伝説のナル | ナノ


7

 どれ位経ったのだろう。頭がボーっとして働かない。ヒックヒックと未だ止まらない嗚咽に息苦しさを覚えながら、俺は凪さんの胸に頭を預けていた。ポンポンと背中を叩くそのリズムが心地よくて、思わず寝そうになる。

「おい、凪。いつまでそうしてるつもりだ」
「いつまでって、宗介くんが落ち着くまでですよ。大体何ですか。見てるだけでこの子が泣き止むはずないでしょう。どんだけ不器用なんですか。子供一人あやせないんですか。馬鹿なんですか」
「言いたい放題だな…と言うか、お前は慣れ過ぎなんだよ」
「那智が小さい頃は俺が殆ど相手してましたから、泣いている子には慣れてるだけです」

 そんな会話を二人の間で聞いていた。俺は小さい子供扱いか。

「宗介」

 びくりと身体がはねる。学園長が、俺を呼んだ。少し緊張しているのか、少し強張った声色だ。

「悪かった。本当に。俺は、お前を泣かせるために…幸せを崩すために呼んだんじゃない。これは昔からの――お前の父さんとの約束だったんだ」

 凪さんの胸から少し顔を離し、俺は学園長へと顔を向けた。何だって?父さんとの、約束?

「本当ならもっと早く、お前を冥無に招きたかったんだが、俺が学園長に就任したのが丁度二年前の、しかも高等部の学園長でな…すぐには呼べなかったんだ。だから、今回新入生として此処に来てもらうはずだったのに、迂闊だった。まさか手紙を破棄されるとはな」
「本当ですよ。そして入学式で貴方の姿が見えないので、此方で調べさせて頂いたら、もうすでに違う学校へ入学されていたので驚きました」
「流石に入ってすぐのお前を引き抜く訳にはいかなくてな。キリがいいし、お前が進級する前まで待ってたんだ」
「…強制入学なんてないと、聞きましたけど」
「ああ、勿論。だからお前をどうにか自分から転校してもいいと思えるぐらいに促して欲しいとコイツに伝えたら…」
「何ですかその目は。ちゃんと連れてきたでしょう」

 呆れたように溜息をついた学園長は、凪さんへ不満げな視線を投げ掛けた。当の本人はどこ吹く風だけど。

「俺、手紙見ましたよ、中三の時」
「…そう、なのか」
「それで俺が放った手紙をおじさん達が廃棄しただけで…」
「それじゃあ、元々自分の意志で此処に来る気はなかったと?」

 その言葉にコクリと頷く。確かに中身はあんまり見てないし、何か俺に向けてこの人が書いてくれていたのかもしれない。でも結局それを見なかったことにして、無駄にしたのは俺だ。おじさん達をあれこれ言っても仕方ない。

「けど、仮にも貴方の親代わりになると決めたなら、その子が冥無学園に行くことを後押ししてもいいものを。あの夫婦は貴方が何も言わないのを良いことに何もなかったことにしようとした。俺はそれが許せなかったんですよ」
「俺、全然知らなくて、悪戯だと思ってたから…魔導士とか。本当に存在するなんて、思ってなかった」
「魔導士を知らなかった?テレビとかにもよく取り上げられるだろ」
「テレビは見せてもらったことないです…学校でも、俺の周りには誰も近寄って来なかったから」

 それを聞いて、二人が少し複雑そうな顔をした。

「すまない…」
「なんで、謝るんですか?」
「俺があの時、もっと強く主張できていれば…」

 学園長はそう言って顔を俯かせた。あの時、とはきっと両親の葬式での事を言っているんだろう。俺はその時病院にいたから知らないけど、きっと光城家と俺の引き取りついて揉めたんだろう。

「俺はあの時まだ教職員として未熟でな。未婚だとか収入とかを出されると何も言えなかった。けど、結局強く出れなかったのはお前を連れて生きていく自信が無かったからだと思う。それがお前の不幸に繋がるなんて考えもせずにな」

 本当に悔しげな顔で過去を悔いる学園長。その彼に、俺は何と声を掛ければいいんだろう。正直当時の俺には大人の事情とかどうでもいい。ただ両親を失った俺は、笑って暮らして行けたらそれだけ良かった。

「本当に、すまない…」
「もう、謝らないで下さい」

 謝っても何も変わらないし、謝ってもらう価値も俺にはない。学園長は自分の責任だと言うが、あの家から逃げ出さなかったのも俺の意志だ。一人になるのは嫌だったから。だから、彼を責めるなんてこと、俺には出来ない。

「だから、今度は宗介が決めてくれ」
「え?」
「まだ完全な手続きは済んでいないんだろう、凪」
「ええ。後はこの書類を提出すれば、宗介くんの通っていた高校とは完全におさらばになります」

 そう言って、いつの間にか彼の手には書類が。そうか。まだ完全な形にはなっていなかったのか。チロリと凪さんを見上げると、彼は優しげに目を細め俺を見ていた。この人、ちゃんと俺に逃げ道を用意しておいてくれてたんだ。

「此処に残るか、それともあの家に帰って前の学校に行くか…俺は、お前の言葉を聞きたい」

 真摯な視線を受け止めきれず、思わず顔を下に向ける。ほんの少し前までは、帰りたいと思っていた。大樹と、クラスの皆と、また会えるから。けど――。

「剛、さん」
「っな、んだ?」

 俺が学園長の…おじさんの名前を呼んだのに驚いたのか、目を見開いて俺を見ている。

「父との約束って、何ですか?」
「……浩幸は、此処の卒業生でかなり優秀な魔導士だった。俺がこの学園で教員を勤めることになった時、アイツは言ったんだ」

 ――兄さんが学園長の座にまで登り詰めたら、宗介はその学園下で学ばせたいな。きっと、俺や兄さんに似て優秀な魔導士になるよ。

「父さんが…?」
「ああ。それと、自分に何かあったら宗介の事を頼むと…思えばそれを口にしたのはアイツが事故に遭う直前だった。何か感じてたのかもな…」

 そう言って、剛さんは悲しげに笑った。

「けど、俺は魔力なんてありませんよ…」
「いや。それはない。確かにお前から感じる力は途切れ途切れなんだが、きっとそれはまだ不安定だからだ。魔力は保有している」

 まさか。俺にそんな力が備わっていたなんて。けど、父さんの望むような優秀な魔導士とやらには遠そうだ。だから、心は決まった。

「だから、自分は魔導士になれないとか、そう言うのは気にしないで――」
「分かりました」
「っ、ああ…」

 剛さんの言葉を遮って、俺は表情を硬くした剛さんを見据えた。

「俺、我儘で、傲慢で、弱くて…こうやって、慰めてもらう資格も、同情される資格もないですけど…」
「お、おい。宗介?」

 剛さんが不安そうに俺を見る。凪さんも、傲慢ではないですけどね、と小さく呟いていた。まあ、とにかくだ。俺は、今度こそちゃんと見せるんだ。逃げるような形ではなく、向き合う形で。

「友人と離れるのは、寂しいです。けど、何もこれで終わりじゃないって、信じてます」
「……」
「だから、俺は――此処に残ります。父の望みを、少しでも叶えてあげられるように」

 それが亡き両親に出来る、唯一の事だから。
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bkm