伝説のナル | ナノ


37

「母の遺体を前にしながら、俺は思った。今足を止めては駄目だと。グラグラで、今にも崩れ落ちそうな足元に必死にしがみ付いた。このまま歩む足を止めたら、きっと俺は俺でいられなくなる、そう感じたから」
「会長…」
「卑怯者だな、俺は。母を言い訳にしなければ生きてさえいけない。そんな俺を、母が憎み恨むのは当然のことだ」

 憎み、恨む?会長のお母さんが、会長を?
 怪訝な俺の表情に、会長がフッと笑みを零し、その意味を教えてくれた。

「先程、兄さんが言っていたのを聞いただろう?母の両親から言われた言葉を」

 そこでハッとする。
 お前さえいなければ――生きてる事を否定するかのようなそんな言葉を受けたら。俺ならきっと立ち直れないだろう。

「彼らはこうも言っていた。あの子は最後最後までお前を恨んでいたと。白河の家に一人のうのうと生きているお前が憎いと。そう彼らは俺に言った」
「そ、そんなっ」

 でも、会長を引き取ったのは会長のお父さんで、そこには会長本人の意志は無かった筈だ。それなのに、どうして幼い会長をそんな責め立てられるんだ。

「母は、自殺だったんだ」
「え……?」

 微かな怒りが湧き上がっていた俺に、耳を疑う言葉が入って来た。

「じ、さつ…」
「ああ。狂いに狂って、最後は首を自分で切って死んだらしい」

 絶句する俺に構わず、会長は何を思っているのか、棚の上に置いてある写真立てへと目を向けた。俺も静かにその先を辿ると、その写真に写っているのは、小さな男の子と綺麗な女の人。暗がりでもよく分かる。あれは、会長とお母さんだ。

「父は違うと仰るが、あの人の人生を狂わせたのは紛れもない。俺だ」
「……っ」
「だから俺はその責を負わねばならない。自分の頑張る理由を、生きる糧を見つけようとしているのも、結局全て自分の為だ。そうでもしなければ、俺はもう、この場所に立って居られない」

 俺は、ずっと会長は強い人だと思っていた。
 実際、魔導士としての会長は最強だと思う。人望もあって、頭もいい、それに格好いいと全て何でも揃っていて、完璧に熟せてる人だと思っていた。けど、そうじゃない。そうじゃないんだ。

「父が俺に戻って来いと言ったのは、何も今回が初めてではない。あそこまで踏み込んで来たのは初めてだったが……それでも俺は、あそこを去る気はなかった」
「なら何故今回、その指示に従ったんですか?」
「五年」
「え?」
「五年と言う歳月は、俺に色んなものを見せてくれた」

 そう言って儚げに笑う会長を見て、俺は失礼かもしれないが心が震えた。それ程までにその姿は綺麗でいて、美しかった。

「だから、気付いたんだ」
「何に、ですか?」

 俺の質問に、会長の瞳が一瞬揺れた。

「俺の、醜い心の内に――」





 最初は違った。
 目的を違えることなく前に進んだ。前しか見ないようにしていた。そうしなければいけなかったから。けど、五年と言う歳月は俺に影響を及ぼし始めた。母を死に追い込んだ責を背負い、白河として生きて行く俺に本来なら自由などない。しかし、冥無は俺に自由をくれた。そして気がつけば、前しか見ていなかった俺の横には、俺を支えてくれる数々の仲間たちが並んでいた。

「だから、俺は思ってしまったんだ」

 いつの間にそんな感情が芽生えていたのだろう。
 ハッキリとは分からない。しかし確かに俺は考えてしまった。本来なら許されることのない、とても罪深き事。
 ――そう、責から逃れる方法を。
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bkm