「に、しても。あいつが先公になってるなんてなぁ……」
「親父、いそやんと同級生だったんだな」
「おー。春樹預かってるとか、本当……らしいけど、らしくねぇな」
「なんで?」

「あいつ、貧乏嫌いだから」


 カチ、カチ、カチ、カチ、カチ。
 時計の音が、木霊する。先生は何も言わずに、おれの言葉を受け止めていた。
 最悪の空気だ。うわぁ、おれの馬鹿。こういう空気が嫌いだから、本音なんて言うのは嫌いだ。

 誰だって、面倒事は嫌いだろ。

 一定の距離が一番楽で、一番いい。
 磯山先生の好意に甘えていればよかった話だ。なんで今更、おれは先生の行為を気にしなきゃいけないんだろう。
 なんで今更、真意を知りたいなんて思うんだろう。
 迷惑をかけるのは嫌だ。おれが消えればいいって話ならそれでいい。
 でも、磯山先生はそう思っていたら、口に出してくれる人じゃないか。わかってるのに、言ってしまった。

「えーと、おれ、宿題します」
「羽月」
「先生は、ゆっくりご飯食べててね」
「座れ」

 パチンと箸を置いた先生は、胡座をかいた姿勢のままおれをじっと見据えた。
 ああ、まずいな。些細な言葉の綻びから、先生はおれを捕まえようとしている。
 座るのを渋っていると「羽月」と、もう一度名前を呼ばれた。
 これは逃げても無駄だな。判断し、おれはさっき座っていた定位置に腰を下ろした。

 先生はじっとおれを見ているままだ。
 言いたい事があれば言えば良いのに。どうせ、教師と生徒っていう薄い繋がりなんだから。
 気にせずに言えばいいんだ。面倒、だって。
 いや、先生なら言うか。だとしたら、吐き出される台詞は……。

「おまえ、言わないだけで腹の内でバカみてぇに考えてるんだろ」
「……普通じゃないですか?」
「普通より、言わねぇよ。親に文句言ったこともねぇだろお前。面倒だからって」
「言っても解決しないじゃないですか」

 だったら言わないままでいい。飲み込んだままでいい。
 そう言えば、先生は「似てるんだよな」と、おれから視線を外して呟いた。
 似てるって、なにが? なにと?
 首を傾げれば、再度先生がこちらを見つめた。でも、その目はおれを映していなかった。

「俺の家も、ビンボーだったからよ」

 どういう、意味だ。

「尤も、おまえと俺はだいぶ立場も、性格も違うけどな」

 そう言い、先生は机の上においていた煙草を手に取り、火をつけないまま指先で遊び始めた。
 哀れみでも、同情でも、ない。
 先生がおれに構った理由がそこでわかった。

 同じだったのか。

 先生もおれと同じ、貧乏を経験した。同属を見出したんだ。
 納得も、理解も出来た。なのに。

「――なんで、泣くよ」

 それは、おれにもわからなかった。



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