温かく、柔らかな、心地良い感触。
ああ、誰かが頭を撫でてくれている。
「――ラピス」
名前を呼ばれた気がした。
頭に触れた手から、何か温かい物が注がれた気がして、身体が温かくなった。
ゆっくりと目を開けると、其処には優しい顔をしたアルバスが、ベッドの脇に腰掛けていた。
「アル、バス……」
彼はにこりと頷く。
辺りを見回して、医務室のベッドにいることを理解した。
意識がはっきりしてきたところで、ラピスはがばりと身体を起こした。
「ハリー!ハリーは?!」
「大丈夫じゃよ。昨日目を覚まして、ぴんぴんしておる」
彼女は胸を撫で下ろす。
が、直ぐに深刻な表情に戻る。
「アルバス、私、私、クィレルを……!」
あの時、クィレルの身体は突然炎に包まれた。
ラピスは驚愕した。
何故ならあの時、彼女は"能力に頼った魔法"を使っていなかったからだ。
まさか、勝手に魔法が発動して――彼を、クィレルを――私が――
「ラピス、」
自身の腕を痛い程強く握った彼女の手に、アルバスはそっと手を重ねる。
「私、クィレルを、こ、ろ……」
「ラピス」
彼が先程よりも大きな声で彼女を呼んで、人差し指で彼女の震える唇に触れた。
「彼が死んだのは君の所為ではない」
"死んだ"と聞いて、彼女の呼吸が一瞬止まる。
「――やはり、死んだのね……」
「君の能力の所為でもない」
「でも、あの時――」
彼女の震える手を、彼は優しく包み込んだ。
「あれは、ハリーの身体に残る母君の愛の証じゃよ」
「愛の証……?」
「うむ。それ程までに深く愛を注いだということが、例え愛したその人がいなくなっても、永久に愛されたものを守る力になるのじゃ。それが、ハリーの肌に残っておる。クィレルのように憎しみ、欲望、野望に満ちた者、ヴォルデモートと魂を分け合うような者は、ハリーに触れるのが苦痛でしかなかったのじゃ」
「だからクィレルはハリーに触れられなかったのね」
彼が頷く。
「でも――炎は突然上がった。その時、ハリーはクィレルに触れていなかったわ」
「君は鋭いのぅ」
「だって私、あの時"能力に頼った魔法"を使っていないわ」
「……ハリーを守りたい――君のその想い故に起こったことじゃよ」
「え?」
彼はにっこり笑って彼女の頭に手を置いた。
これ以上は教えてくれないと言うことだろう。
「まだ質問があるの」
「何だね?」
「私、クィレルに痺れ薬を飲まされたの。でも、突然効力が切れたわ。解毒剤も飲んでいないのに――突然」
彼は目を細めた。
あの時は考える暇もなかったが、常識的にあり得ないことだ。
クィレルは弱い薬ではないと言った。
それなのに――…
「それも、君のハリーを守りたいという想い故に起こったことじゃよ」
また曖昧に答えた彼に、彼女は目を伏せる。
「……ねぇアルバス、ヴォルデモートは私を何故必要としているの?この力は何の役に立つというの?私の名前は、サードネームは、一体――何…?」
分からないことがあり過ぎて、何が分からないのかも分からなくなってくる。
「真実は美しい。じゃが――時にそれはとてもリスクを伴う。答えられることは答えよう。しかし、答えられないこともある」
「……ええ」
「ヴォルデモートが君を必要としているのは確かじゃ。じゃが、それ以上のことは今は答えられん」
「いつか――教えてくれるかしら」
「うむ。時がきたら――話さねばなるまい」
「…分かったわ」
ラピスは頷いた。
いつか話してくれるその時まで、待つしかない。
しかし、その"時"とはいつなのだろうか。
リスクとは――?
「もう一つ…ハリーがヴォルデモートに殺されかけたのは――私の所為…?」
「それは違う」
彼はキッパリきっぱりと言った。
「ハリーはヴォルデモートの死の呪いを跳ね返し、ヴォルデモートの魔力も身体も消滅させかけた。あやつが狙って当然と言えよう」
「…そうね」
確かにそうだ。
きっと、ハリーを殺したい程憎んでいるはずだ。
ハリーは別の理由でヴォルデモートに狙われている。
今後も、ハリーは危険な目に……。
「――ハリーに…"能力に頼った魔法"を使うところを見られてしまったわ」
アルバスは勿論分かっているだろう。
「ハリーにはわしから話しておいた。君にはちょいと特別な才能があるとな」
彼は微笑んだ。
「ありがとう」
「質問は以上かね?」
「…ええ」
これ以上は答えてもらえないのならば、何も聞くことが出来ない。
「――ラピス、」
名前を呼ばれて、下に向けていた視線を上げると、ふわりと包まれた。
「?」
「ハリーを、守ってくれてありがとう」
何故だろう、アルバスの声色は悲しげだ。
きっと今、彼は悲しそうな表情をしているに違いない。
私が好きではない、時折見せるあの表情。
胸がきゅっと締め付けられる。
「しかし、君も大切なのじゃ」
ラピスは何も言えなかった。
あの時、自身の命を犠牲にしてまでハリーを守りたいと思った。
しかし、もしもあの時死んでいたら、この人は悲しんだだろう。
悲しい表情をしていただろう。
そんな顔は見たくはない。
死んでしまったら見ることも出来ないのだけれど。
「ごめん、なさい……」
何と言ったら良いか分らず、ぎこちなく謝る。
「謝る必要などない。わしが君達を危険にさらしてしまったのじゃ」
身体を離すと、アルバスはいつもの優しい表情をしていた。
「この分だと、学年末パーティーには出席出来そうじゃな。それまでゆっくりお休み」
にっこり笑って、彼は立ち上がる。
「そうじゃ――皆、君のことを心配しておったよ」
彼が不意に振り返って言った。
「皆……?」
心配……誰が?
私には"皆"と言えるような、心配される人がいただろうか。
「特に彼は――」
そこで、アルバスは何かに気が付いたように視線を上に向けて、それから微笑んだ。
理解出来ない私を余所に、彼はもう一度私の頭を撫でると、医務室を出て行った。
34 絡んだ糸は解けないままに(何もかも分からないまま)
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