賢者の石 | ナノ

▼ 34


温かく、柔らかな、心地良い感触。
ああ、誰かが頭を撫でてくれている。

「――ラピス」

名前を呼ばれた気がした。
頭に触れた手から、何か温かい物が注がれた気がして、身体が温かくなった。
ゆっくりと目を開けると、其処には優しい顔をしたアルバスが、ベッドの脇に腰掛けていた。

「アル、バス……」

彼はにこりと頷く。
辺りを見回して、医務室のベッドにいることを理解した。
意識がはっきりしてきたところで、ラピスはがばりと身体を起こした。

「ハリー!ハリーは?!」
「大丈夫じゃよ。昨日目を覚まして、ぴんぴんしておる」

彼女は胸を撫で下ろす。
が、直ぐに深刻な表情に戻る。

「アルバス、私、私、クィレルを……!」

あの時、クィレルの身体は突然炎に包まれた。
ラピスは驚愕した。
何故ならあの時、彼女は"能力に頼った魔法"を使っていなかったからだ。
まさか、勝手に魔法が発動して――彼を、クィレルを――私が――

「ラピス、」

自身の腕を痛い程強く握った彼女の手に、アルバスはそっと手を重ねる。

「私、クィレルを、こ、ろ……」
「ラピス」

彼が先程よりも大きな声で彼女を呼んで、人差し指で彼女の震える唇に触れた。

「彼が死んだのは君の所為ではない」

"死んだ"と聞いて、彼女の呼吸が一瞬止まる。

「――やはり、死んだのね……」
「君の能力の所為でもない」
「でも、あの時――」

彼女の震える手を、彼は優しく包み込んだ。

「あれは、ハリーの身体に残る母君の愛の証じゃよ」
「愛の証……?」
「うむ。それ程までに深く愛を注いだということが、例え愛したその人がいなくなっても、永久に愛されたものを守る力になるのじゃ。それが、ハリーの肌に残っておる。クィレルのように憎しみ、欲望、野望に満ちた者、ヴォルデモートと魂を分け合うような者は、ハリーに触れるのが苦痛でしかなかったのじゃ」
「だからクィレルはハリーに触れられなかったのね」

彼が頷く。

「でも――炎は突然上がった。その時、ハリーはクィレルに触れていなかったわ」
「君は鋭いのぅ」
「だって私、あの時"能力に頼った魔法"を使っていないわ」
「……ハリーを守りたい――君のその想い故に起こったことじゃよ」
「え?」

彼はにっこり笑って彼女の頭に手を置いた。
これ以上は教えてくれないと言うことだろう。

「まだ質問があるの」
「何だね?」
「私、クィレルに痺れ薬を飲まされたの。でも、突然効力が切れたわ。解毒剤も飲んでいないのに――突然」

彼は目を細めた。
あの時は考える暇もなかったが、常識的にあり得ないことだ。
クィレルは弱い薬ではないと言った。
それなのに――…

「それも、君のハリーを守りたいという想い故に起こったことじゃよ」

また曖昧に答えた彼に、彼女は目を伏せる。

「……ねぇアルバス、ヴォルデモートは私を何故必要としているの?この力は何の役に立つというの?私の名前は、サードネームは、一体――何…?」

分からないことがあり過ぎて、何が分からないのかも分からなくなってくる。

「真実は美しい。じゃが――時にそれはとてもリスクを伴う。答えられることは答えよう。しかし、答えられないこともある」
「……ええ」
「ヴォルデモートが君を必要としているのは確かじゃ。じゃが、それ以上のことは今は答えられん」
「いつか――教えてくれるかしら」
「うむ。時がきたら――話さねばなるまい」
「…分かったわ」

ラピスは頷いた。
いつか話してくれるその時まで、待つしかない。
しかし、その"時"とはいつなのだろうか。
リスクとは――?

「もう一つ…ハリーがヴォルデモートに殺されかけたのは――私の所為…?」
「それは違う」

彼はキッパリきっぱりと言った。

「ハリーはヴォルデモートの死の呪いを跳ね返し、ヴォルデモートの魔力も身体も消滅させかけた。あやつが狙って当然と言えよう」
「…そうね」

確かにそうだ。
きっと、ハリーを殺したい程憎んでいるはずだ。
ハリーは別の理由でヴォルデモートに狙われている。
今後も、ハリーは危険な目に……。

「――ハリーに…"能力に頼った魔法"を使うところを見られてしまったわ」

アルバスは勿論分かっているだろう。

「ハリーにはわしから話しておいた。君にはちょいと特別な才能があるとな」

彼は微笑んだ。

「ありがとう」
「質問は以上かね?」
「…ええ」

これ以上は答えてもらえないのならば、何も聞くことが出来ない。

「――ラピス、」

名前を呼ばれて、下に向けていた視線を上げると、ふわりと包まれた。

「?」
「ハリーを、守ってくれてありがとう」

何故だろう、アルバスの声色は悲しげだ。
きっと今、彼は悲しそうな表情をしているに違いない。
私が好きではない、時折見せるあの表情。
胸がきゅっと締め付けられる。

「しかし、君も大切なのじゃ」

ラピスは何も言えなかった。
あの時、自身の命を犠牲にしてまでハリーを守りたいと思った。
しかし、もしもあの時死んでいたら、この人は悲しんだだろう。
悲しい表情をしていただろう。
そんな顔は見たくはない。
死んでしまったら見ることも出来ないのだけれど。

「ごめん、なさい……」

何と言ったら良いか分らず、ぎこちなく謝る。

「謝る必要などない。わしが君達を危険にさらしてしまったのじゃ」

身体を離すと、アルバスはいつもの優しい表情をしていた。

「この分だと、学年末パーティーには出席出来そうじゃな。それまでゆっくりお休み」

にっこり笑って、彼は立ち上がる。

「そうじゃ――皆、君のことを心配しておったよ」

彼が不意に振り返って言った。

「皆……?」

心配……誰が?
私には"皆"と言えるような、心配される人がいただろうか。

「特に彼は――」

そこで、アルバスは何かに気が付いたように視線を上に向けて、それから微笑んだ。
理解出来ない私を余所に、彼はもう一度私の頭を撫でると、医務室を出て行った。


34 絡んだ糸は解けないままに(何もかも分からないまま)

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