伝説のナル | ナノ


42


「写真に残した思いのカケラに、この子が気付いてくれたお蔭で、こうして貴方とお話しできる」
「写真?」

 それはまさか、彼が持っている写真か?
 確かにアレは母の遺品として俺の元にただ一つだけ寄越された物だ。それ以外の遺品が、俺の目に触れることはなかった。

「貴方と私だけが写っている写真だから、きっと貴方の元へ届くと信じていたけど、良かった」
「……お祖母様とお祖父様は、俺の顔など見たくもないと仰っていましたから。俺が写った写真など手元に置きたくなかったのでしょう」

 俺の言葉に、母が哀しげに顔を歪めた。それから小さく、ごめんなさいと呟いた。

「私のせいで、迷惑をかけて……」
「いえ。迷惑などと思っていません」

 自分の親が、自分の子供を責め立てたことへの謝罪なのかそれとも別の何かか、俺には分からなかったが、母が謝る事ではない。そう思い口にした言葉だったが、母は何故だか驚いた顔をしていた。

「どうしました?」
「……ふふ」

 すると何故か、母は笑い出した。訳が分からずに困惑すると、母が優しげに目を細めて俺を見つめてくる。

「晃聖。貴方、お父さんにそっくりよ」
「――!」

 一瞬、母の口から父のことが出て来て、思わず固まる。そんな俺に気付いたのだろう、母が困ったように笑い、今度は安河内くんを見る。

「彼もそう。父親そっくり」
「……彼の両親をご存じで?」
「いいえ。私が知っているのは、この子の父親だけよ」

 そう言って彼を見る母の顔が、先程石像の前で佇んでいた時の表情と被った。そう、あの時の愛しい者を想うようなあの顔と。

「もしかして……」
「ふふ、親子そろって惹かれるなんて、似た者同士ね」

 確かに二世代に渡ってこうして巡り合うのは凄いことだと思うが、母の言っている意味はよく分からない。

「惹かれるとは、どういう事ですか?」
「あら?気付いていないの?」

 キョトンとする母は、俺の傍まで来ると、そっと俺の頬を撫でた。

「私のせいね」
「え?」
「貴方をそんな顔にさせたのは、私のせいね」
「そんな事……」
「でもね晃聖。彼と居る時の貴方は、とても楽しそうよ」

 そう言われて、俺は確かに彼と居る時はよく笑っていたと思う。自然と、自分の表情が和らいでいたのは知っていた。だが、それがどうしてかを考える事はしなかった。それはきっと――。

「自分を顧みず、周りを気遣ってばかりなのも、私のせいね」
「違う。俺はっ」
「ほら。ねえ、晃聖。さっきから貴方は私を庇ってばかりよ?」
「っ、それは、本当にそう思っているからで――」

 ふわりと優しい匂いに包まれ、俺は言葉を切った。突然のことで動けない。何故俺は、母に抱き締められているのだろう。俺がこの腕に抱き締められたのは、記憶にあるだけでも片手で数えられる位のものだ。それを、何故今。

「母さ……」
「私のせいで、貴方は『愛』を知ることなく育った」
「――!」
「だから、自分が愛すことも、自分が愛されることも知らずに生きてきた」

 母の表情は見えない。しかし、声が震えているのは聞こえてくる。

「こうして愛しい者を腕に抱くことも、その温もりを知る事も、愛することの喜びも、私が教えてあげられなかった」
「……」
「本当にごめんなさい」

 言葉が喉から出ずに、首を振るしか出来なかった。
 違う、違う。俺はただ貴女に――。


「晃聖。私は――」


 ――ピシッ!
 突然空間に入ったヒビにより、母の言葉は遮られた。辺りを見渡すと、瞬く間にそのヒビは傷口を広げていく。空間がドンドン消えていく。

「一体何が……」
「もう、時間ね」
「え?」
「晃聖。彼を」

 静かに空間を見据える母に促され、俺は安河内くんを抱えた。先程と同じく規則正しい息遣いの彼は、まだ眠ったまま。

「大丈夫。疲れと驚きがいっぺんに来ただけよ。すぐに目を覚ますわ」

 安心しなさいと、母は笑っていた。俺はそれに小さく頷く。
 ピシッ、パリッと嫌な音が辺りを包む。

「早くこの空間から出ましょう」

 話はそれからでも、そう思って足を踏み出す。すると、ギュウッと背中から小さな身体が抱き付いてきた。そう、母だ。

「っ、母さん、何を……」
「貴方はもう一人じゃない。自分を縛り付ける鎖だって断ち切れる強さを持っている」

 母の言葉に、俺は頷き返せなかった。そんな事はない。俺は、そんなに強くない。それに、鎖を断ち切る資格だってない。だって俺は貴女を、死なせてしまったのだから。

「晃聖」
「……はい」
「――貴方とラグーンの石像が見れて嬉しかった」

 俯かせた顔を上げると、俺達の前にはあの石像がある。だが空間が崩れていくごとに石像もまた消えていく。だがその言葉に、先程昔の母が言っていた事を思い出した。子供と一緒に見るのが夢だと。母もそれを覚えているのか?
 思わず振り返って母の表情を見ようとしたその時、今までにない亀裂が空間に走る。足場が悪くなり思わずその場に膝をつくと、いつの間にか背中にあった気配がなくなっている。自身に回されていた腕も。

「……母さん?」

 後ろを見ても誰も居ない。何処を見渡しても、そこには人など存在していなかった。崩れていく空間にドンドン辺りは真黒に染まっていく。しかし俺は彼を抱えたまま動けない。

「母さん!」

 思わず声を上げて叫ぶと、後方から光が射した。

「あれは……出口、か?」

 色んな事があり過ぎて最早どれが現実だったか分からない。だが、彼を危ない目に遭わせる訳にはいかない。俺があそこに進まなければ。そう思い、崩れていく空間の中を駆けた。その光を目指して、俺は走った。
 そして、光が目前に迫った時だった。


「愛しているわ晃聖――私の可愛い子」


 耳を疑う言葉に、俺は声が出せなかった。しかし、確かに聞こえたその声に引かれる様、後ろを振り返る。


「――――母さんッ!!!!」


 そこに居たのは、真っ暗な空間に手を振ってただ佇む母の姿。
 それを見た瞬間、俺の中の何かが弾けた気がした。
 そして俺は、あの日幼い俺が伸ばすことが出来なかった手をいっぱいに伸ばした。





『全く、兄さんは煩いなぁ』


 そう言って笑うあの人を見た瞬間、急に視界が眩んだ。
 そして、覗くな、まだ思い出すなと誰かの声が俺に告げる。
 あの声は一体誰だ――?


「ん……」


 頭がボンヤリする。何だか辺りは薄暗くて俺はどうやら地面に寝ているようだ。数回瞬きをし、俺は徐に身体を起こした。一体俺は此処で何を……。

「っ、そうだ!」

 意識が覚醒し漸く事態を思い出した俺は、周りの景色を見て呆然とした。

「え、此処って…」

 見間違える筈ない。先程まで此処に居たんだから。

「会長の部屋、だ」

 そしてどうやら夜明けらしく、段々に空が明らんでいた。そんなに時間が経っているのか。マズイ。早く帰らなければ学園祭が。と言うか、そうだ。会長は?あの時逸れてどうなったんだ?
 最悪な展開に一瞬ヒヤッとしたが、すぐにそれは治まった。写真が立ててあった棚の傍で、会長が立って居たから。俺は徐に会長の傍へと歩み寄る。

「会長?」

 だが会長は俺の呼び掛けにも答えない。一体どうしたんだろう。そう思って、会長の横に並び、会長の顔を見る。思わず言葉を失った。

「か、かいちょ――」

 驚きのあまり声が出せなかった俺の手を、会長が掴んで引き寄せた。そのまま抱き合う形になり、ますます俺は混乱した。肩口に会長が頭を預けてくる。俺は、どうすればいいのか分からず、取り敢えず俺が凪さんにしてもらったのと同じことをした。
 ポンポンと背中を軽く叩き摩る。


 ――会長は、ただただ静かに泣いていた。
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bkm