伝説のナル | ナノ


62


『お前を待っている人が居る』

 そう凪からの連絡が入り、俺は眠る三人を医務室に残し、その人物が待つと言う応接室へ向かった。もう分かっているんだがな。自分を待つのが誰かなんて。だが不思議と心は落ち着いている。そう、こればかりは誰の手を借りるでもない、自分がやらねばならないことだ。自分の手で、けりをつける。
 まるで火を消したかのように静かな廊下を進み、俺は応接室の前に立つ。そして、俺が扉を叩くよりも先に中から声が掛かった。


「――入りなさい」


 流石だな。俺の存在にもすぐに気づく。
 俺は一つ笑みを零し、失礼しますと扉を開け一礼した。部屋の中に入ると、真ん中に置かれたソファーに父が座っていた。俺はゆっくりとそちらへ近付いていく。


「もう、帰られたのかと思いました。父さん」


 もう後夜祭も終わり、生徒達は各々寮で眠っている頃だろう。そんな夜遅い時間にまだこの場に居る父に、俺はもう一度頭を下げた。

「此処まで来て頂き、有難うございます。けれど、申し訳ありません」
「……」
「俺は、此処に残ります」
「……」
「やらなければならない事が、出来たんです」

 ハッキリと、今度は自分の口から、自分の言葉で、父に意志を伝える。今まで逃げ続けた俺が、漸く自分を誇って父に向き合っている。そんな俺を父はただ黙って見つめていたが、不意に視線を落とすと、感情の読み取れない静かな声で俺に問い掛けて来た。

「それは、お前がやらなければいけない事なのか?」
「はい」
「お前じゃない、誰か他の者が代わることは出来ない事なのか?」

 今度は俺の目を見て真っ直ぐと問い掛けて来た父に、俺は静かに首を縦に振る。そして徐に衣装を寛げ、自分の意志の証となるそれを見せた。驚きからか、父が目を瞠った。

「その印は……」
「偽物ではありません。正真正銘、本物の印です」
「……それが、お前がやらなければならない事、なのか?」
「はい」

 以前偽の印を見せた時は、父はそれに対しあまり興味を示さなかった。それはきっと俺が、本当の意味でガーディアンとしての役目を果たす気がないと分かっていたからだろう。だが今は違う。俺は、本気でガーディアンとして主に、彼に仕えるつもりだ。

「ガーディアンとして真のナルに仕えるのは、きっと楽な道のりではありません」

 だが俺は、俺の光を護りたいと思った。そして願わくば、俺もアイツの道を照らす光になれたらと。だから、今この学園を去る訳にはいかないんだ。もう、逃げたりしない。例え俺を連れ戻す為に来た尊敬する父親に、背を向けることになってもだ。

「……ナルは俺の決意を、覚悟を受け取ってくれた。これは、その証なんです」

 俺は、此処に置いて欲しいと父に願う事はしない。それは違う気がするんだ。そうじゃなくて、俺の意志を、決意を、俺がもっとも尊敬する、一人前だと認めてもらいたい相手だからこそ分かって欲しい。そう思っているんだ。だから目は逸らさない。
 そんな張りつめた空気の中、黙って俺の話を聞いていた父が不意に小さく息を漏らした。

「思えば、お前がそこまで私に思いをぶつけた事はなかったな」
「え?」
「お前が今までどんな思いで教育を受けて来たかは分からない。辛いことも沢山あっただろう、だがそれでも私は、お前の為になると信じ厳しく接した」

 父がどう言う思いで話してくれているのかは分からない。ただ一つ言えるのは、こんな穏やかな父の表情は初めて見た。

「お前に笑顔が見られなくても、これからを生きるお前の力になるならば、それも仕方のない事なのだと、そう思っていたんだ」
「……」
「だが、今日の、私が茶番だと切り捨てたあの演劇」
「っ、見て、いたのですか?」

 まさか父があの演劇を見ていたなんて。
 あまりの驚きに言葉を失った。

「此処の学園長殿からの強い勧めでな。上から見ていたんだ」
「……そうですか」

 こんな形で父に演劇を見てもらえるとは思っておらず、少しばかり動揺した。だが父は変わらず穏やかな表情を浮かべ、俺を見ていた。


「お前はあんな風に笑うんだな」
「え……」
「あの広い舞台の上、縦横無尽に駆け回るお前の姿は、とても眩しかった」
「父さん……」
「必要ないと切り捨てたものが、お前に一番必要なものだったなんて、皮肉なものだ」


 ――お前の為を思っていた私が、一番お前の成長の妨げになっていたなんてな。
 そう言って父は席を立ち、傍に立つ俺の元へやってくると、俺の右肩に手を置いた。先程まで浮かべていた穏やかな表情はもうない。

「もう一度だけ聞こう。家に戻るつもりはないのか?」
「……はい。少なくとも、今はまだ戻れません」

 真剣に俺を見据える父に負けじと、俺もジッと見つめ返す。だが父は「そうか……」と小さく呟くと、俺の横をすり抜け扉に向って行ってしまった。思わずその背中に声を掛けた。ドアノブに手をかけた父は、振り返らずに言った。


「見つけたのだろう。『頑張る理由』を」
「――!」
「ならば、最後まで決めたことはやり通しなさい。白河の人間に、半端は許さない」


 いつも通り、厳かな声でそう俺に告げる父に、俺は「はい」と強く返事をする。俺の答えを聞き、そのまま出て行こうとする父に俺は深く頭を下げた。背を向ける父には伝わらないかもしれないが、俺は今とても嬉しい。
 仲間との絆を今まで信じていなかった父が、俺の仲間を、今の俺を、あの演劇を通して認めてくれたんだ。何だか気持ちが溢れて来て胸が熱い。


(ああ、早く顔が見たい)


 一人になった部屋の中、俺は医務室で眠りにつく宗介達や、俺の分まで頑張ってくれた劇の皆、そして生徒会のメンバー達の顔を思い浮かべ、一人静かに笑っていた。

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bkm