伝説のナル | ナノ


41

「一体何処へ行ったんだ……」

 ふと気づけば、いつの間にか彼が居なくなっていた。恐らくは彼も同じことを思っていることだろう。マズイ事になった。この場に居られるのは彼の力あっての物だ。しかし彼自身は自分がどれ程凄いことをしたのか理解している訳ではなかった。だから何が起こるか分からない状況の中、彼から離れるのは得策ではない。
 俺は辺りを見渡した。だが彼の姿を見つけるには至らない。この場に居たところで事態は変わらないだろう。そう思い、思い切って歩き出す。その時、漸く乱れていた辺りの景色がまた綺麗に映し出されていく。どうやらまた違う過去の時を見せられるらしい。
 俺の目の前を通り過ぎていく母の姿を目で追う。

「……母さん」

 ポツリと呟いた声に、返事はない。
 此処を卒業するのだろうか、胸にコサージュをつけ、晴れ晴れしい笑みを浮かべる母は、ラグーンの石像を見上げていた。その傍に、母の友人が歩み寄る。

「アンタ本当にその石像好きね」
「ええ。だってこれにはラグーンが封印されているんでしょう?何だか素敵じゃない」
「そんなの都市伝説みたいなもんよ。ナルと一緒」
「そうかな。私には、ナルもラグーンも都市伝説には思えない」
「全く、ヒカリは夢見がちなんだから」
「あらいいじゃない」

 そう言って笑う母は、息子の俺から見ても綺麗だった。

「いつか、本物のナルが居る世界を、見せてあげたいな」

 その言葉を最後に、景色が消えていく。
 誰に、と聞いても意味がないのに、尋ねてみたくなる。その言葉は、誰を思っての言葉だと。駄目だ。こんな過去を見ていても意味なんかない。過去は過去。変えようのないことだ。これ以上此処に居たら、俺は――。

(彼を探そう……)

 頭を左右に振って、考えを断ち切る。そして当てもなく足を踏み出そうとした時だった。


「――その必要は無いわ」


 ひんやりと冷たい手に手を掴まれた。しかしそれよりも、俺はその声に反応した。心臓がドクリと音を立てる。イヤに長い時に感じた。それ位、俺の振り返る速度が遅かったのかもしれない。そして漸く俺の目に、その姿が映った。

「母、さん」

 ひくつく喉から出た声は、自分の意志とは関係なしに震え、酷く掠れていた。そしてすぐに、次に目についたものがある。それは母の後ろ。完全にそこへ視線が移った瞬間には、俺は走り出していた。

「っ、安河内くん!」

 俺は急いで倒れている彼の傍に膝をついた。目は閉じられている。どうやら意識がない様だ。だが呼吸も脈も、何ら変わらない。良かった、一先ずは安心だ。安堵の息を思わず漏らすと、頭上でクスクスと笑う声が聞こえた。
 その場から見上げると、写真に写っていた時と同じ格好の母が、俺を見て笑っていた。

「余程大事なのね、その子」
「……」

 いや、母の筈がない。だってこれは過去の記憶だ。俺達が一方的に過去を垣間見ることは出来ても、こうして触れたり会話したりすることが出来る筈ない。違う、この人は違う。
 そう思っているのに、何故だろう。その考えは違うと、さらに否定してくる自分がもう一人いる。そんな俺の思いを察したのか、母の姿をした女が、困ったように笑う。

「そう簡単には信じられないわよね。でも、此処へ貴方たちを呼んだのは私なの」
「――!」
「此処に連れて来てくれたこと、感謝しているわ」

 俺の隣で膝をついたその人が、安河内くんの頭をソッと撫でる。

「ありがとう」

 俺は困惑していた。今すぐその身体を跳ね除けて俺達の傍から消すことも、恐らくは難しいことではないだろう。けど、心がそれを拒否している。そう、もう分かっているのかもしれない。この人が、本当に俺の母親だと言うことに。

「ナルの力って、やっぱり凄いのね」

 そう言って笑う母は、先程と何ら変わらない。美しく、綺麗だった。
[ prev | index | next ]

bkm