右手に絆を、左手に愛を。 | ナノ


▽ 11


阿笠博士の元に届いたケーキというのは、有名店のガトーショコラと抹茶のパウンドケーキのセットだった。先日機械製造業を営む阿笠の友人が機械トラブルに見舞われた際に、阿笠がその知識を駆使してあっさりとそのトラブルを解決したらしく、その感謝の気持ちとして贈られた代物らしい。だが、阿笠は同居の哀に厳しく食事管理をされてしまっているため、少年探偵団が呼ばれたとのことだった。哀がキッチンで人数分に分けたケーキを持ってくると、子供達は待ちきれないとばかりに目を輝かせている。頂きますと元気な声をあげると、いそいそとフォークを手に取りケーキを頬張る姿はまるで小動物のようだ。

「「おいしーい!」」
「うまいぞ、これ!」

きゃあきゃあと喜びながら食べる子供達に、コナンと哀は大人達とともに温かい視線を送る。そんなコナンと哀の様子を見た優華は、この2人は他の3人と同級生とは思えないほど大人びているななどと考えながら抹茶のケーキを口にする。濃厚な抹茶の味が口の中に広がる。確かに有名なお店のケーキだけあって美味しい。優華は無意識に頬を緩ませたのだった。

その後全員がケーキを食べ終えると、元太、光彦、歩美の3人はさっさとテレビの前に座り込み、阿笠博士が作ったというゲームを始めた。阿笠はそんな子供達のすぐ近くに座り込み、時々子供達にゲームの解説をしながらその様子を伺っている。コナンはと言えばソファーに座ったままその様子をコーヒーを飲みながら見守っており、一方の哀はパソコンへと向かって何か作業をしている。大人びた子だと思っていたけど、その姿は大人びているというよりもまるで体の小さな大人みたいだ。優華はそんなことを考えながらその背中をチラリと見た。

「しかしまたあなたにお会い出来るとは思いませんでした。」
「私もです。本当にすごい偶然ですよね。改めてお礼が言えてよかったです。今日ここに誘ってくれたコナンくんに感謝しなくちゃいけないですね。」

ふいにかけられた沖矢の言葉に、優華はコナンに視線を送りながら笑う。コナンはどことなく居心地の悪そうな笑みをうかべており、優華は一瞬疑問に思ったものの、疑問に思っていたことを沖矢に尋ねる。

「そういえば沖矢さんは阿笠さんとはどういうご関係なんですか?」
「ああ、僕は隣の家に居候させて頂いているんです。数カ月前に住んでいたアパートが火事になって焼け出されてしまいまして。」
「火事!?」
「それでどうしたものかと悩んでいた時に知人の紹介で隣の家に住わませて頂くことになったんです。その縁で阿笠博士とも仲良くして頂いているんですよ。」
「そうだったんですか・・・それは大変でしたね。」

火事で家を失うというまさかの出来事に優華はしみじみと呟く。すると、沖矢はははと乾いた笑いを浮かべた後、そういえば、と思い出したように言い出す。

「コナンくんから少し聞きましたが、桜月さんはアメリカで日本語教師をされているとか。」
「え?ああ、そうなんですよ。今は休暇で一時帰国をしているだけなんです。」
「どれくらいの間日本にいらっしゃるんですか?」
「まだ決めていないんです。しばらくは日本にいると思いますけど。」
「そうなんですね。ではまだ時間はありそうですね。」
「はい?」

時間があるとは?沖矢の言葉の意味するところがわからず首を傾げる優華に、沖矢は意味深な笑みを浮かべた。

「いえ、あなたが日本にいらっしゃる間にあなたとお近づきになれたらと思いまして。」
「・・・はい?えっとおっしゃる意味がよくわからないんですけど・・・。」
「早い話、あなたの恋人に立候補したいということです。」

この人一体何を言いだすんだろう。優華はそんなことを思いながら顔を引きつらせた。

「・・・沖矢さん、人をからかわないでください。私達お会いするの2回目ですよね。」
「おや、僕は本気ですよ。人に惹かれるのに時間なんて関係ないでしょう?・・・それとも心に決めた恋人がいらっしゃるんですか?」
「・・・恋人、は・・・。」

優華の脳裏に鋭い緑の瞳を持つ恋人の姿がよぎり、胸が苦しくなる。黙り込んでしまった優華の態度が恋人はいないという意味だと解釈した沖矢が口端をあげる。

「恋人がいらっしゃらないのならまだ僕にも一縷の望みはありますよね。」
「・・・無理ですよ。私には忘れられない人がいるので。」
「忘れられない人?」
「・・・私の恋人、少し前に・・・亡くなったんです。」

少しの沈黙の後に呟かれたその言葉にコナンがそっと優華に視線を送る。同時に哀もキーボードをうっていたその手をとめて眉間にしわを寄せる。優華は悲しげに瞳を揺らして自嘲するように笑う。

「私、どうしても彼のことが忘れられないんです。今でもよく彼のことを考えては泣いてしまう。だから無理ですよ。・・・それにほら、よく言うじゃないですか。死んだ人にはかなわないって。」
「確かに言いますね。けれどそれはあくまでも一般論ですよね。」
「え・・・。」
「恋人のことは・・・お気の毒です。ですが、あなたがその彼を忘れられないという確証はどこにもない。それに辛いのなら他の人と付き合ってみるのもいい治療法ですよ。」
「そんな簡単に言わないでください。」

そんな簡単に心の整理がついたならここまで苦しい想いを抱えたりしていない。苦しさから楽になりたいという気持ちはあるけれど、彼のことを忘れたいわけではない。あんなに愛した人を忘れることなんて出来るわけがない。

そんな優華の心中など気にしないとばかりに、沖矢は不敵な笑みを浮かべる。

「僕は待つのは嫌いではありません。が、あなたはいつまたこの国から旅立ってしまうかもわからないですからね・・・。それまでに僕の方へと振り向かせて見せますよ。」
「・・・沖矢さん、変わっているって言われません・・・?」
「あいにく心当たりはないですね。」

なんだかめちゃくちゃな展開に優華は呆然とするしかなかった。そして沖矢に請われるまま連絡先の交換をすることになった優華は、なぜか流れでコナンや哀とも連絡先を交換することになった。沖矢という人物は人当たりはいいが、意外に強引なところもあるらしい。

けれど、不思議なことになぜか彼の強引さに優華が不快感を感じることはなかった。

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