「いよーいっそやん。変態教師誕生だなオイ!」
「……志岐、おまえ次の授業一番前の席な」
「横暴教師かよ。まあいいや、おもしれェから」

 先生と志岐センパイが話している姿が見えた。おれの隣には政哉センパイ。バイトの事について話してて、偶然先生達を見つけた。
 先生とセンパイって案外仲がいいようで、志岐センパイはにやにやしながら先生に話しかけていた。
 生き生きしてんなー、志岐先輩。政哉センパイが呆れた顔でそんな風に言う。
 それに比べて磯山先生はどこかぐったりしてる。でも一方的に突かれているわけじゃなく、先生が何か言う度に志岐センパイは嫌そうな顔をしていた。
 何を話しているのか気にはなったけど、あそこに割り込むのも面倒なので政哉センパイと一緒に自分のクラスに戻ることにした。

「っつーか、なんでてめぇが知ってんだよクソ不良」
「いそやんオレでもマジPTAに訴えたくなる態度だよな。……あの後輩って政哉の後輩でバイト先一緒なんだよな。だから知ってるわけ」
「だから、なんでおまえが」
「だってオレ、あいつの相談乗ったし。可愛い後輩は応援しなくちゃなぁ」
「……」
「うっわ、こえー顔」

 ケラケラ笑う志岐センパイの余計な言葉は、おれの耳に入る事はなかった。



■ □ ■



「……せんせ」
「なんだよ」
「近い」

 喧嘩というか、微妙な距離を保っていたここ数日。
 問題はある意味解決したので、おれはバイトのシフトを緩めてもらい、先生と一緒に普通に晩飯を食っている。
 が、距離が問題だ。
 今までは真正面に先生が座っていたのに、なぜか今、横にいる。いや、いいけど、嬉しいけど、邪魔だ。

「気のせいだろ」
「……先生って、実は甘えたないっでえ!グーで殴った!!」

 意味がわからない。そもそも、おれは先生を好きで、先生もおれが好き。だからくっつくのは別にいい。でも、先生がそういうタイプには見えなかったし、おれもそういうタイプじゃない。
 だから自分の中で甘えたいタイプなのか? と、結論を出したのに先生は思いきりグーで殴った。
 機嫌悪そうに眉を寄せ、むしゃむしゃとおれの作った晩飯を咀嚼している。
 晩飯不味かったのかな。おれは不味いって思わないけど。先生の嫌いなものは作ってないから、そのぐらいしか理由が思いつかない。

「ご飯不味い?」
「……美味い」
「じゃあ機嫌悪いの直してよ」
「直球すぎるだろ」
「だって、先生といるのに先生不機嫌そうだとおれが辛いじゃん」

 今まで無視してこう言うのもなんだけど、先生が好きで、先生がおれを好きって言ってくれて嬉しかったのに。
 辛いことも、泣くこともこれから先、絶対にあるだろうけど、それよりも先生と一緒にいて嬉しいことや、楽しいことをたくさん経験したいのに。
 先生が傍にいて、普通にしてくれているだけでおれは落ち着く。先生が不機嫌そうだと辛くなる。
 身勝手な考えだけど、誰だって考えるのは自分の幸せだと思う。
 だから、おれは先生には幸せそうにしててほしい。
 先生が笑ってるとおれも笑える、嬉しそうだとおれも嬉しくなる。

「おれは先生と一緒で嬉しいのに。もっと、ずっと、近くでいたのに。先生がそんなんだとむかつく」

 ラブラブしたい。イチャイチャしたい。好きな人がいて、そう思うのは自然じゃないのか。
 固まっている先生を見て、隣に座った先生に凭れかかった。
 おれよりも大きくて、硬いし、何よりヤニ臭い。それでも、そんな先生がおれは好きになった。
 頭を先生の体にぐりぐりと押し付けたら、深々と息を漏らす音が聞こえた。

「……馬鹿らしいな、ほんと」
「なにが?」
「なんでもねぇよ。あーったく、こっち来い」

 箸と茶碗を置き、腕を広げた先生がそこにいる。
 嬉しくて飛びこんだら、ブツブツと何か文句を言っている音が聞こえたけど、よく聞き取れなかった。

「春樹」
「……もっと。もっと、呼んで」
「もう、おまえ、その顔止めろ」
「せんせ」
「――ああもう、」

 痛い力で抱きしめられる。息が少し苦しい。煙草の匂いが鼻にくる。がっしりした大人の腕が、背中に回っていた。

「さいってーな、教師だな俺」
「生徒に手、出したしね」
「うるっせ。あーくそ、おまえの親が借金で苦しんでるのに、なにしてんだろうなァ……」
「……それでも、おれは」

 嬉しかったよ。先生に対してこんな気持ちを抱く前から、嬉しかった。
 家族以外の人が当然のように手を差し伸べてきて。あの時、誰にも頼れないっておれは思っていたから。でも、先生は、そこにいろんな感情があったかもしれないけど、おれを助けてくれたから。
 好きにならなくても、別の意味で、好きになった。おれも、こういう人になれるのか。なって、みたいな、なんて。

「おれ、将来は料理に携わる仕事がしたいんだ。でも、もう一個なりたいものが増えた」
「ん?」
「おれ、先生に、なりたい。先生みたいな、先生に」

 歴史は繰り返すって、言うじゃないですか。
 冬島先生、秋人先生、そして、おれ。人に何かを教えるのは難しい。やり方を考えて導いても、間違っているかもしれない。
 でも、それでを手を伸ばせる人になりたい。先生みたいな、先生に。
 春樹先生ね。そう言いながら秋人先生は苦笑を浮かべた。

「冬のように厳しくて、秋のように優しくて、春のように穏やか……ってか」
「あ、先生うまいね」
「うるせぇ、ったく……教師なんて面倒なだけだってのにな」

 その言葉は先生自身とおれに吐き出される。
 先生はおれの額に唇を寄せながら、いいんじゃねぇの。と、甘い声を出す。
 夢も、希望も、未来への展望なんて考えられなかった。考えている、余裕もなかったのに。
 先生の与えてくれた切欠でおれの道は切り開き、先生と手をつなぎ、今ここで一緒にいる。

 好きです。

 うわごとのように言葉を吐き出せば、先生は抱きしめていた手を緩め、真摯な眼差しをおれに向けた。
 ゆっくりと反転する視界、天井と先生だけが視界を覆い、こくりと息をのみ込んだ。


「愛してる」


 無精ひげが当たる。ヤニの匂いが鼻に届く。
 そんなものが気にならないぐらい幸せで、おれは場にふさわしくなかったけど笑ってしまった。
 あったかい気持ちが溢れて、漏れて、零れて。先生もそんなおれを見て、笑みを浮かべた。
 降り注ぐキスの感覚に涙が出て、幸せで。そこには色んな怖さもあったけど、鼻先に届く煙草の香りが、今のようにおれの体を抱きしめれば、それだけで、それだけで。

 おれを形成する世界に先生がいる。感じた存在、身近な熱、まほらまは確かにそこにあった。

end...




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