冬島国彦。先生の、先生だった人。
 唐突に始まった昔話、それは、おれの心をゆるやかに落ち着けていた。

「冬島は、俺や環とは真反対で……クソ真面目で、堅物で、ムカツク先公だった」

 インテリ眼鏡で、言葉はきついし、不良なんて死ねばいい。そんな人だったと先生は語った。
 今の先生とも真反対。
 まるで、教科書に出てきそうな模範のような先生だったそうだ。
 そんな先生と、冬島先生が反発するのは当然で、顔を見るたびに嫌悪を抱いたらしい。

「……嫌いだったんですか?」
「好きじゃあねぇな。今も」

 そう言い、苦笑を浮かべる先生はおれに視線を向け、そして、虚空に視線を向けた。

 冬島国彦先生は、生活指導の先生だった。
 素行が悪い先生とオーナーはよく注意され、そんな存在を煩わしく思っていたらしい。
 学校なんて辞めて、ホストにでもなってやろうかとか、もっと楽な人生を送ってやろうかとか、思っていたらしい。
 オーナーは夢のため……今のお店のために、最低限高校は出るつもりだったらしいけど。

 そんな先生を相手にして、どうして先生は先生になろうと思ったんだろう。
 真反対じゃないか。先生と、冬島先生は。むしろ嫌いあっているように聞こえた。
 間を置き、先生の呼吸音が鼓膜に入り込む。先生はどこか考える仕草を取り、俺は。と、言葉を吐いた。

「警察にな、厄介になったことが何度もあるんだよ」
「ぽいよね」
「言うよなァ、てめぇも。……俺の家の連中が、俺を迎えに来た事は一回もない。でも、その度にきていたのが」

 思い出すだけでもムカツク。そう言っている横顔は嬉しそうだった。
 親の代わりに頭を下げて、交番を出たら朝日が出るまで説教をする。
 不良なんて社会の屑だ、ゴミ以下だ。そんな台詞を遠慮なく吐き出される。
 その後は決まって言う台詞。

「“だから、変われ”」
「……」
「俺はよ、冬島の言葉は大嫌いだ。不良が屑とか、ゴミなんて言い方は正直好きじゃねぇ。でも、その台詞だけは印象に残ってるな」
「磯山先生……」
「あいつはな、俺の為に言ったんじゃねぇんだよ。俺の周りで、俺のせいで迷惑被ってるやつの事を考えてそう言ってたんだよ。むかつくよな、やってらんねぇ」

 変われ、何度も言われた言葉。今更変わってどうする、何も出来ない、このままだ。
 ホストを辞めたら生活が苦しい。あの生き方はもう出来ない。
 生活指導員らしい態度で、冬島は嫌味な笑みを浮かべて何度も何度も言い放った。

『負け犬になりたいならそのままでいろ』

 最低の教師だと思ったらしい。
 こんな奴が教師を務めているなんて、最低だと。

「――むかつくよなぁ、俺の性格見越して、そんな風に言うんだからよ」
「……?」
「負けず嫌いで、馬鹿みてぇに暴れてる頃だぜ。売り言葉に買い言葉、ざけんな。ぜってぇてめえを負かす! そんな勢いで突っ走ってきたからな」
「えと」
「和山環を娘にやる男なんだからよ、懐でけぇに決まってるし、俺の全部見越してたんだよあームカツク」

 貧乏だって知っていた。奨学金制度も耳にタコが出来るぐらい言われた。
 バイトもいつの間にか制限されていた。勉強だって口やかましく言われた。
 むかつく、威張りやがって、見てろ、お前なんか追い越してやる。
 若いからこその負けず嫌い、笑える程のポテンシャル。

 真意を知って、意味を理解したときには、その人はもう老けていて。
 キツイ眼差しは優しげになっていた、横暴な口調は嬉しそうな言葉を紡いでいた。
 教壇での視線は変わらないが、向けてくる視線は喜びすら含んだもので。

「俺はあの人みたいにはなれねぇけど、俺なりの方法で、俺みたいな奴をどうにかしてぇって、思う」
「志岐センパイ達みたいな?」
「違う。あいつらは俺とは違って腐ってねぇし。むしろ、俺は」

 向かってきた視線は、おれを見ていた。

「おまえの方が、重症だと思うけど」



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