賢者の石 | ナノ

▼ 25(2)


寮に殆ど生徒はいなく、勿論ドラコもいなければパーキンソン等の取り巻きもいない。
荷物を片付け消灯時間を過ぎた頃、ラピスは人気のない談話室を通り過ぎ、寮の外へ出た。

「ラピス」

名前を呼ばれた。

「……?」

しかし、辺りを見回すが誰もいない。

「此処だよラピス」
「っ!」

突然目の前にハリーの顔が現れ、思わず口を手で覆った。

「これ、透明マントなんだ」

ハリーがマントを脱いで見せてくれた。
クリスマスに送られてきたそうだ。

「透明マント……」

本で読んだことがある。
まさか本当に実在するなんて……。

「これを着て行くんだ」
「何処へ行くの?」
「鏡だよ」
「鏡……?」

ハリーは自分で誘ったものの、ラピスと一緒にマントの中に入るのを躊躇った。

「ごめんなさい、狭いかしら」
「う、ううん、そんなんじゃないよ」

彼女との距離が近くて恥ずかしいのだ。
ハリーは頬を染めるが、暗い為にラピスは気が付かない。

「私、規則を破るの初めてよ」
「僕は――何回目だろう」
「程々にね、ハリー」

声を顰め足を忍ばせながら、ラピスはハリーについて行った。
歩いて行くうちに来たことのない部屋に辿り着く。

「此処だよ!」

興奮指しているのか、ハリーは声を顰めることも忘れて、マントを脱いで部屋に飛びこんだ。

「ラピス早く!」

其処は、昔使われていたらしい教室だった。
机や椅子は壁に積み上げられ、その真ん中には天井に届きそうな見事な鏡が置いてある。
否、まるで立っているかのようだった。
金の装飾豊かな枠には二本の鈎爪状の脚がついていて、枠の上には文字が彫ってあった。

「さぁラピス、鏡の前に立って!」

まるで我を忘れたかのように彼女を引っ張るハリー。
ラピスは何故彼がこんなにも興奮しているのかが分からなかった。

「どうしたのハリー、」
「良いから、さあ!」

先程まで嬉しそうだった彼の表情は、懇願するようなものに変わっている。
一体何だと言うのだろうか――

「――っ!!」

鏡の前に立ったラピスは、思わず叫び声を上げそうになって両手で口を塞いだ。
身体が震える。
心臓が狂ったように脈を打つ。
嘘、嘘だ。
こんなこと――…
見えたものが信じられず後ろを振り返ったが、部屋にはハリーと自分の他に誰もいない。
鏡に向き直り、もう一度覗き込んでみた。

「お父様、お母様――」

そこには、鏡の中には、両親がいた。
二人は微笑んで、ラピスの両側に立っている。
あの時の、八年前と同じ姿で、同じ微笑みを浮かべて。
そして、ラピスの足元にはルーシーもいる。

「どう、して……」

思わず鏡に触れる。
しかし、指先が触れたのは冷たい鏡だ。
母が鏡の中で、ラピスの髪をそっと撫でた。
実際にその感触はない。
頬笑みを浮かべて、時折鏡の中のラピスに触れて、唯二人は彼女を見つめているだけだった。
食い入るように鏡を見つめる彼女の頭の中は真っ白だ。
見えているのに触れられない。
どうしてここに両親が?
そんな疑問が浮かぶことはなかった。
それ程までに、彼女は冷静さを失っていた。

ハリーは、初めて見るラピスの反応に驚いてた。
縋るように鏡を見る彼女は、とても悲しい顔をしていた。
初めて両親の話しをした時は、こんな顔はしなかった。
一瞬悲しげな瞳をしただけで、あとはいつもの無表情だったのに。
今の彼女は、まるで彼女ではないかのようだった。
彼女は無意識に呟いていたのだろう。
その声は細く震えていて、消えてしまいそうな程頼りなくて。
彼女まで、消えてしまいそうで。
そう――彼女にも、自分と同じように死んだ両親が映っているんだ。
同じような境遇であることが嬉しかった。

――「ラピス……ラピス?」

「っ!ごめん、なさい…」

ハリーに何度も名前を呼ばれ、漸く我に返ったラピス。

「君も、両親が見えるの?」
「……ええ」

そうか、ハリーの言っていたことはこれだったのだ。
冷静さを取り戻しつつあるラピスは、ハリーの発言を思い出す。
しかし、意識は鏡に向いたままだ。
落ち着こうと、自然とペンダントを握る。

「どうして、両親が映るのかしら……?」

声の震えを必死に抑えてラピスは聞く。

「分からないんだ。昨日はロンを連れて来たんだけど、ロンは首席で、クィディッチの選手になって優勝トロフィーを持っている自分が映ったんだって」
「そう……」
「君なら、僕と同じだと思ったんだ」

境遇が似ているからだろう。
この鏡は私の何を映しているの?
ラピスは、金の装飾豊かな枠の上の方に文字が彫ってあるに気が付いた。

"すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ"

一瞬何のことかと考えたが、直ぐに思い付いた。

"私は あなたの 顔ではなく あなたの 心の望みを 映す"

ラピスが鏡を見ると、両親が映る。
ああ、そうか――。

「お二人とも、いつもお嬢様を見守っていらっしゃいます」

誕生日に、――否、常時思う。
見守ってくれなくてもいい、優しくしてくれなくてもいい、守ってくれなくてもいい。
冷たくされても放っておかれても構わない。
唯、二人が生きてくれていればそれで――…
両親が生きていて、ルーシーと四人で穏やかに暮らすこと。
それが、私の心の望みなのだ。
だからと言って、なんて愚かな――。
先程までの取り乱した自身を思い出し、急に惨めな気持ちに襲われた。
この鏡を、これ以上見てはいけない。

「ハリー、戻りましょう」
「え?」

鏡を見ていたハリーは驚く。

「戻るのよ」
「どうして?僕、もっと鏡を見ていたい」
「鏡は、もう……見ない方が良いわ」
「ラピス、何言ってるの?両親が映るんだよ?君だって見ていたいでしょ?」
「――いいえ」

ラピスの言葉にハリーは更に目を丸くしたが、彼女は首を縦には振らなかった。

「両親だよ?もういないんだ。でも、この鏡には映る!僕はパパとママにずっと会いたかったんだ!それがやっと会えてすごく嬉しいんだよ!君はそうじゃないの?!どうして分からないの?!」

ハリーは興奮を抑えられず一気に言って、直ぐに口を塞いだ。
ラピスの表情が、あまりにも悲しげだったからだ。

「ハリー……私も両親が…とても、とても好きなのよ」
「ごめん、君だって同じなのに……」

ゆっくりと、言い聞かせるように言うラピス。
あまりにも切なくなって、ハリーは急いで謝った。
彼女の群青色の瞳は悲しげだが、強い意志を持っていた。

――両親を、一瞬たりとも忘れたことはない。
お父様も、お母様も、とても愛している。
でも、二人は死んだ。
もうこの世にはいないのだ。
例え心にぽっかりと穴が空いてしまったとしても、生きていく意味が分からなくなってしまったとしても。
今を生きる、と決めたのだ。
アルバスが、ルーシーが、私を支えてくれている。
その優しさを裏切るようなことをしたくない。
これ以上の心配はかけたくない。
私は、強く生きていかなくては。
強くあらなくてはいけないのだ。

「――戻りましょう」

ラピスは、最後にもう一度鏡を見た。
鏡の中の両親に少し微笑むと、二人の瞳からきらりと光る何かが落ちた気がした。


25 心底の望み(叶うことなんてないのに)

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