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俺の言葉の意味が理解できなかったようで、会長のお兄さんは小さく俺の言った言葉を呟いた。
「かわい、そう…?可哀想だと……この俺が!」
俺に馬鹿にされたと思ったのか、会長のお兄さんは顔を真っ赤に染めて俺を睨み付けてくる。
「この俺のどこが可哀想だって言うんだ!ええ!」
「見たまんまだ。心底可哀想だよ、アンタは」
「貴様ッ…!」
相当頭にきているのか、彼は立ち上がると俺の胸倉へと手を伸ばしてきた。グッと掴まれ引き寄せられると、そのまま暴言の数々を浴びせられる。
「うるせぇんだよクソ愚民が!この俺を誰だと思ってんだ!舐めた口ききやがって…ッ、今すぐそこの窓から突き落としてやろうか!?」
「英光…お前…」
会長のお父さんが、お兄さんの豹変ぶりに驚いている声が聞こえた。確かにこの前もこの人は父親の前では猫被ってたな。だが頭に血が上っているのか、猫被りできていないことにこの人は気付いてなさそうだ。
「何急に大人しくなってんだよ!何とか言えよ!」
「アンタは、教わらなかったんだな」
「ああ!?」
「アンタだけのせいとは言わない。周りの環境がそうさせたのかもしれない」
突然話し出した俺を、血走った目で見下ろすお兄さん。
「それでも俺は、人を思う気持ちを知らないアンタを、とても哀れに思う」
「な…」
けどまあ、俺も人のこと言えないな。全部諦めていたから、人との関わりなんかなくていいと思っていた。けど、皆に教えてもらった。大切な事、沢山。今更と思われるかもしれないけど、俺は皆から教えてもらった人を思う気持ちをずっと大事にしていきたい。少しでもその人たちに返していけるように、この温かい気持ちを持ち続けたいと思ってる。
「自分の発言がどれだけの人を傷つけ、そして悲しみに追い込むのか、アンタは考えなかったのか?」
「な、何故俺がそんな事を気にしないといけない!俺は白河家の人間だぞ!選ばれた人間なんだ!」
「へえ……選ばれた人間なら、何を言ってもいいと?」
「当然だ!貴様の様な薄汚い愚民とは違うんだよ!」
何を言っても無駄なのか。この人には俺の言葉は届きそうにない。そう思ったら、抑えていた胸の奥の熱が、徐々に溢れていくのが感じられた。熱い、頭の奥底が。そして少し、皆が遠い。
「黙ってないで何とか言えッ……あ…?」
ドタンッ!と音を立ててお兄さんが盛大に尻もちをつく。何が起こったのか分かっていないのかポカンと大口を開けて俺を見た。対して俺はその場から立ち上がり、彼を見下ろし、そして笑う。
「アンタの心の内、全部暴けば」
「ひっ…!」
「少しは、分かってくれるか?」
彼の中にある恐怖全部を引き出せば、きっと思い知る。そう、思い知ればいい。言葉のナイフで切り付けられる者の痛みを、自分で味わえばいい。そうすれば、きっとこの人の心はグチャグチャに――。
「アイツは、そんな使い方はしないだろう」
「――!」
お兄さんの額に触れようとしていた俺の手を、横から誰かが掴んで来た。ひんやりと冷たい手。それを辿れば、俺を見下ろす純粋な瞳と目が合う。
「会、長…」
「魔力の高い那智なんかが使うと、分析だけじゃない。心の中を暴くことが出来る。無論、今のお前が使っても同じだ」
会長は何を言っているんだ。いや、違う。俺が、何をやっているんだ。
「確実に、兄さんは壊れてしまう」
「あ、俺…何を…」
「お前はそんな事をするヤツじゃないだろう?気をしっかり持て。力に呑まれるな」
人を思う所か、俺は今人を壊そうとした?違う、違う!俺はそんな事したかったんじゃない!ただ俺は会長に向って言ったあの言葉が許せなかっただけで、なのに…!
「大丈夫だ」
「え…っ」
「本当のことだ。俺が母を殺したようなものだから」
「それは違っ」
「けど、そうだと決めて諦めて、もう怒りも湧いてこない俺とは違う。お前は、俺の為に怒ってくれたんだな」
そう言って会長は、少し口元を緩め、俺の手を離した。
「ありがとう」
そしてそのまま俺の頭をポンポンと叩く。
けど違う、俺はそんなお礼を言われるような人間じゃない。
「っ……」
「そう言っても、お前は中々納得してくれそうにないな」
少し困ったような会長は、ポンと俺の肩を軽く叩くと、俺を退かしてお兄さんの前に膝をついた。冷や汗を浮かべ、動揺しきっているお兄さんは目の前の会長を睨む力もないのか、目を見開き口を大きく開けたまま会長を見ていた。
「兄さん。私の後輩が失礼しました」
「……」
「ですが私の事は何とでも仰って下さって構いませんが、彼を侮辱するのはやめて下さい」
「会長…」
「あまり煽って痛い目を見るのは、貴方なのだから」
放心するお兄さんに言うだけ言った会長は、立ち上がると、今度は親父さんの方を見た。会長のお父さんは顔の前で手を組み、困惑たように俺を見ていた。