賢者の石 | ナノ

▼ 19


早いもので、気付けば図書館で出会った少年と約束を交わしてから、一か月が経とうとしていた。
あれから直ぐ、朝食の時に彼がハッフルパフ生だと分かった。
見かける度に沢山の友達に囲まれていて、彼は男女問わず人気がある人物のようだ。
時折目が合う度彼が微笑むので、ラピスは困惑して会釈を返すのだった。

彼と約束を交わして一か月が経った朝、ラピスの元に一通の手紙が届いた。
彼からの、勉強会の日時の知らせだ。
羊皮紙は丁寧に折られていて、整った綺麗な字で書かれている。
視線を感じて顔を上げると、友達に囲まれた彼が此方に向かって微笑んでいた。

次の日の夕食後、変身術と妖精の魔法の宿題を持って、ラピスは約束の時間に図書室に向かった。
彼は既に図書室にいて、一か月と同じ、隅の目立たない場所にある席に座っていた。
生徒はいるが、混んでいるわけではない。
ラピスが図書室に行くのは、人の少ない閉館間近の時間が多かった。
また彼に会ってしまうのは避けたいし、ゆっくり調べることが出来ない。
つまり、彼と一対一で会うのは一か月前のあの日以来だ。

「――やぁ」

彼はラピスに気が付くと、教科書に向けていた顔を上げて微笑んだ。

「ごきげんよう」
「良かった、来てくれないかと思った」
「約束だもの。絶対に来るわ」

ラピスは向いの椅子に座り宿題を広げ始めた。

「約束、ね」
「?」
「じゃあ、あの条件がなければ来ないわけだ」
「……そうね」

ラピスが目を伏せて言うと、彼はくすりと笑った。
何故笑うのだろうか?
彼女にはよく分からない。

「君のそういう正直なところ、すごく良いよ」
「……正直なんかじゃないわ」

正直者ではない。
私は嘘を吐いている。
ハリーやロン、ハーマイオニー。
ドラコには――彼には、嘘を吐いていると言うよりも彼に対する態度が嘘そのもののようなものだ。
恐らくお互いに嘘で、それに気が付かないふりをしている。
嘘というものは心が痛む。
その人を裏切っているのだから。
しかし、私は、嘘を吐かなければ生きていくことは出来ない。

ラピスの表情を見て、彼は何と言って良いのか分らなくなってしまった。
悲しいのか、辛いのか、苦しいのか、寂しいのか。
何とも言えない。
表情なのか、雰囲気なのか。
彼女のそれを、なんと表現して良いのか分らないのだ。

「君、とても優秀なんだってね」

彼はラピスの教科書を見て明るく言う。

「いいえ、優秀じゃないわ」
「フリットウィック先生が嬉しそうに話されていたよ。そんな謙遜しなくたって、君が優秀なことはこの間分かったから」

彼は"能力に頼った魔法"のことを言っているのだろう。
あれは私が優秀だから出来るものではない。
しかし、彼がそう思っているのならばそのままで良いだろう。
訂正して詳細を聞かれては困る。
下手なことは言えない。

「僕ってそんなに怪しいかい?」
「え?」
「そんなに警戒しなくても何もしないし、約束は守るよ」

やはり、警戒する必要がある。
ラピスはペンダントをきゅっと握った。

「ええ、分っているわ」
「本当に?」
「…ええ」
「良かった」

苦手だ。
この表情と言い、誠実さと言い、どうしてか、とても苦手だ。

――彼との勉強会はとても捗った。
寮ではスリザリン生が一緒にやろうと誘ってくるし、それをきっぱり断る事もできない。
仕方なく談話室で宿題をすれば、いつの間にか雑談会になっている。
勿論、主な内容は他寮の生徒やハリーの悪口だ。
それに比べれば、彼は真面目に勉強しているし悪口も言わない。

「君は実践は得意だけど論理が苦手なんだね」
「何故…?」
「呪文の名前や法則はすらすら書けているみたいだけど、論理のところは考えながら書いてるから」

よく見ている。
彼の言う通りだ。

「その通りよ」
「きっと君は考えすぎなんだよ。ポジティブなことよりもネガティブなことの方を沢山考えてしまう。そんなに考えなくても大丈夫だよ」

確かに、それはある。
何をするにしてもまず構えてしまうし、深く考えすぎてしまうこともあるかもしれない。

「人間関係も一緒さ」
「え…?」
「お節介だったらごめん。君を見ていてなんとなく、そう思ったんだ」

彼は私の何を見て、そう思ったのだろう。
けれど、彼の言っていることは的を得ていて、少なからず自分に当て嵌まっていると思う。

「そんなに考え過ぎなくても、心配しなくても、君は大丈夫だよ、ラピス」

"大丈夫"
アルバスがいつも言ってくれる言葉。
根拠も何にもないはずなのに、彼の言葉は何か不思議な感じがした。
他の人から言われて、こんな気持ちになるとは思わなかった。
彼は私のことを知っているわけでもないのに、何故そんなことが言えるのだろうか。
しかし、彼の言葉に不快感は生まれなかった。
寧ろ――

「僕が言えたことじゃなんだけどね」

「はは、」と、彼は少し照れくさそうに笑った。

「ありがとう」
「え……?」
「貴方に言われて、少し、気が楽になったかもしれないわ」
「それは良かった」

彼はにっこり笑った。

「――貴方のその顔、苦手だわ」
「…そんな事初めて言われたよ」

彼がわざとらしく顔を顰める。

「ごめんなさい、嫌いとか、そういうのではなくて……少し苦手で」
「良いんだ、言っただろう?君のそういう正直なところ、魅力的だって」
「…貴方、魅力的とは言ってないわ」
「そうだった?まぁでも、苦手と言われたってやめるつもりはないさ」

そう言って彼は悪戯っぽく笑った。

苦手だけれど、嫌いではない。
苦手なのに、とても、落ち着く気がする。
彼は、とても不思議な人だ。

「――ありがとう、セドリック」
「っ!――……」

ラピスは彼の目を見て微笑んだ後、直ぐに宿題に視線を落とした。
彼、セドリックは一人頬を染め、それを隠すように手で口元を覆うのだった。


19 それは優しい夜のこと(君が初めて名前を呼んでくれた日)

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