賢者の石 | ナノ

▼ 18


彼は――とても優しい。

紳士でよく気が利き、常に私を気にかけてくれていて、とても優しい。
私は彼に何か求めるわけでもなく、彼に何かしてあげるわけでもなく、彼がしてくれたことに対して見返りをするわけでもない。
かと言って、彼が見返りを求めているようにも見えない。
要するに、私は何もしていないのに、彼は十二分に私の世話を焼き、尽くしてくれているのだ。
ハリーやグリフィンドール生に対する態度が嘘のよう。
私にとても優しい顔で話しをしていても、グリフィンドール生が来た途端、嘘のように豹変して嫌な奴になるのだ。

――「ラピス、さきから甘いものばかり食べすぎだよ。ほら、ちゃんと肉や野菜もとらないと」

先程からトライフルや糖蜜パイばかり食べているラピスに、ドラコが牛肉の煮込みとヨークシャープディングを盛りつけた皿を差し出す。
その様子をパーキンソンがちらちらと見ているが、本人達は気付いてはいても気には留めない。

「君は偏食が多いよ。最近は甘いものばかりだ。そんなことをしていたら身体に良くない」

言いながら、今度はサラダをたっぷり盛り付けた皿をラピスの前に置いた。
彼の言う通り、彼女はフルーツかデザートばかり食べている。
ホリネスリトスの家にいた頃はルーシーがきちんと栄養配分を考えた食事を用意してくれていたが、此処ではバイキング形式の為つい好きなものばかりを取ってしまうのだ。
勿論、彼はそれに気付いている。
彼と私は自室にいる時以外、殆ど行動を共にしているのだから。
それに、彼は私を常時に観察している。

「こんなに食べられないわ」
「…あ、ごめん。つい取り過ぎたよ。僕が半分食べるから」

そう言って、彼は私の皿の料理を半分に分けた。

「ありがとう」

彼が盛り付けてくれたサラダを突きながら、隣に座る彼を盗み見る。
彼はナイフとフォークを器用に使って肉を切っている。
不意に彼が視線を上げたが、それが交わることはなかった。
私が逸らしたからだ。
こうして彼は、数秒毎に私を見る。
彼は、私がそれに気が付いていることに気が付いているだろうか。
彼は馬鹿ではない。
悪知恵もよく働くし、勉強もそこそこ出来る。
もしかしたら、気が付いているかもしれない。
彼は私のことをどれだけ知得しているのだろう。
両親がいないことは知っている。
アルバスの養護の元に育ったことは知っているだろうか。
"能力に頼った魔法"のことは知らないだろう。
初めての魔法薬学で"能力に頼った魔法"を使おうとしてスネイプ教授に呼号された私を、彼は不思議そうに見ていた。
と言っても、私の情報なんて"能力に頼った魔法"のこと以外特別なことはない。
彼が私に尽くし、観察する理由は――
やはり、父親の言い付けなのだろうか。

「ラピス、変身術の宿題やったかい?」
「ええ」
「あれ、少し難しかった。後で見て欲しいんだ」
「私で良ければ」
「助かっ――……」

彼が急に言葉を止め、同時に身体まで止まり、瞳だけが動いている。
彼の視線を追うと、ハリーとロン、ハーマイオニーが大広間に入ってきたところだった。
彼は眉間に皺を寄せ目を細めて彼等を見る。

「ドラコ?」
「あ、ああ……」

ラピスが彼を窺うと、彼は小さく咳払いをして先程の話しの続きを始めた。

「助かるよ、君は本当に優秀だ」
「――本当に、そう思っていて?」
「え?」
「本当――?」

にこやかに言うドラコに、ラピスが肉を切りながら抑揚のない声で聞く。
かちゃ、と小さく食器が触れ合う音がした。
彼の言動、行動、私に対するもの全てが彼の本心からくるものだとは思えない。
彼の何が虚偽(うそ)で、何が真実(ほんとう)なのか――。
彼が取り乱すことはないと思ったが、少しは効果があったようだ。
彼は何と答えるだろうか。

「どうしてそんなことを聞くの?」
「……なんとなくよ」
「勿論思っているさ。君が優秀じゃないって言うのなら、誰が優秀だって言うんだい?」
「そうね、ハーマイオニー・グレンジャーかしら」

ドラコの方に顔を上げてラピスが言うと、彼はまたも眉間に皺を寄せて苦々しい表情をした。
にこやかな表情が一瞬にして嫌悪に歪む。
ラピスは、それを見て心の中で小さく笑った。
いつも自身に向けるにこやかな表情よりも嫌悪に歪んだ表情の方が、心地が良い。
それは恐らく、後者の方が彼の本心が滲み出た表情だから。
どれだけにこやかに微笑まれようと、どれだけ優しくされようと、どうしてもその表情に好感は持てなかった。
まるで貼り付けた仮面よりも、嫌悪に歪んだり悪巧みをする彼の本当の表情の方が余程良い。

「君、最近わざと僕にそういった返答をしていない?」
「本当のことだもの。わざとも何もないわ」

そう言えば、彼は黙ってしまった。
ラピスはまた心の中で小さく笑う。
彼の言うことは間違っていない。
それに、間違ってもいる。
彼に答えた通り本当のことだし、彼の言う通りわざとでもあるのだ。
彼の本心が滲み出た表情が見たくて、わざと彼が不機嫌になるような返答をする。
最近このようなやり取りが多かった為、彼も漸く気が付いたようだ。

その時、大広間に梟がなだれ込んで来た。
お昼の梟便だ。
一匹のワシミミズクが、ドラコのもとに封筒を落として行った。
そのワシミミズクはマルフォイ家の梟で、毎日のように彼のもとに家からの届け物を運んで来る。
今日梟が運んできたものは、蛇の紋章とマルフォイ家の紋章が描かれた黒い封筒だった。
それを確認した途端、彼の表情が変わる。
ラピスに「先に戻る」と言って席を立ち、足早に広間の出口へ向かった。

これは、ラピスが何度も目にした光景だ。
あの手紙は彼の両親、または母親か父親からの手紙だろう。
あの中には一体何が書かれているのだろうか。
"今日も良い天気ですね"、なんて能天気なことが書いてあるとは思えない。
ドラコは、あの封筒の手紙を絶対にラピスの前では開封しない。
そのことが更に彼女の興味を掻き立てる。

ラピスは離れていくドラコの背中を見つめる。
視線に気が付いたのか、彼はくるりと振り返り、彼女に小さく、曖昧に微笑んだ。
視線を逸らすことが遅れた彼女は曖昧に微笑み返し、ペンダントをきゅっと握った。

彼は、何を考えている?
何を思って私と接している?
貴方は――何を思っているの? 

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