伝説のナル | ナノ


6

「っなんで、今更なんです、か…」

 床を濡らす涙の染みを見ながら、俺は声を絞り出した。

「耀もいなくなっ、て…新、しい学校でやっと友達も出来て…幸せ、だった。凄く、楽しかった。あの家、での生活も耐え、られたっ」
「宗――」
「ずっと、辛かった。今よりずっと、昔の方が…!けど誰も、アンタも、助けてくれなかった…それなのに、何で今更俺を呼んだんだよ!」

 みっともなく声を上げる俺は、さながら小学生の子供と同じだ。この人に当たっても何の解決にもならないのに、言葉が溢れて止まらない。こんなに胸の奥がカァと熱くなったのは初めてだ。

「違うんだ、宗介。俺は……」
「…もう、いいです。何もかも今更、ですから。この学園でちゃんと卒業まで過ごします…」

 再び俺に触れようとした手を叩き、グッと涙を拭った俺はそのまま「失礼します」とだけ呟き、逃げるように彼らに背を向けようと足を踏み出した。しかし、その足が地に着くことはなく、下腿部に軽い衝撃を受けたのを感じた瞬間には、身体ごと地面に落とされた。目の前に広がる天井に、何が起こったのか目を白黒させていると、天井を映していた俺の視界に綺麗な顔が覗き込んできた。

「凪っ、お前…!」

 学園長の焦った声に、漸く俺は現状を理解した。そうか、あの後ろ脚に感じた衝撃は、多分この人が足払いしたせいか。それにしても、俺の身体は地面に落とされたにも関わらず、痛みを感じない。俺をあの一瞬で倒したのも凄いけど、受け手に痛みを与えないその技も凄い。感心しっぱなしだけど、どうして倒されたのか全然理由が分からない。

「なに、するんですか…」
「まだ話は終わってないですよ」
「…今更、話す事なんてない、はずです」

 覗き込んでくる翡翠の瞳を睨み返しながら、ぶっきらぼうにそう答えると、不意に彼はトンと俺の胸の真ん中を指で指した。

「ちゃんと言えるじゃないですか」
「……!」
「自分の気持ちをぶちまけた時、胸の奥が、目の奥が、脳の奥底が…まるで血が沸騰したかのように熱かったでしょう?」

 そう言って俺の目は彼の手で覆われ、暗闇が広がる。されるがままの俺の頭上で落とされる言葉の数々が、優しく俺の耳に響く。

「それが本音をぶつける、って事です」
「ほん、ね…?」
「そう。貴方が今まで言えなかった、心の奥底で思っている言葉。俺たちはその言葉が聞きたかった」

 だから、とそこで言葉を切った凪さんは、俺の目を覆っていた手を退けた。それでも俺の視界は不明瞭だ。ユラユラ揺れてる。

「泣きたければ、好きなだけ泣き叫べばいい。文句があるなら、気の済むまで暴言でも何でも俺達に叩きつければいい。それ位じゃ、俺達の貴方を見る目は変わりやしない」

 父さんと母さんが死んでから、俺は泣くと言う事をしなくなった。いや、と言うより、泣いても誰の気も引けないと分かってしまったから。何を言っても、俺の言葉なんて、誰も聞いてくれない。それが分かってしまったから。だから俺は、これ以上嫌われないようにと自分で壁を作った。心を偽った。平気な振りを、してきたんだ――。

「ほら」
「ッ――」
「特別に俺の胸を貸しましょう。だから今は……」

 ――好きなだけ、泣けよ。
 そう言って、凪さんが俺の身体を起こし、自分の腕の中へと引っ張り込んできた。ガツッと当たった意外と厚い胸板には驚いたけど、それよりも俺を包む温かさに、目からは大量の涙が溢れ、部屋にはまるで子供の様に泣きじゃくる俺の声だけが響き渡った。
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bkm