そして君に恋をする

U-17合宿唯一の女子であり、唯一のマネージャーであるレイ。
その存在は良くも悪くもむさ苦しい男子の話題にあがっていた。



献身的マネージャーであるレイは大量にある仕事を文句ひとつ言わず全て完璧にこなす。
その姿に歓心を示すものもいれば、完璧すぎるが故に文句を言えず嫌悪を向ける輩も少なくはない。
そんなことを知っていながらも誰にでも明るくふるまうのが入江正一が知っているレイという人物である。



「あ、入江先輩!おはようございます」



「おはようレイちゃん。今日も早いね」



まだ選手たちが起き始める前。
入江が自主練習のために外へでるとすでに彼女は仕事を開始していた。
選手たちが万全の状態で練習を始められるように彼女がこうして毎日準備をしていることを知っているのはこの合宿の中でも少ない。



「自主練習ですか、さすがですね」



「3番コートから落ちるわけにはいかないからね」



「ふふっ、入江先輩に限ってそんなこと天変地異でもない限り起きませんよ」



「言ってくれるじゃないか」



こんなに親しげに話しているのはレイと入江が同じ学校所属だからである。
校内でも数回すれ違うことはあったが、男子テニス部マネージャーとしてレイは所属をしていなかったため、この合宿で発表されるまでは入江もレイが有能なマネージメント力を持っていることすら知らなかったのだ。
一方レイは校内でも有名な入江のことは噂でも耳にしていた。



「それじゃあ、頑張ってください」



すでに汗をかいている彼女にタオルを差し出そうとしたが、その前に彼女は入江の前から走り去ってしまった。



「…ちゃんと水分補給をとるようにって、言いそびれちゃった」



ポニーテールを揺らしながら駆けていく後ろ姿を見つめながら入江は笑みをこぼした。























入江がその違和感に気づいたのは夕食のときだった。
いつものように徳川、鬼、入江の3人でテーブルを囲んで談笑しながら夕食にありついているといつもいるはずの彼女の姿がいない。



だいたい夕食のときは決まって指定席(になっていた)に座っているはずなのだが今日はまだその姿は見えていなかった。
仕事の関係で遅くなることもしばしばあったが、今日は遅すぎる。



妙な胸騒ぎを覚え、徳川達に断りを入れると入江は一人レイの捜索にのりだした。
広い敷地の中で小さな彼女を見つけることは容易ではないが入江とて馬鹿ではない。
むしろ頭のキレる方で、彼女の行きそうな箇所を効率的に潰していく。



しかし考えられる限りの場所を探しても彼女は見つからなかった。
入江の頭に朝の彼女の笑顔が浮かぶ。
そしてなぜ自分がこんなにも必死になって他人を探しているのか疑問に思った。




その時聞こえてきた数名の声。
こんな時間に、こんな場所で何をしているのか。
ついでにレイをみたかどうか聞こうと彼らに近づいた時だった。



『おい、さすがにあれはやばくねーか?』



『コーチにばれたら……』



『お、俺ら手は出してねーし大丈夫じゃね?』



穏やかではない会話に入江は大方の予想を導いた。
そして自分の中に蠢いた黒い何かに従うことにする。



「……ねえ、その話詳しく聞かせてもらえるかな?なるべくてっとり早くね」



『い、入江さん!?』



怯える彼らを無視し、強制的に吐かせた入江は示された場所へと急ぐ。
時間も時間なのでもたもたしている暇はない。
こうしている間にも彼女が…そう思うと自然と足が速くなった。

















使用不可になった器具などが溜めてある普段人の寄り付かない倉庫。
周囲に人気はなく、薄暗い景色が広がる。
近づいていくとついているはずのない電気の光がその倉庫の扉から漏れていた。



『女子が調子乗って入江さんにとり入ってんじゃねえよ!』



『見てたんだぜ?今日の朝入江さんと二人で話してんの』



『男好きだってばらされたくなきゃ黙って俺らの言うこと聞いとけよ?』



『こっちだって練習漬けの毎日で溜まってんだ、男好きのお前にはちょうどいい仕事だよなぁ?』



入江がそっと覗くと男が二人、レイを囲んでいるのが見えた。
見覚えのある顔に溜息が洩れる。練習漬けなんてよく言うと。
彼らの会話を携帯のボイスレコーダーで録音し、揺るぎようのない証拠を抑えるために今まさに彼女に触れようとしている瞬間の写真を撮った。
もちろん彼らの顔がバッチリと写るように。
そして入江は気配を消し彼らに接近する。



「い、いや……」



『うるせえよ、黙って大人しくしてろっ!』



レイに向かって振り上げられる手。
ぎゅっと目をつぶったレイにその手が当たる事はなかった。



「…悪いんだけど、その汚い手で彼女に触らないでくれるかな?」



『い、入江さん!?』



男の手をがっちりと掴み、逃げられないようその手を男の背につける。
唖然とするレイを余所に逃げようとした男の行く手をその長い足で阻んだ。
ダンッという大きな音に驚いて逃げようとした男は腰を抜かしてその場に尻もちをつく。
その横に押さえつけていた男を放り投げると怯えた目で入江を見る二人にニッコリと微笑んで目線を合わせた。



「それで?何をしようとしていたのかな?」



『お、俺らはただ…』



『こ、こいつが仕事サボってたんすよ!それで注意を!』



入江が笑顔だということに誤解したのか必死で弁解をする二人。
うんうんと笑顔でうなずく入江にさらに調子に乗ったのかレイにどんどんと根も葉もない罪をかぶせていく。
だんだん表情が暗くなっていくレイに入江はもういいかと心の中で区切りをつけた。



「君たちの言うことが正しいとするなら……これは一体なんだろうね?」



彼らの目の前に突き付けられたのはさっきの音声と証拠写真。



『…そ、それは!』



「……ねえ、そんな嘘が僕に通じるとでも思った?ずいぶん3番コートも舐められたみたいだね」



さっきまでは入江の笑顔に安心していた彼らもここにきてようやく笑顔の裏に見え隠れしている何かに気づく。
しかし気づいたところで手遅れだった。なぜなら彼らは入江を怒らせたのだから。



すくっと立ち上がった入江はちょいちょいとレイに手招きをする。
寄ってきた彼女の耳を自分の腕で塞ぎ、手で目を塞ぐ。



「彼女に手を出してただで済むと思うなよ?」



ヒッと息をのむ彼らにさっさと消えろと命令すると逃げるように倉庫を出て行った。
逃げたところで証拠はあるのだから、あとは戻って入江がそれをコーチ陣に提出すれば万事解決。
あのコーチ陣もレイには甘いときているから彼らがもうこの合宿に残れる可能性は0だろう。




レイを解放すると突然消えた彼らに驚いていた。
何をしたのかと心配するレイもたいがいお人よしである。




「怪我はないね?」



「あ、はい。助けてくれてありがとうございます!」



「僕が来るのが遅かったら今頃レイちゃんはどうなってただろうね?」



「……え?」



可愛く首をかしげながら顔を近づけられレイは思わず後ずさりをする。
にも関わらず入江は距離を近づけてくるので後退を続けていくと壁にぶつかった。
そんなレイを身長差的に見下ろす形となった入江は必然的に上目づかいになるレイに天然って怖いとつくづく実感する。
さっきの男どもの手に触れさせてたまるものか、むしろこの合宿にいる男ども全てにも触れさせたくはないと。
それはたとえいつも一緒にいる徳川や鬼であってもだ。



「まさか助けた僕にお礼のひとつもない、なんてことは…ないよね?」



「えっと…何かすれば?」



我ながらずるいと思った。
こう言えば優しい彼女が拒絶する術はないことを入江はよく知っている。
入江の空気を感じ取ったのか目に怯えを含ませ始めた彼女の横に手をつけ唇が触れるか触れないかのところまで顔を接近させた。



「…っ」



「……ねえ、僕の彼女になってよ」



囁かれた言葉と唇に感じた入江の吐息にレイはビクリと肩を揺らす。
声を漏らせば触れてしまいそうなのだ、入江に。
そのため肯定も否定もできないレイを知ってか知らずか、入江はさらに続ける。



「……だめ?」



「ち、近い……っ」



「いいから早く僕の質問に答えてよ」



ぐいぐいと入江の胸を押すもなんの抵抗にもならないことはレイとてよく知っていた。
しかしやらずにはいられない距離に入江はおかしそうに目を細める。
空いているもう片方の手でレイの両手を纏め上げるといよいよレイに抵抗の手段はなくなっていた。



「ちょっ…」



なかなか答えようとしないレイにしびれを切らし、入江は次の意地悪へと移る。
ふうっと彼女の耳に息をかければ面白いくらいに反応した。




「やっ…いやぁ」



「早く答えないと、もっと意地悪するよ?」



この状況を一番楽しんでいる入江は彼女の答えを急かすというよりむしろ妨害していた。



「ほらレイちゃんはやく」



「入江先輩なら…わかってるんじゃないんですか?」



「いくら僕が理解者だからって万人の感情を読み取れるわけじゃないよ。それにレイちゃんは案外読み取りにくい子だからね、僕も苦労してるんだ」



ようやく手を止めた入江にレイはほっと息を吐く。
しかしいつまた魔が差すかわからない状況。
入江の気が変わらないうちに、とレイは決意すると入江の目をはっきりと見据えた。



「…私は、入江先輩が好きです」



「……っ」



答えを求めていたのは入江のほうにも関わらず、不意打ちをくらったような表情をする。
彼女になるかならないかという質問だったはずなのに突然好きだと言われるのは入江には計算外だったようで。




一方レイは言葉を発しなくなった入江に不安を覚えていた。
その表情がだんだんと曇る。
入江は自分を助けた見返りとして彼女にならないかと言っただけでレイが好きだからとは言っていない。
もしかしたら入江は自分のことが好きなんじゃなく、ただ面白いから付き合えと言っただけかもしれないと。



「あ、あの……入江せんぱっ!?」



「ああもうレイちゃん可愛すぎ」



入江は拘束を解くと、思い切りレイの体を抱きしめた。
くすぐったさに身をよじるレイにさらに力をこめる。



「僕も好きだよレイちゃん」



「……ありがとうございます」



「これからよろしくね」



その日を境に周囲の目は変わった。
レイを悪く言うものはいなくなり、また好意の視線を向けられることもない。
レイは急にみんなが優しくなったと嬉しそうに入江に報告するが、それを裏で手をまわしていたのは入江自身なのだ。



「今日からレイは僕の彼女だ。悪意好意に関わらず手をだそうものなら…」



わかっているね?
そう言い放った入江に逆らおうというものはいなかった。
そして何も知らない彼女は幸せそうに笑う。



「入江先輩!」



今日も笑顔を振りまく彼女に入江は手を振り返した。




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