伝説のナル | ナノ


32

「晃聖…」

 会長のお父さんが、会長の登場に少し驚いた顔をする。そんなお父さんを見据えながら俺の横に並んだ会長は、深々と一礼した。

「申し訳ありません父さん。お話の途中に」
「いや…」
「ですが、自分の事を話している様でしたので」

 だが会長の言葉に、会長のお父さんは小さくああ…と、感情を読み取らせない声で呟くだけだった。俺は俺で黙り込んだ。確かに俺は会長と話をしたくて来たけど、まさか会長のお父さんと話している所に本人が来るなんて。しかも本人そっちのけで言いたいこと言ってしまったし。会長にとったら、本当何しに来たんだコイツと思われても仕方のない場面だったな。とても気まずい。

「それで、今彼が言っていた事ですが――」

 そう言って、俺の背にそっと誰かの手が添えられた。いや、誰かと言うのは愚問か。思わず勢いよく顔を向けると、漆黒の中で静かに揺らめく深みのある紅い瞳と目が合う。あまりに真っ直ぐなその眼差しからは、怒りは感じられない。てっきり俺が居る事に怒っていると思っていたんだけど。
 そう、どちらかと言うとこの感じ、俺はよく知ってる気がする。そんな事をぼんやりと思いながら会長を見つめる。そしてその会長がゆっくり口を開いた瞬間だった。

「俺は……」
「父さん!」

 会長の声を遮って部屋に入って来たのは、何と会長のお兄さん。この人に対してはいい印象がない、と言うか会長や凪さんにしたことに怒りすら覚える為、俺は小さくお辞儀するだけに留めておいた。しかしそんな俺を一瞥したお兄さんは、フンッと鼻を鳴らし、ズカズカと俺の方へ寄って来た。

「こんな時間にどこぞの無礼な来客かと思えば、晃聖の友人か。ならばその不心得な態度も頷ける」
「……夜分遅くに申し訳ありませんでした。ですが、どうしても俺は白河会長と話がしたくて参りました。もう、時間がありませんので」

 確かに態度は悪かった。けど、俺のせいで会長まで悪く言われるのは嫌だったため、俺はグッと堪えてお兄さんに頭を下げる。相変わらず不満げな表情を浮かべたままのお兄さんは、俺の話に特に興味もないのか、へえと軽く相槌を打つだけだった。
 ならもういいだろうかと思った俺が口を開いた瞬間、会長のお兄さんは心底面白く無さそうに呟いた。

「こんな母親殺しの為に学園から此処まで来るなんて、相当暇なんだな冥無の学生は」
「……え?」
「英光!!」

 その言葉に反応したのは俺だけではなく、会長のお父さんもだった。声を張り上げお兄さんを怒鳴る。それに少し怯んだお兄さんだったが、会長を庇うようなお父さんの態度が気に入らなかったのか、早口に捲くし立てて来た。

「だ、だって本当の事じゃないですか!コイツが此処にいるせいで、あの女は死んだ!間違ったことは言っていない!」
「お前…!」
「俺は憶えてますよ!あの女の両親に『お前さえいなければ』とまで言われていたことも!」
「な、何故お前がそれを…」
「見ていましたからね。掴みかかられて壁に叩き付けられて暴言の数々を浴びせられているこいつの姿を…!」

 何の話だ、これ。耳に入って来るのに頭で理解しきれない話。俺は、無意識に会長を見上げていた。会長は、ただジッと、お兄さんとお父さんを見つめていた。

「あれは晃聖には何の非もない。ただの事故だ。晃聖は悪くない」
「父さんっ、何故そいつばかり気にかけるんですか!父さんに執着して汚い手で屋敷に入ろうとした意地汚い女の子供ですよ!なのに何故!」
「英光!これ以上此処で騒ぐだけなら出て行きなさい!」

 二人が言い合う声だけが部屋に響く。俺はそれを聞きながら、静かに、ゆっくりと会長のお兄さんへと歩みよった。

「安河内くん…?」

 俺の小さな異変を感じ取った会長が、俺を呼ぶ。しかし俺は、それにも答えず会長のお兄さんの傍に立った。

「ッ、何だお前は!邪魔する…っひ!」

 俺の顔を見るなり、悲鳴を上げその場で尻もちをついたお兄さんは、来るな!と俺に向って叫びながら後退っていく。だが俺は、後退る度、その足を前へ進めた。

「……っ」

 そして会長のお父さんまでも驚いたように目を瞠っていた。でも今はどうでもいい。そんな事は。俺は、壁際まで追い詰められたお兄さんの前にしゃがんで、怯えるその人に、笑いかけた。


「可哀想だな、アンタ」


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bkm