右手に絆を、左手に愛を。 | ナノ


▽ 8


「安室君に近づく女がいる?」

工藤邸に居候している沖矢こと赤井はコナンから伝えられた情報に眉を顰めた。相談したいことがあるとコナンから連絡を受けたのは夕方だった。その後やってきたコナンを家に招き入れるとコーヒーの準備を進める。見かけに反してこの少年はコーヒーを好む。その事実を知る赤井はひいたばかりの豆を使ってコーヒーを入れていく。部屋にはあっという間にコーヒーの香りが充満した。香ばしい香りに包まれながら話を進めていくと、コナンから意外な事実を告げられた。

「今日ポアロで昼ご飯を食べていたら初めて見かける女の人が来たんだけど、安室さんのことを透くんって呼んだんだ。もうポアロ中大騒ぎでさ・・・。彼女は昔からの友人だと言い張ってたけど、安室さんの方は・・・なんていうか、あからさまではないし本当になんとなく、なんだけど、彼女を見る視線が少し柔らかかったような気がするんだ。友人というよりも大事な人を見るような・・・そんな目に見えた。」
「ホォー、安室君の愛しの君・・・というわけか?」
「まあはっきりとはわからないんだけど。そもそも彼女が本当に安室さんの友人なのか、それとも組織の人間なのか、はたまた公安としての知り合いなのか・・・そこもわからないしね。見ていた感じでは本当に友人に接している感じで普通の女性っぽかったけど・・・。ただどういう人物なのかはっきりするまでは要注意人物かなとは思うんだ。」
「そうだな・・・それでどんな女性だ?彼の愛しの君は。」

小さな探偵が感じたことが真実かどうかはともかくあの彼がそんな反応を見せるのは珍しい。そんなことを思いながら何気なく尋ねた言葉だったが。

「名前は桜月優華って言ってた。アメリカで日本語教師をしているらしいけど、最近アメリカから一時帰国したらしいよ。」
「・・・なんだと?」

コナンの口から出た言葉に、赤井は思いもよらず言葉も出せない程衝撃を受ける羽目になった。目を見開いて固まってしまった赤井にコナンはアーモンド型の目をさらに丸くする。

「・・・赤井さん、彼女のことを知ってるの?あ、優華さんアメリカで教師をしてるって言ってたし、もしかして向こうでの知り合い?」
「・・・まあ、な。」

優華はアメリカ在住だと言っていた。仮に赤井と優華が知り合いだとすれば確かに驚きではあるが、全く有り得ない話ではない。けれど眉間に皴を寄せたまま黙り込むという、いつになく歯切れの悪い赤井の反応。ただの知り合いならばそんな反応は出てこないはずだ。ということはまさか。コナンは恐る恐る思い浮かんだ一つの可能性を示唆する。

「・・・あのさ・・・もしかして付き合ってた、とか?」

赤井がチラリとコナンに視線を送ると、真剣な表情で自分を見つめるコナンと視線が交わる。しばらくの沈黙の後に赤井はため息をつくと口を開いた。

「・・・ああ。」

マジかよ。

半信半疑ながら言ったことが当たっていたことにコナンは驚きを隠せなかった。

「す、すごい偶然だね。いつ頃別れたの?」
「別れてはいないさ。」
「は?」

別れてはいない。赤井のその言葉にコナンはきょとんとして目を点にする。

「来日してからもずっと連絡は取り合っていた。・・・最も赤井秀一が死んだことになってからは連絡は取ってないがな。」
「ちょ、ちょっと待って。それって現彼女ってことじゃ・・・え、というか優華さんは赤井さんが死んだと思ったまま生きてることを知らないってことだよね?・・・いいの?」
「・・・あいつはただでさえ危なっかしい。もちろん本当は生きていることを伝えたいが・・・こんな危険に巻き込みたくはないんでな。」

赤井は感情を押し殺すように瞳を閉じて呟くように答える。その姿からは本当に優華を大切に思っていることが読みとれる。FBIでも右に出るものはいないスナイパーであり、いつも冷静沈着であまり感情を表さない赤井がこんな反応をするとは。コナンは思わず息をのんだ。そんなコナンの反応をよそに、赤井は話を続ける。

「それから俺も以前あいつの情報を調べたことがあるが、家庭環境が普通よりは少し複雑だったくらいで特筆すべきもない一般人だ。組織に関わっているとは思えんが。」
「じゃあひょっとして本当に安室さん・・・というか降谷さんの友人・・・ってこと?透くんて呼んでいたけど、偽名を使ってることも知ってるってことになるけど・・・。」
「さすがに優華の旧友までは把握していないからな。絶対にあり得ないとまでは言いきれないが・・・。ただ彼が仕事に関することを易々と口にするとも思えんがな。」
「わけわかんねー・・・。」

コナンは頭を抱え込む。さすがの名探偵も情報が少なすぎて謎を解き明かすことは難しいらしい。だが、もしも本当に優華が降谷の友人というのであればなんという数奇な運命なのだろう。赤井は思わずそんなふうに思わずにはいられなかった。

「もしもだよ。もしも偶然に二人が本当の友人だったとしても・・・安室さんは本当に彼女に好意を持っているのか・・・それともまさか赤井さんと優華さんが付き合っていたことを実は知ってて、公安と組織のどちらの立場としてかはわからないけど、赤井さんの情報を手に入れるために赤井さんと付き合っている彼女を利用しようとしている・・・とか。」
「俺と優華の関係をそう簡単に知れるとも思えんが・・・ないともいえんな。」

バーボンとしての降谷零という人間は、一見すると人当たりはいいが実に強かな男だった。あの組織に属する者としては珍しく無駄な争いごとは好まないが、いざとなれば手段は選ばなかった。あんな組織で頭角を現そうと思えば無理のないことだが。

「もしそうだとしたら、優華さんを守らなきゃ。もし組織に目をつけられたら・・・危険だよ!」

コナンの言葉に赤井はコーヒーカップへと鋭い視線を送った。


――――


「零ってばどんだけモテてるの。」
「なんだ、いきなり。」

降谷は優華が住むマンションを訪れてジャケットを脱いだ途端そんな言葉をかけられ、降谷は呆れたように優華に視線を送る。

「ポアロで透くんて名前で呼んだだけで、あんなに質問攻めにあうなんて予想だにしてなかったんだけど。」
「僕もさすがにあそこまでの勢いは予想外だった。」

苦笑いする降谷に、優華はこれはこうなることを予想していたなと頬を膨らませる。

「さすが看板店員ってわけね。」
「「安室透」は人当たりがよく親切だからな。受けはいい。潜入にはもってこいのタイプだ。」
「見事に計算されているわけ・・・。」

それにしてもポアロでの降谷の別人っぷりには舌を巻かされた。顔はもちろん同じなのに、醸し出す雰囲気は全くの別人としかいいようがない程だった。

「そういえば・・・コナンくんって何者?あの子、本当にただの小学生なの?」

優華はソファに座り込んでクッションを抱えこんだまま、チラリと降谷に視線を送るが、その瞳には不信感が浮かんでいる。

「だから言っただろう。小学生とは思えない程鋭いって。」
「鋭いっていうか、なんか私それとなく探られてた気がするんだけど・・・?なんで?私なんか変な言動した?」
「そうじゃないさ。おそらくだが優華本人と言うより「安室透」の知り合いだから詮索されてるんだよ。・・・これ以上詳しいことは言えない。」
「・・・ますます意味わかんない。」

意味はわからないが、話せないということはこれ以上は自分が無暗に足を突っ込んではいけない領域なのだろう。日本に滞在している間に疑われることなく降谷と一緒に過ごせる時間を得る為に、そして降谷を自分のせいで危険な状況に陥らせないためにも自分の領域は弁えておかなければならない。

「ねえ、零。」
「なんだ?」
「難しいのかもしれないけど、あんまり無理、しないでね。」
「ああ。心配するな。」

そういって心配そうな瞳で見つめてきた優華の頭をなでると、優華は気持ちよさそうに目を細める。優華のためにも自分は死ぬわけにはいかない。降谷はそんなことを思いながら自分の片割れを見つめていた。

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