「はぁ、はぁっ、っ、……」
競技場から離れた、人気のない森の方まで来て、ラピスは木に凭れ掛かって座り込んだ。
運動不足が仇となり、彼女の心臓は凄まじく速く動いていた。
酸欠になりそうだ。
胸が痛い、苦しい。
この身体に流れている血は純血だ。
マグルの血は一滴たりとも混じっていない。
ミリアム家はマグルを毛嫌いすることはしなかったが、純血主義だ。
でなければ、ここまで純血の家系を保てることは出来なかったはずだ。
ブラック家がミリアム家を嫌悪していたのが分かる。
表向きでは純血主義ではないと言いながら、決してマグルの血を混ぜず、純血を守り抜いた。
世間の風当たりを考えて、表向きでは純血主義を主張しなかったのだ。
先祖の中には純潔主義者もいただろう。
ラピスが純血主義ではないのは、両親が純血主義ではなかったから。
もし、両親が純血主義だったなら――……
ラピスはペンダントをきゅっと握った。
ドラコと同じように、マグル生まれの魔法使いや魔女を嫌悪し、ハーマイオニーを"穢れた血"と罵っていたかもしれない。
ミリアム家も、結局はブラック家と同じなのだ。
ただ一つ違うことは、ミリアム家から闇の魔法使いは輩出していない。
誰一人、悪に手を染めたものはいなかった。
純血主義なのにも関わらず、誰一人として闇の陣営に就かなかったのは不思議だ。
何か一つでも違えば、自身も悪に手を染めていたかも知れない。
育てられた環境によって、悪は正義にもなり得るのだ。
「ラピス!」
顔を上げれば、ドラコが此方に走ってきていた。
髪を乱し、息を切らして、走っている。
顔を見たくないと思った。
口を聞きたくもない。
混乱して、どういった対応をすれば良いか分からなかった。
逃げたいが、最早走ることは出来そうにない。
ラピスは、ドラコとは反対の森の方に体ごと向いた。
「ラピス……」
ドラコが直ぐ後ろまで来て立ち止まった。
「ラピス、僕は謝るつもりはない」
はっきりと、彼は言った。
これ程はっきりとものを言う彼は珍しい。
「あいつは、何も知らないくせに、あんなことを!」
そうだ。
確かにハーマイオニーは、ドラコが選抜をパスしたことを知らない。
スリザリン生でさえ、未だ新しいシーカーとチェイサーを知得していないのだ。
しかし、ハーマイオニーがどれだけ酷くドラコを罵ろうと、あの言葉は言ってはいけない。
言ってはいけなかったのだ。
「あいつは、グレンジャーは、――君を傷付けた」
「え……?」
彼の思わぬ言葉に、ラピスは驚き目を見開く。
ハーマイオニーが、私を傷付けた……?
いつ?どうやって?
疑問が脳内を駆け巡る。
ハーマイオニーに傷付けられた覚え等ないのだ。
「君は、スカウトされたんだ。金を積んでチームに入ったわけじゃない。君は、才能で選ばれたのに!なのに、なのにあいつは!」
「もう良いわ」
ラピスは、ドラコの方を向いて言った。
彼の泣き出しそうな表情に、胸が痛んだ気がした。
「もう、良い」
立ち上がり、彼の固く握られた拳を手で包むラピス。
「だって……」
ドラコは、あのハーマイオニーの言葉を、自分自身に対しての言葉よりも、ラピスに対しての言葉として捉えていた。
勿論、自分自身に対してだと言うことは分かっている。
しかし、後ろにいる怯えたように小さくなっている彼女を、皆に認められる程の才能がある彼女を、頼み込んで不本意にチームに入ってくれた彼女を、僕の嘘を許してくれた彼女を、罵倒された気がして仕方がなかったのだ。
グレンジャーは何も知らない。
彼女がチームに加入したことも、加入するまでの経緯も、彼女の気持ちも、何も。
「ハーマイオニーは、何も知らなかった」
「そうだ」
「貴方が、どれだけ努力したのかも知らなかった」
「君のことだって!」
ラピスは首を横に振る。
「それでも、言って欲しくなかった」
あんな酷い言葉を、彼に言って欲しくなかった。
「私は、ハーマイオニーがどれだけ素晴らしい魔女かを知っているわ」
彼の表情が、ショックを受けたように変わる。
「それから、知っているわ。貴方が、どんなに優しいか。だから、」
ドラコの、見開からた瞳が、潤む。
彼の、私のことを考えて、私のことを案ずる言葉を紡ぐその口で、あんな酷い言葉を言って欲しくはなかった。
「だから、もう言わないで」
彼の頬を伝って、ぽとりと、ラピスの手に雫が落ちた。
彼の涙が清らかなように、彼の心もまた、清らかだ。
唯、育てられた環境が悪かっただけ。
彼の正義が悪に傾いているのは、彼の所為だけではない。
もしも、何かが違っていたら、彼はあんなことを言うような人には育っていなかった筈だ。
何故なら彼は、こんなにも優しいのだから。
「私のことを考えてくれて、ありがとう」
彼は、何故こんなにも優しいのだろう。
彼は、何故こんな表情をするのだろう。
彼は、何故涙を流すのだろう。
彼は、何故こんなにも綺麗に笑うのだろう。
彼は、私を騙そうとしているのに。
08 正義の在り方(それはどちらも正義で、)
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