伝説のナル | ナノ


8

 俺の言葉を聞き、そうか…と嬉しそうに顔を綻ばせた剛さんに、俺はむず痒い気持ちになる。こうやって嬉しそうな顔をされる事があんまなかったから、どう返せばいいのか分からない。ソワソワと、気持ちが落ち着かず顔を俯かせた俺の前髪を凪さんが後ろから上げてきた。そう言えばいつまでも凪さんの胸に頭を(寧ろ身体ごと)預けるのは申し訳ない。俺そんなに軽くないし。

「邪魔ですね」
「あ、すいませんでした…今退きます」
「違いますよ。この前髪です」

 折角の男前が台無しですよ。そう言って俺の目に前髪がかからないよう払う凪さんに、剛さんもそうだなと呟いた。さっきから男前と二人は言うけど、俺そんな褒められる顔してたか?

「宗介。お前、その髪切れよ」
「前髪…ですか」
「つーかもっと、サッパリ?前に散髪したのはいつだ?」
「基本、いつも自分でやります」

 その言葉に二人が驚いたように声を上げた。

「どうやって?」
「どうって…ハサミで切ったり、おじさんが使わなくなった電動のバリカンで整えてました」

 アタッチメントを付け替えるだけだから、切りすぎもしないし、あれは楽だった。前髪だけはバッサリと言う訳にはいかなかったから、せいぜい目元までしか切らなかったけど。でも美容院には一度だけ行った事がある。高校に進んで、俺のざっくばらんな髪型を見兼ねた大樹が、俺の行きつけに行こう!と言ったのが、俺の記憶にある限り初めての美容院デビューだった。その時も前髪だけはすいてもらうだけにして、周りは綺麗に整えてもらうだけにした。それでも満足してくれたのか、大樹は心底嬉しそうに笑うと、代金はバイト終わってからでいいと言ってくれた。
 そういう訳だから、お蔭でまだいくらかマシな形に整っていると思っているんだけど…。前髪ばっかりはそうはいかないよな。

「切るのは、怖いですか?」
「……」
「此処にはあの彼も居ますからね。何か言われるのは嫌なのかもしれませんが、逃げてもいいことないですよ」

 何処か渋るように前髪を弄っていた俺を見て、凪さんは俺の横髪を耳にかけながら後押しする。確かに耀には遅かれ早かれ会うことになるだろう。色々言われるかもしれない。それにこの視界が完全に開けると、今度こそ俺の逃げ場はなくなる。身内にどんな視線を投げ掛けられても、学校で陰口を叩かれようとも、何も見ないようにすれば楽だったから。伸び切った髪が、俺を守ってくれていた。俺は、やっぱり何処までも弱い…けど、あの高校で色んな人の温かみに触れて、交流を図るのもいいものだと知った。あの家に居る限りは切らないつもりでいたけど、そうだな。逃げてても、何も変わらないんだ。

「分かりました。明日にでも、切ります」

 俺の返答に満足がいったのか、二人は優しく微笑んでくれた。けど、梳きばさみ持ってきたかなぁと考えていた俺の思考を読み取ったのか、剛さんが自分で切るのはやめてくれと強めにお願いしてきた。

「けど、俺お金とか持ってないですし…」
「お前はそんな事考えなくていい。お前に渡したカードキーにはすでに金はチャージしてあるし、此処で金の心配はするな」

 チャージとか何とか、よく分からないけど、剛さんがお金をくれたってことか?でも、そこまでしてもらうのは気が引ける。いくら父の頼みと言えど、甥にそこまでする必要はないんだろうし。
 うーんと、複雑な顔をした俺に、剛さんは困ったように笑った。

「無理に甘えろとは言わねぇが…遠慮はするな。俺はお前に遠慮されるより、頼ってもらう方が百倍嬉しい」
「ハハッ、宗介くん。表現しがたい顔してますね」

 そんな事言われるなんて思ってなかったから、嬉しさ半分困惑半分の微妙な表情をしてしまった。しかし剛さんはそんな俺の態度にも怒ることなく、ポンと大きな手で頭を撫でてくれた。やはりむず痒い。

「っと、ちょっと待ってろ」
「ああ、予定ですね。俺持ってます」

 そう言うと凪さんが懐から携帯を取り出した。画面をタッチするタイプの端末で、その手つきは素早い。俺は携帯を持ったことないから少し物珍しげに凪さんの手つきを凝視してしまう。そう言えば、大樹もこんな形のヤツ持ってたな。

「やはり、明日明後日は無理ですね」
「だよなァ…」

 何かの打合せか、剛さんが残念そうに項垂れた。

「俺が行きましょうか?」
「絶対だめだ。お前好みのヘアスタイルで帰ってきたら俺は夜通し泣く」
「気持ち悪いですね。大体貴方がそんなタマですか。それが嫌なら、次の日曜日を待つしかないですね」

 一体何の話だろう?不思議そうに二人を見ていると、凪さんが俺の腰に手を回し、そのままグッと持ち上げ立たせてくれた。二人して床に座り込んでいたのに、この体勢から立たせられるなんて…細く見えるのに、凪さんは俺の予想より遥かに強い力を持っている。凄いな、ホント。

「すいません。ありがとうございました」
「いえいえ」
「宗介。来週、俺と出掛けよう」

 その言葉に目を見開く。もしかして、今立ててたのはその予定?

「凪の知り合いに美容師がいる。腕もいいし、そこで髪を切ろう」
「まあ約一週間後になってしまいますが…」

 もう既に学校は始まってしまうと言う事か。でもそんなの全然気にしない。寧ろ、剛さんが一緒に行ってくれると言う事に俺は驚いた。いいのか、学園長を連れまわして。

「俺が一緒に行きたいんだ。駄目か?」
「い、いえ。でも、良いんですか?」

 当然だと言わんばかり、今度は少し乱暴に髪を撫でられる。ああ、何だろう。俺、凄い今胸の奥が熱い。折角止まった涙がまた溢れだしそうになる。俺はそれを誤魔化すように、剛さん、凪さんと小さく二人の名前を呼んだ。

「最初、生意気な口聞いてすいませんでした」
「……学園長も貴方も、今日は謝ってばかりですね」
「うっせ」

 気にしてない。口には出さずとも伝わってくる二人の気持ちに、俺は笑顔で応えた。
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bkm