伝説のナル | ナノ


48

 それが起きたのは、俺がコンバートの秘薬を飲む少し前の事だった。小瓶の縁に口をつけた瞬間、下手の方から上がったけたたましい音と共に、悲鳴も上がった。今の音、何か金属の様な物が倒れた音だ。

「確かあそこ、鉄パイプ立て掛けてたよな…っ」
「開演前に退かそうとしてたアレ?」
「あれが倒れた音か」
「でも今悲鳴聞こえたよね?」

 皆一斉に最悪の事態を思い浮かべたのか、下手へと駆けていく。俺も小瓶をその場に置いて、下手へ向かった。嫌な予感がする。確か下手には宗介が――。

「安河内くんっ、しっかりしなさい。安河内くん!」
「つっ…」
「ッ……宗介!?」

 嫌な予感とはよく当たるもので、鉄パイプが床にゴロゴロ落ちている傍に倒れている宗介と、もう一人衣装の子が呆然と座り込んでいた。俺は人だかりを押し退け宗介の傍に膝をつく。足を押さえ苦痛の表情を浮かべる宗介は、集まった皆に大丈夫ですと掠れた声で言った。だがどう考えてもそれは嘘だ。みんなに心配かけまいとしているのか、頑なに大丈夫だと言い張る。

「宗介、見せてみろ」
「か、会長!?だ、大丈夫です。俺何ともな……」
「な、何ともない訳ないでしょ!?何で僕なんかを庇ったの!?」
「庇う?」
「いや、その……」

 衣装の子が言うには、突然吊り上げ中だった背景が落ちて来て、それが立て掛けてあったパイプに運悪く当たってしまったそうだ。そしてそれがその近くに立って居た二人目掛けて倒れて来たのを、宗介が庇う形で何とか回避したそうなのだが、いくつかのパイプが宗介の足に当たったらしく、負傷してしまったと言う事らしい。

「すいません!ワイヤーが切れている分からなくてッ」
「いや、他に負傷者が居ないことが何よりだ。気を付けて続きの作業に当たれ」
「は、はい!」
「宗介。足を出せ。俺が治す」
「で、でも、これは俺が鈍臭いから避けきれなかっただけで…」
「ち、違います!こいつは後ろにちょっと避ければ済む話だったのに、このままだと殆どのパイプに押し潰されそうな僕を見て、態々飛び込んで来て、それで……!」
「ああ、分かってる。だから落ち着け」

 宗介はあくまで自分のせいだと言うが、今回は宗介の言葉は信じない。宗介を弁護するその子の頭をポンッと叩き落ち着かせると、その子は泣きそうになるのを堪えてグッと唇を噛んだ。それを見てか、宗介が申し訳なさそうにその子に「ごめん」と呟いた。

「時間がない、早く出せ」
「……すいません。会長、今から沢山魔導使うのに…」
「もしかして、それで足を出さなかったのか?」

 自分は惜しげもなく魔導を使って、俺より疲れている筈なのに、本当に不思議なやつだ。コクリと小さく頷く宗介を見た俺は、ソッと左足の裾を上げた。下腿前面と足首の外側が少し腫れている。宗介の痛がり方から、もしかしたら骨に異常があるかもしれない。あってもヒビぐらいだとは思うが。まあ、魔導を使えば関係はない。そう思って手を翳し、魔導を発動させた。
 皆がハラハラとその様子を見ている中で、魔導を使っている俺だけが気付いた異変。

「会、長?」

 そして魔導を受ける宗介も気付いたのか、戸惑うような視線を俺に向けた。確かに魔導は発動している、宗介に向って。それなのに、どうしてだ。


「――治癒の魔導が、効かない」





「だあああ!!一難去ってまた一難だよ!!どうしよぉぉぉ!!」

 監督の先輩が頭を抱えて叫ぶ。周りの皆も流石にお手上げと言う顔をしていた。どうしよう、俺のせいだ。こんな所でドジを踏まなきゃ、治癒の魔導とか関係なしに動けたのに。そう、どう言う訳か、俺へ発動させた治癒の魔導が俺に効かなかったのだ。
 周りは勿論、会長自身も驚いていた。しかし、会長だけは直ぐに原因が分かったのか、ざわつく皆に聞こえない程度に舌を打っていた。そして俺にだけ聞こえる様に呟いた。

「どうあっても邪魔をしたいらしい。今度はお前自身に防御魔導でも使ったんだろう」
「――!」

 それは俺達が此処に来る時にも邪魔をした人なのか?と言うより、誰なんだその人。何と言っても敵の多い俺だから、恨む人は沢山いると思う。でもよりによってこんな大事な時に……。ジクジクと足が熱を帯びているのを感じる。正直凄い痛いが、此処で諦めるくらいなら、痛めた足でもいい。出なきゃ。

「主役が舞台に立てないとか、どうすればっ!」
「あ、あの俺……ッ!?」

 その思いから立ち上がろうとした俺に気付いたのか、会長がサッと俺を止めた。動くな、座っていろと口にしなくても目だけで言われた気がする。それ程までに鋭い眼差しだった。

「落ち着いて聞いてくれ、みんな」
「会長?」

 そしてその場に立った会長は、集まった皆を見渡して、こう言った。
 劇は続行だ、と。

「でも安河内くんが立てないんじゃ、劇は成立しませんよ!?」
「ま、まさかその足でやってもらうんですか…?」
「あの俺、やれま――」
「長い時間、お前たちと作り上げて来た演劇が、この様な形で終わるのは嫌だ」

 俺は下から会長を見上げ、その表情を見て目を丸くした。会長、笑ってる。

「だが、そんなお前たちと作り上げた物は、何も演劇だけじゃない」

 その目には、何の迷いもない。皆を信じて話ているのがよく分かる位、真っ直ぐな目。

「お前たちと積み上げた信頼は、それ以上の物だと俺は思っている。だから――」

 だからかな。こんなにすんなり心に響いてくるのは。


「配役を少し変えて、即興で演じないか?」


 小道具も大体のストーリーも揃ってるから、完璧なそれではないけど、会長はインプロをやろうと皆に提案した。勿論、その提案に演じる人達は不安げな顔をした。
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bkm