この行動って、教育委員会に訴えることができると思うな、おれ。
 ああでも、訴えちゃったらおれ、先生に会えなくなるのかな。それは、嫌だなぁ。

 だって、先生が好きだもん。おれ。

「悪いがな、俺ァ気が短いんだよ。よく持ったほうだ、今回は。話聞いてやってるし、おまえのことも一応……ちゃんと見てるつもりなんだよ」
「家で話そうよ、先生」
「バイトのシフトで無茶ってほど入れて死にそうな顔で帰ってきてよく言う」

 ああ、ばれてたか。まあ、そうだろう。あんなことを言った後も続いている同居生活。
 会わない時間、すれ違いの時間、間近に顔を見たのはあの時以来。
 先生は優しいから、放っておいてくれてた。社会科準備室に一人できたくなかったのは、こういう目に会いたくなかったから。
 かなでを誘ったのは失敗だった。かなで以外だったら、先生はこんなことをしなかったかもしれない。かなでは、気付いてしまう人だから。

 掴まれた頭から力が抜ける。その代わり、手首を大きな手が掴む。
 浅黒く、男の人の手。節くれだって、成長途中のおれにはない力がそこにはある。
 ああ、好きだな―って、なる。こんなときでも、おれはそんな風に思う。この手がつかんでいるのはおれで、今先生が見ているのはおれで、冬島先生じゃない。
 おれに向き合ってる。そこにあるのが、むかつくとか、いらだちとか、そういうものでもおれを見ていてくれる。


「話せ」


 でも、話したら、離されるのだろう。
 おれの手を握るこの力は緩んで、先生は上辺だけの言葉をかけるようになる。
 それはいやだな、辛いし、悲しいことだと思う。

「無理です」
「あァ?」
「黙秘権を行使します。社会科担当なら使用可能ですよねー」
「ざけんな、殴るぞ」
「訴えたらおれが勝ちますよ」
「あのな、今のままいることが最善だって思ってないだろ?」
「最悪だとも思ってませんから」

 ああ言えばこういう。水かけ論だ。先生はそれでもおれの手首を開放しない。
 次の授業、遅れる。先生は次の授業がないからここにいるのだけど、おれは学生だから勉強しなくちゃいけない。
 先生はじっとおれに視線を絡めて、薄い唇を開く。
 手は一層強く握られて痛みすら覚える。思わずまゆが寄る感覚を自分でも覚えるのだけど、それはあっけなく緩んでしまった。

「俺がおまえに、キスしたことが原因か」

 はぁ?
 真っ先に出たのは、間抜けな言葉だった。




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