「羽月は昔の俺より馬鹿じゃねぇが、言わないし、態度に出さないから重症だ」
「言っても解決しないから、言わないだけですよ」
「なぁ、おまえ。なんでそんなに自己完結するわけ?」

 冬島先生の話が終わり、解放されるかと思ったら先生はおれを視線で拘束したまま、言葉を放り投げていた。
 今すぐにでもこの場から逃げ出したいのに、それは叶わなかった。
 掴まれている右腕。読まれている行動。言葉を言おうとしたけど、たぶん、通じない事はわかった。
 嘘は苦手だ。後々苦しくなるから。だからおれは、その場限りのことしか言えない。
 でも、先生はそれすら踏み潰すんだ。

「先生」
「……」
「おれさ、先生の事好きだよ。だからさ、迷惑かけてる今の状況って嫌なんだ」
「俺はンなこと言った覚えねぇ」
「うん。だって、先生って思ったままに言うもんね。それに、おれを預かっているのって――」

 昔の先生とよく似た状況のおれ。
 磯山先生に冬島先生がいたように、おれには磯山先生がいる。
 一方的なシンパシー。先生が救っているのはおれじゃない。過去の自分と、冬島先生への一方的な敵対心。

 そこに、おれの感情は、ない。

 気づけたはずだ。気づいていた。そうだよ、おれは知ってた。
 先生はおれを気遣っている。ほんとうに、心配だってしてくれる。でもその眼差しが向かっているのはおれじゃない。
 昔の光景、過去の映像。磯山先生が見つめているのは、現在じゃない。
 冬島先生は嫌いなんだろう。話に聞くだけでも分かる。それは本当。
 憧れなんてない、嫌悪しかない、むかついて、苛立って、それでも。

 放置されるより、何倍も、何十倍も救われた。救ってくれた。
 嫌いだ。でも、ああいう風に人を救いたいと思ってしまえる存在。

「先生はずるいよ、おれは、先生の事ばっかり考えてるのに。おれじゃない、冬島先生みたいに助けたいから、おれを引き取ってる」
「……」
「ねえ、先生。おれを助けたのは」

 言ってしまえ。
 もう、止まらない。
 滑り落ちた言葉に、先生は目を見開いた。


「本当に、善意?」


■ □ ■



 夏休み前、校舎の中には冷房が心地よい風を伝えてくる。
 習慣となっている社会科準備室には足を運ばず、おれはボケーっと、屋上で空を眺めていた。
 言っちゃったなー。うん、言っちゃった。
 だって、先生が言ったんだし。言えって。言ってしまえって。
 おれは隠していくつもりだったのに、無理矢理だよ、大人って勝手だなー。

「――そういうおれが、一番自分勝手なんだけど」

 手すりに預けた背中を外し、溜息を吐き出した。
 今日の朝は、先生とは何も会話がなかった。何かを言う前に、おれが朝一の学校に登校したから。顔を合わせてすらない。
 親にも、あんまりああいう事は言わないから、どう接したらいいかわからなかった。
 人と、正面からぶつかった事のない薄っぺらな人間は、どうにも不器用だ。

「……どうしよう」

 宙ぶらりんで、あてもなく、家には借金地獄の両親。
 嫌にもなるよ、ほんと。

「――お、先客?」

 溜息を吐き出し、高校一年男子にふさわしくない思考を張り巡らしているそのとき、背中から声が聞こえてきた。
 バイト先のセンパイと仲がいい、校内では怖いって噂がある――。

「志岐センパイ?」



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