伝説のナル | ナノ


5

 俺を此処へ連れて来いと命じた張本人。その人とまさか対面することになるとは……言いたいことは確かに沢山あるが、俺がそれを口に出来るかは分からない。

「複雑そうな顔をしていますね」
「…別に、してません」
「眉間の皺を取ってから、もう一度同じセリフをどうぞ」

 思わずギッと睨み付ける。けど相手には効果はないようで、ただクックッと笑うだけだった。分かってるよ、図星だよどうせ。その後も色々話しかけてきたけど、エレベーターがつくまでの間、ムカつくから適当な相づちだけただひたすらに打っていた。それでも気にしていないのか、彼はニコニコ笑うだけだった。何だか調子が狂う。





「さあ、此処ですよ。どうぞ」

 最上階、目の前にある大きな扉を開けずに立ち止まっていた俺に、黒服の男はそう言うや否や、扉をノックして開けた。この人は俺に心の準備もさせてくれないのか。扉が開き、視界一杯に広がるだだっ広い部屋の中にポツリと机が置いてある。そしてそこにはスーツを着た男が一人、書類なのだろうか…たくさんの紙に囲まれて座っていた。

「――おせぇ」

 低く耳の奥に響くような声。それを聞くと同時に、後ろで扉が閉じた音がした。

「いやぁ、すいません。俺が立ち話をしてしまったせいで」
「お前のせいかよ凪」
「それより学園長。彼の同室の相手が尚親なのはどうしてですか」

 凪と呼ばれた黒服の人が、俺の横に並び、機嫌が悪そうな学園長に問いかけた。今聞かされたのか、その言葉にはあ?と眉を寄せる。

「マジかよ。空き部屋が少ないとは思っていたが、まさかアイツの所に振り分けるとか…何考えてんだ教頭は」
「何も考えてないでしょうあのハゲは」
「かつての担任に暴言吐くなよ」

 バサッと眺めていた書類を置き、学園長が徐に立ち上がった。そして、カツカツと高そうな革靴を踏み鳴らして此方へ向かってくる。

「ですが、尚親にはちゃんと言っておきましたから大丈夫です。前みたいに生徒が追い出される心配はないでしょう」
「そうか」

 そして、その足は俺の前で止まる。昼間に案内してくれた人と同じぐらいの身長なのか、俺が少し見上げる形になった。こんな真ん前に立たれると妙な圧迫感がある。そう思って一歩後ろへ下がろうとするよりも早く、学園長が俺の方へと手を伸ばした。
 殴られる――かつての幼い頃の記憶が過ぎり、瞬間的に身体が揺れる。そのまま触れるはずの手は、ビクリと身を硬くした俺により一瞬止まったが、少し間をおいて彼は俺の前髪を上げた。まさか髪を上げられるとは思わず、目を丸くして学園長をみる。

「やっぱ、俺に似て男前だわ」

 そう言ってニッと笑う彼の顔に、どことなく懐かしさを覚えた。そう、この顔、何処かで見たことがあるような気がする。

「親バカみたいな発言は控えた方がいいですよ。それに貴方じゃなくて弟さんに似たんでしょう」
「うるせぇ。良いんだよ、血縁関係にあんだから」
「……え?」
「紹介が遅れたな。俺は安河内剛…お前の親父の兄弟だ」

 一度だけ、父の遺品を見せてもらったとき、その中に家族の集合写真があった。そこには、父と肩を組んで笑う何処か父の面影のある男の人が並んでいるのを見たことがある。そうか、この人が…。

「本当は俺が迎えに行きたかったんだが、どうしても抜けられない用事があってな。悪かった…代わりに、そこの凪に頼んだんだが、やけにすんなりお前を行かせたな、あの夫婦。浩幸の葬式で、俺がお前を引き取ると言ったときは一歩も引かなかったくせによ」
「どんな連れ方でも構わない。なんて脅されたら、言うこと聞かないわけにはいきません」

 俺の言葉に、学園長が勢いよく凪さん?の方を見る。

「お前なぁ…」
「ああ言った輩にはそれ位が丁度いいんですよ。まあ、住んでる環境が悪くなければ無理矢理連れてくることはしなかったんですが、宗介くんにあそこは良くない影響しか与えませんよ」
「っ、何でアンタにそんな事分かるんだ」

 ハッキリと迷いなく言い切った凪さんに、俺は語尾を荒げた。つまりあの脅しはハッタリだったってことだ。なのに俺はそれに騙されて此処まで来てしまった。もう何もかも遅いのは分かってる。けど、この人達は分かってない。

「では何故そんな何もかも諦めた顔してるんです?」
「…な、に」
「嫌なら嫌と言えばいい。行きたくない、友人と離れたくないと。口があるんだ、それぐらい言えるでしょう」
「お、俺は…!」
「それなのにホイホイと招かれるがままについて来て…それが言えない時点で此処にいては駄目だと判断できますよ」

 ガツガツと心の奥底を抉られていく。この人は、俺の弱いところを的確についてくる。イヤだ、聞きたくない。分かってるんだ、そんなことは。だからこれ以上何も言わないでくれ。

「その前髪だってそうです。色々言われるのが嫌だとか言って、本当は自分が……!」
「っ、宗介!?」

 凪さんがそこで言葉を切った。学園長も驚いた声を上げてる。けど、俺は二人の姿を捉えることは出来なかった。ボタボタと大粒の涙が溢れてくるから。おかしい、俺はいつからこんなに涙を流すようになったんだ?昨日といい、涙腺が緩んでるんだ。
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bkm