賢者の石 | ナノ

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なんて綺麗なんだろうと思った。
なんて真っ白なんだろうと思った。
なんて――儚いのだろうと思った。

図書館で宿題を終わらせて、寮に戻ったところで忘れ物をしたことに気が付いた。
殆どの生徒が夕食をとりに大広間に行っている時間だ。
図書館にはマダム・ピンス以外誰もいなかった。
しかし、先程使っていた机まで来たところで、何か気配がした。
どうしてか気になって、歴史書が並ぶ棚に行くと、一番上の本棚を見上げる少女の後ろ姿があった。
腰まで流された黒髪は艶やかで、スカートから伸びた脚は華奢でひどく白い。
背が低い為、一年生か二年生くらいだろうか、と思ったその時、僕はとんでもないものを見た。

一番上の本棚から音もなく本が飛び出し、机の上に行儀よく並んだのだ。
驚いたのは、彼女が呪文を唱えなかったこと、そして、杖さえも持っていなかったこと。
詠唱破棄で、彼女はぴくりとも動かなかった。
とても低学年が使いこなせる技ではない。

「――すごい」

思わず呟くと、彼女が弾かれたように振り返って、僕は驚いた。
彼女は、あの名家の生き残り。
一年生で、入学式の組み分けで帽子に逆らった、異例の少女――ラピス・ミリアムだった。
古くからの名家であるミリアム家は優秀なだけでなく、その美貌も有名だ。
美貌遺伝子とでも言うべきか――彼女もまた、とても美しいと思った。
雪のように白い肌に艶やかな黒髪。
そして、大きく見開かれた群青色の瞳。
ミリアム家の人間は宝石の名を持つ。
彼女のセカンドネーム(噂で聞いたのだ)"ラズリ"は"ラピスラズリ"が由来だろう。
そして、その宝石の由来は瞳の色。
しかし、いくら名家のミリアム家だからと言って、こんなことが出来るだろうか。
兎に角驚いたけれど、出来るだけ表情を変えないよう努めた。

「――見たのね……?」

彼女の声で我に返る。
その声が震えているのは気の所為だろうか。

「…ああ、うん。驚いたよ。だって君、まだ1年生だろう?」
「何故私が一年生だと知っているの?」
「だって君、とても有名だ」
「………」
「あ、いや、変な意味じゃないんだ。組分けの時のこととか、家のことで」

知らない人はいないだろう。
あの組み分けの儀式は、誰もが驚いたに違いない。

「――さっき、見たこと」
「え?」
「さっき見たこと、誰にも言わないで欲しいの」
「…分かった」

何故――?

「名前は?」
「知っているのでしょう?」
「一応、本人から聞きたいからね」

僕は笑う。
彼女は表情を変えない。

「ラピス・ミリアムよ」

彼女は、抑揚のない話し方をする子だ。
落ち着いていて、とても一年生だとは思えない。

「僕はセドリック・ディゴリー。セドリックで良いよ。よろしく」
「…よろしく」

僕の差し出した手を、彼女はそっと握ってくれた。

彼女は本を読み始め、僕はその彼女を見ていた。
顔色一つ変えず、笑うこともせず、ひたすら本を読む彼女。
表情らしいものと言えば、最初に見たあの驚いた表情くらいだ。
彼女の驚きに染まった顔。
しかし、彼女の表情に潜む感情はそれだけではなかった気がする。
まるで、恐怖のような――そんな表情にも見えた。
先程の"あれ"を"黙っていて"と言ったことに関係があるのだろうか。
何故知られたくないのだろう。
知られては困るから?
それは何故?

彼女の白魚のような指は、驚くような速さでページを捲る。
最初、彼女は本で顔を隠そうとしたが、本が分厚すぎた為にそれは出来なかった。

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