先生が好きなんだ、おれ。
 すんなりと、その感情は初めてなのに認められるものだった。男とか、先生とか、頭になかった。
 おれが一番不思議だったのは、どうして先生をこんなに気にしてしまうのか。ただ、それだけだったから。
 人を好きになるのって、案外あっさりしてるんだなーって、思う。
 佐奈さんの言葉を聞いて、あ、そっか。なんて思ってしまったし。おれにとって、好きって感情はそういうものだった。
 かなでや、他の人はもっとこう、好きすぎて一直線! みたいな感じだから、おれも人を好きになったらそんな風になるって思ってた。でも、現実は違う。


 おれは先生が好き。初めて、人を好きになった。
 初めて、自分のことを知ってほしいって人に会った。


 先生が好き。そう気づいて、その後に思ったのは「で、どうするんだ?」だった。
 おれの感情はおれ自身が理解できた。でも、だからって先生との間に広がった溝は別に埋まらないし、おれは埋めたいって考えているのかわからない。
 このままの距離が一番都合がいいし、平々凡々に暮らしたいって思いは変わらないおれは、先生に好きって思いを伝えるつもりは欠片もない。
 言って、どうなるかなんて目に見えている。言って、壊れることが分かっているのにどうして伝える必要があるんだ。


 臆病なのかな、おれ。
 ちょっと、違う気がする。たぶんおれは臆病っていうよりも、嫌なんだと思う。
 自分の世界が、変わることが。



■ □ ■



「重い―」
「あのね、俺のほうが多いって知ってる?」
「かなで様さすがです!」
「……何があったか知らないけど、後で一発殴らせてね」
「ひどい!」

 社会化準備室イコールおれが当番。
 そんな公式がすっかり成り立っていたクラスの中、さすがに今朝のこともあり、先生と一対一は気まずいから、かなでについてきてもらうことにした。
 普通なら購買でなにか奢ればいいんだけど、おれにはそんな金がないし、頭もかなでより悪い。
 一発殴らせろ。たぶん、それはおれに気を使った言葉で、でも、対等に接してくれている言葉だ。

 かなでの隣は居心地がいい。先生とは違う居心地の良さだ。
 両手がノートで塞がれていなかったら抱きついているところだ。おれ、金や頭はないけど、かなでの傍にはずっといたいなぁ。
 言いたいことも言えないし、言わないけど、それでもかなではどこかで知っていてくれる。黙ったまま、促してくれるから。

「まあ、何があったか知らないけど俺ができるのはここまでだから、後は自分でしなよ」
「なにが?」
「春樹がそれでいいなら別に」
「……おれは、このままでいいんだ。だから、かなでともこのまま」

 何の解決にもなってない薄っぺらな言葉だって思うけど、仕方ないじゃないか、本当にそう思うんだ。
 へらっと笑ったらかなではわかりやすい溜息を吐きだした。
 その溜息が合図のように目の前に社会科準備室のプレートが立ちふさがった。
 慣れているのに、なぜか入りづらい。
 でも、まあ、かなでがいるから平気だろう。そう思って失礼します。の、言葉と一緒にガラッと部屋の扉を開いた。
 そして、同時に頭に凄い痛みが走った。

「いででででででえええ!」
「ウェルカム、くそがき」
「いだいいだい頭つぶされるミシミシ言ってる!」

 容赦ない力で、教室に入った瞬間頭を握られた。
 怖い! 痛い! 死ねる!
 でも、その間にかなでと先生は普通に会話してる恐ろしい!

「せんせー、俺行ってもいいですかー」
「荷物置いてけ。全部」
「春樹も?」
「荷物を、おいてけ」

 そう言われたかなでは「じゃあね」と、かわいらしい笑みを浮かべ、さっさと教室から消えてしまった。
 ぴしゃん閉じ込められた部屋、閉め切られた教室。
 頭を握っている先生の手、落としたノートが汚い部屋に広がる。
 振り向くことも叶わず、一気に静かになった部屋は嫌な空気に包まれた。




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