三者面談って、こんなに緊張するものだったっけ?
 教室は広い会議室を用意され、普通の三者面談でないことは一目瞭然だった。
 目の前には磯山がいて、おれの隣には母さんがいる。母さんの前にはお茶が用意され、磯山は母さんにお茶を勧めていた。

 不思議な感覚だった。
 なんていうか、ドラマみたいな? こういうことが実際目の前に降りかかったら、当事者は戸惑いしか浮かべることが出来ないのかもしれない。
 緑色の液体がゆらりと揺れる湯飲みの中、母さんの俯いた視線が映りこんでいた。

「はっきり言って、羽月君の授業中の居眠りの回数は増えています」
「……」
「無茶なバイト、成長期の体に負担がありすぎる。朝から夜まで働きっぱなしで、学校には寝に来ている状況です」

 普通なら激怒しそうなおれの状況に、母さんは悲しそうな顔をするだけだった。
 理由は、金がないせいだ。
 中学のときは数学で30点を取ろうものなら般若か! と、思うぐらい怒っていたのに、今は0点でもきっと母さんはおれを怒れない。
 磯山は言葉を続けて、おれの学校での様子を淡々と語っている。

 体育でもボーっとしていることが多く、怪我をしてもおかしくない。
 どの授業も寝ているが、他の先生もその理由を知っているから注意が出来辛い。その為、更に成績は落ちる一方だ。
 このままでは、ただ学校にいるだけで、身になるものは欠片もない。
 磯山の言葉に、母さんは息を飲んで、何も言わなかった。

「……おれ、学校辞めた方がいいかな、やっぱり」
「先走るな。親の前で何言ってんだ羽月」
「……すいません」
「春樹は、悪くないんです。私たちが悪いだけで」

 違う。誰も、悪くない。
 父さんは株で失敗した。知り合いの人に、買ってくれと懇願された。そこから、おれ達の生活は変化した。
 その株が暴落して、知り合いの人はいつの間にか消えていて、残ったのは借金だけ。あ、紙くずになった株券もあるのか。

 しばらく会議室には沈黙が落ちたが、磯山が「羽月さん」とおれの母さんを呼んだ。
 黒縁眼鏡の向こうにあった磯山の瞳は真剣なもので、母さんも真直ぐそれを受け止めた。

「私は、正直今の羽月君を取り巻く環境は良いものと思っていません」
「……はい」
「朝の新聞配達、喫茶店のバイトも今後始めますね。夜にはコンビニでバイト。倒れますよ、息子さん」

 母さんは押し黙る。おれも、何も言えなかった。
 睡眠不足、疲れが取れない。中学を出たばかりのおれの体は、学校生活よりもバイトで疲れていた。

「仮に、ですが」
「はい」
「息子さん、私に預けてみませんか?」
「「は?」」

 母さんとおれの声が重なった。
 二人して顔を上げて、磯山の顔を見る。さっきと同じ、真剣な表情だ。
 でも、どこかで楽しげな色が見えるのはおれだけの気のせいなのだろうか?

 磯山は饒舌に語った。おれの学校生活は奨学金で、今は最低限の支払いで完了する。
 金がかかるとすれば生活費の方が余程かかっている。食費なんて、育ち盛りだから一番おれがかかっている。
 だから、と磯山は提案する。

「私の家である程度、羽月君を預かります」
「しかし、」
「実は、この歳にもなってお恥ずかしいですが一人暮らしで、料理も洗濯もからっきしなんです。羽月君はそういうことが得意らしいですね」

 なんで、磯山先生がそんな事まで知っているんだろう?
 じっとおれがそんな事を考えていたら、今まで母さんを見ていた先生の視線がおれを向いた。
 磯山先生と…暮らす?

 料理も洗濯も苦手。だから、おれが代わりに行う。
 その代わり、家の食材を勝手に使ってもいいし、風呂や勉強も好きにすればいい。
 バイトは必要最低限まで抑えても、磯山がおれの面倒を見るならプラスマイナス、むしろプラスだ。
 そこまで磯山が面倒を見てくれる理由はわからない。でも、おれはそれでよかった。
 これ以上母さんや、父さんを困らせたくなかった。

「貸し借りが嫌なら、奨学金と同じように将来支払うという事でも構いません。私は何よりも、現在の羽月君の状況は、羽月君の未来を潰す。それが何よりも心配です」

 磯山の言葉に、母さんは俯いた。
 おれは、いいよ、母さん。磯山先生っていい先生だし、家も近いし、いい提案だ。
 悔しいよな、辛いよな、情けないよな。親の気持ちなんて、おれにはよくわからないけど、きっと、おれを巻き込んで嫌だと思う。

「――夫と、相談します」
「はい。返事はいつでも構いません」
「ありがとう、ございます」

 まだ授業があったおれを残し、母さんは会議室から出ていった。
 会議室のテーブルに残された湯飲みには、緑の液体が少し残り、そこには情けないおれの顔が映っていた。



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