昔から、おれはおとなしいというか、物分かりのいい子供だった。
 母親が親戚の葬式で家で留守番した時も、父親が盲腸の手術で一人になった時も、母親や父親の「イイ子で待っててね」の、言葉を聞きながら玄関がしまる音を聞いていた。
 それが、普通だと思ってた。
 だって、おれが文句を言っても、泣きわめいても、その事象は変わらないじゃないか。
 子供心にそれがわかってたし、縋ったところでどうにもならないって知っていた。
 甘えている同年代を見て、それが普通だとも思っていた。幼稚園の送り迎えで泣き出す子供も、普通だって考えていた。
 なんていうか、そういう子供だった。

 素直に言葉に出すのは、怖い。
 でも、おれは素直にしか言葉に出せない性格だった。

 怒らせるつもりはないし、悲しませるつもりもない。ただ、当然だと思うことを口にするだけで人を怒らせてしまうことが多かった。
 後でおれが悪いと思う時が多かったけど、でも、理不尽に怒られていると思うことも多かった。
 誰だって怒られるのは嫌だし、相手に嫌な顔をさせるのは自分だって嫌だろう。
 おれは素直に伝えることは伝える。でも、言っちゃだめなことは絶対に口にしなくなった。

 口にしないのは、思わないのと、違う。
 思ってる、吐き出せない、言わない。

 言えない。

 言わない、つもりだったのに、なぁ。
 だって、言ってしまえばおれと先生は変わると思う。
 おれは今までと変わらないと思うけど、先生は確実に変わるじゃないか。
 男で、生徒で、年下で。そんなガキに告白されるんだ。しかも、ホモホモしい生徒じゃなくて、普通に同居もできていた一般の生徒に。

 もしもおれが、女の子だったら。
 もしもおれが、生徒じゃなかったら。
 もしもおれが、同年代だったら。

 違っていた告白劇だ。
 でも、言わせたのも先生だ。どこかで気づいていたはずだ。
 佐奈さんが指摘した感情、先生、どこかで気づいていたから言わせたんだろう。
 終止符を打つほうがいいって、おれも思うよ。

 先生と会ったのは四月、入学式で担任として会った。
 今は七月、夏休みを迎えたらきっとこの感情は冷めているはずだ。


「磯山先生」


 でも今は違う。
 おれは先生が好き、好きで、たまんないよ。気づいちゃったんだよ、先生が好きだって。こんなに人を好きになったら、どうしようもなくなるんだって、知っちゃったんだ。
 フられたら、おれは泣くのだろうか。先生が何も言わないからわからない。
 優しくて、不器用で、競馬が好きで、だらしなくて、おっさんくさくて、でも、いつだって真正面からぶつかってくれる先生が、好きなんだよ。

 先生は、あのちゅーからおれが先生を意識したって思っているんだろう。
 違う。だって、あの時はそれほど気にも留めなかった。ファーストキスってショックはあったけど、忘れていたのがいい証拠だ。
 おれは、先生が、磯山先生が磯山先生だから好きになったんだ。
 あのキスがあろうがなかろうが、この気持ちはきっと育っていた。
 遅かれ早かれ、おれはこういう気持ちに直面していたんだろう。


「好きです」


 先生は何も言わない、口を開かない。
 でも、おれの手首を掴んだままだ。触れあった皮膚同士の熱が交わる。射抜く視線が強くなる。

 ねぇ、先生。
 言わせたんだから。
 ちゃんと、ふって、明日からこの感情を消し去ってよ。




back : top : next