて振り返る。いつの間にか俺の後ろに立っていた日比谷さんは、俺を冷たく見下ろしていた。そして俺はその瞳を見て驚く。目が、淡く光ってる。魔導士の目が淡い光を放つと言う事は、魔導を発動させている証拠な筈だ。じゃあ今日比谷さんは、何か魔導を発動させているのか?
 俺は何も言わずただジッと日比谷さんの目を見つめていると、突然ガッと痛い位に腕を掴まれた。

「っつ……」
「随分野暮なことしてくれたな」
「す、すいません」
「責任はとってもらうぜ」

 え?と言う俺の呟きも虚しく、掴まれた腕を無遠慮に捻られた。結構な痛みに声を上げる俺に構わず、そのままソファーまで引き摺った日比谷さんは、そこに俺を押し倒した。そして直ぐ俺の上に覆いかぶさって来た。身体の上に乗られ、圧迫されたせいで一瞬息が止まる。

「ぐっ!」
「こんなんじゃすぐ壊れそうだな」

 ポツリと呟いた声に日比谷さんの顔を見ると、その表情は少し辛そうだった。息が上がっているし、薄らと額に汗もかいている。それに目は光っているけど、これと言って魔導を発動させている感じではなさそうだ。ずっと、ただ光を放っているだけ。

「日、比谷さ……」

 心配になり、問い掛けようとした時だった。ピンポーンと、この場の空気を壊すチャイムの音が鳴り響いた。俺も日比谷さんも、ピタリと動きを止める。

「あ、あの、チャイムが……」
「うるせぇ」

 だが居留守をすることにしたのか、気にせず俺の服に手を掛けた日比谷さん。流石の俺でも日比谷さんが俺にしようとしていることは何となく分かる。結構ピンチだよな今。
 取り敢えず落ち着いてもらおうと日比谷さんに声を掛けようとした瞬間、またしてもチャイムの音が鳴る。しかも今度は一回鳴らすだけでは終わらず、何度も何度も間をおかず鳴らしてきた。いくら他の部屋には聞こえないよう防音にしてあるとは言え、こう何度も鳴らされたら早く出ないといけない気がしてくる。そしてこの攻防で先に根を上げたのは日比谷さんで、非常に苛立った顔で俺の上から退くと、勢いよく玄関に向って行った。まあ、流石にピンポンをアレだけ聞かされたら、短気だと言われる日比谷さんじゃなくても怒るよな。

「いつつ……」

 腹の上に思い切り乗られたから身体が痛いし、腕を捻られたから何か肘が痛い。起き上がりながら痛い所を摩っていると、玄関の方が騒がしい。何だろうと玄関に続く扉を眺めていると、突然その扉がバンッと開いた。そして驚くことに、扉から現れたのは日比谷さんではなかった。


「宗介」
「え?会、長?」


 今日お墓参りに行って学園には居ないと言っていた会長が、何故か俺の目の前に。ああ、ちゃんと帰って来てくれたと言う安心感と、何故此処に?と言う当然の疑問が、俺の頭の中に浮かんだ。

「大丈夫か?」
「は、はい」

 この位の痛みなら、別に何ともない。そう思い会長に答えると、俺の傍までやって来た会長が俺の手を掴む。少し引っ張られた瞬間、肘に痛みが走り、一瞬顔を歪める。

「つっ」
「……嘘はいけないな」

 すると会長は小さく笑い、そのまま目を閉じた。何をしているんだろうと様子を見ていると、腕が温かい物に包まれているかのように温かくなった。そしてその温かさが消えた瞬間、痛みも何処かへ消えていた。ブンブンと腕を振っても痛くない。

「会長っ、今のは……!」
「テメェ、何人の部屋に上がり込んでやがる」

 何だか今日はタイミングは良くない気がする。俺が問い掛けようとする度に遮られる気がしてならないんだが。まあ気にしても仕方ないか。
 声のした方を見ると、扉の傍で苛立たし気に会長を睨み付ける日比谷さんが立っていた。だが会長はそんな日比谷さんを冷めた様に見つめ返す。そして日比谷さんを見てフッと鼻で笑った。

「成る程。今日は弦月か」
「――!」
「最近はあまり見られない様だったが、今日は違うらしいな」

 何のことか分からず首を傾げる俺の手を掴んだまま、会長は日比谷さんの横をすり抜け玄関に向かう。そして玄関の戸を開けようとした俺達の背に、日比谷さんの笑いを含んだ声が掛けられた。


「気持ち悪ぃんだよ。テメェも、那智も……見てて、イライラする」


 その言葉に、俺が日比谷さんの方を振り返るよりも早く、会長が俺の手を引き一緒に部屋を出る方が早かった。日比谷さんが最後、どんな顔でそれを言ったのか分からないまま、扉は静かに閉まって行った。
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bkm