伝説のナル | ナノ


56

 それともう一つのヒールが校舎の近く落ちていた。そして顔を上げた先には不自然に半開きになった扉。可笑しい、この時間は皆あの体育館に居る。だから全ての扉は魔導で閉じてある筈だ。それなのに、扉は開いている。この魔導は、決して誰もが開けられる簡単な魔導ではない。だが宗介の力を持ってすれば、こんな魔導はすぐ破れるだろう。つまり、此処を破って校舎の中に入ったのは、間違いなく宗介だろう。
 俺は急いで校舎の中に入った。案の定、誰も居ない校舎の中は静まり返っている。しかしこうだだっ広い校舎の中を、ただ闇雲に探し回っても宗介は見つからないだろう。その間に宗介に何かあっては元も子もないしな。

「……あまり得意ではないんだが、仕方ないな」

 その場に膝をつき、床に手を当て、俺は意識を集中させる。所謂『探索』と言う能力だ。此処の学園長は全てを見通せるほどの凄い探索能力があるそうだが、俺のはそれには遠く及ばない。ただ、この階に居る人の気配を探っているだけだ。人が居ない今だからこそ出来る技。だが、今はそれでいい。少しでも宗介の元へ早く辿り着けるなら、それで。
 冷たい床に手を当て、俺は深く集中する。

「……?」

 その時、フと気配が濃くなった。間違いなく人の気配だ。しかし、俺はそこで違和感を感じる。最初探った時には感じなかったのに、意外にこの気配は近い場所に存在している。何故このタイミングで、気配を察知できたのだろう。

(罠の可能性もあるな)

 けど罠の可能性があったとしても、宗介がそこに居るなら関係ない。もし危ない目に遭っていたら、そう考えるだけで恐ろしい。気配は、あそこからだ。第一社会科資料室。俺でさえあまり入らないこの部屋から、人の気配を感じる。極力足音をたてない様、廊下を歩き、その部屋の扉の前にやって来た。ソッと扉に耳を当て、聞き耳を立てると、微かに中で人が動く音が聞こえる。
 ドアノブを触る前に魔導の力が仕掛けられていないかを確かめ、安全を確かめた俺は静かにドアノブを回した。鍵は、開いている。

「……」

 息を殺し、中の様子を窺う。しかし宗介の姿は見当たらない。俺は扉の隙間から身体を滑らせ、部屋の中に足を踏み入れた。沢山の鉄の棚が並び、カーテンの閉まっているこの部屋はひんやりしていて、少し寒いようにも思える。そんな中、俺はある事に気付いた。乱雑に積まれた資料は床にも散らばっていて、その内の一部が踏まれていたのだ。そこに近付き、それを拾い上げようとしたところで、俺の耳に微かな息遣いが聞こえた。

「宗介?居るのか?」

 名前を呼ぶと、返事はないものの、ガタンッと大きな音が部屋に響いた。俺は音のする方へゆっくり近付いていった。そして部屋の右隅に位置した所、そこを覗く。薄暗くて見にくいが、確かにそこに誰かが蹲っているのが分かる。
 指の先で小さな光の玉を形成し、それを上に放つ。
 薄暗い部屋が、そこにある全てが、光によって照らし出された。そして、映し出された光景に、俺は目を瞠る。

「――ッ、宗介!」

 蹲るのは間違いなく宗介だった。苦しそうに身を縮めている。
 急いで駆け寄ろうと、下に積まれた資料を蹴ったのも気にせず足を踏み出したのだが、俺の足はピタリと止まった。宗介の姿をハッキリ見たことによって。

「宗介……」
「っ、ハ、ぁ……」

 いつの間にか、宗介はいつもの姿に戻っていた。そして辺りには身に付けていた物がバラバラと散っている。しかし一番の問題は、そこではない。宗介が何も着ていないのにあった。
 そう、着ていた筈のドレスを抱え、苦しそうに息をする宗介は何故か一糸纏わぬ姿だった。

「宗介、大丈夫か?」

 宗介の身体に釘付けになりそうな己の視線を一旦逸らし、俺は宗介の傍に寄る。頬は上気していてかなり赤く、呼吸も苦しそうに口を開けっ放しでしているようだ。それに目は虚ろで、こんな近くに俺が居ても分かっていない様だった。
 これは、熱でもあるんじゃないか?ポタポタと輪郭を伝って落ちている汗の量を見て、俺は慌ててその額に手を当てた。

「んぁッ……」

 その瞬間、宗介の口から甘い声が漏れた。思わず額に当てた手を直ぐに引っ込めてしまった。何だ今のは。聞いたこともない宗介の声に、俺は目を瞠る。そして、まさかと思い、もう一度。今度は頬にその手を滑らせてみた。

「や、あっ」

 ビクリと、今度は身体まで跳ね上がる。やはり、そうなのか。

「秘薬の副作用、か」

 しかし、俺が読んだ本の中にはこんな催淫効果をもたらす様なことは書いていなかった。強い睡魔に襲われると、そう書いてあったはず。飲んでも死ぬような薬ではないが、副作用が出るからと秘匿薬品に分類されているだけだ。だからこそ、宗介にも飲ませたのに。もし副作用が襲ってもいい様に、異変があったらすぐに俺に言うようにと。こんなに苦しませるぐらいだったら、終わると同時に医務室へ連れて行けばよかった。

「今楽にしてやる。待っていろ」

 後悔しても遅い。とにかく今は宗介の副作用を取り除こう。
 そう思い、そして思い出す。

「ッチ。今は治癒能力が効かないんだったな……」

 そもそも俺の力で足が治っていれば、この薬を宗介に飲ませることもなかったんだ。誰が何のために邪魔をしているのかは分からないが、本当に腹立たしいったらない。仕方ない、とにかく此処を出て医務室へ行こう。俺が魔導をかけられなくとも、何か副作用に効く薬はあるかもしれない。
 このマントで包んで行けば、大丈夫だろう。俺は衣装でつけていたマントを外し、ほぼ裸同然の宗介にそっと被せた。布が擦れるその感覚だけでもマズいのか。宗介の口からはまた甘い吐息が漏れる。

「悪いな、もう少しの辛抱だ。……少し、触るぞ」

 俺の言葉は聞こえているとは思っていないが、一応声を掛ける。そして俺は、その宣言通りに、宗介の身体を持ち上げた。直に伝わる身体の熱さ、俺の首筋にかかる宗介の息、そして間近に見えるその艶やかな表情。流石の俺も、そこまで我慢強くない。今にも逸りそうな気持も、果たしていつまで抑えていられるか。
 そんな自分に苦笑いを零しながら、俺は出口へ向かう。

「――なっ」

 ドアノブに手を掛けると、ガチャッと鍵の閉まっている音が鳴った。そんな筈はない。俺は確かに鍵の開いた扉を入ってきた筈だ。鍵など閉まる筈がない。なのに、どうしてだ。押しても引いてもビクともしない。
 もしかして誰か外で塞いでいるのかとも思い、再び意識を集中させる。しかし、どうした事だろう。この部屋の中しか探る事が出来ない。それより外を探ろうとしても、靄がかかったように何も見えない。まるで、結界の中に閉じ込められているようなそんな感覚だ。

「……そうか。成る程な」

 これもその、邪魔しているヤツの仕業と言う事か。こんなことをするのは、散々俺達の邪魔をするそいつとしか考えられない。けど何故このタイミングなんだ。まるで、いつも宗介を"見ている"みたいに、どうして。
 暫く扉を強く蹴り続けるも、一向に扉が開く気配はない。ガンッ、ガンッと無情な鉄の音だけが響く。

「クソッ……」

 早く楽にしてやりたいのに、此処を出る事すら叶わないなんて。
 俺は必死に思考を巡らせる。だが、何一つ最善の策が出てこない。
[ prev | index | next ]

bkm