「あ」
「あ?」

 日曜の朝「Zizz」にバイトに行こうと思ったら自転車がパンクしていた。
 絶望した。今まで生きてきて、ここまで自分自身を恨んだ事はなかった。
 バイトまでの時間は余裕だ。でも、パンク。パンクを直すには金が要る。
 移動手段としてケチっているから、おれには自転車が必要不可欠だ。なくては困るものだ。

 パンク。

 土曜の朝、コンビニに行くとかでおれと一緒にアパートを出た先生は「駄目だな」と、タイヤを触って最悪の言葉を放った。
 どうする、どうするおれ!
 自転車を直すことは今後の事を見越して必至だとしても、今日どころか、明日も、一週間後も、一ヵ月後も金が無い。
 食費を削り、ノート類を買う金を削るしか道は無い。

 あと二ヶ月で夏休みに入る。
 二ヶ月我慢して修理に出すべきか……それとも今日から修理に出すべきか。

「ああああ……もう最悪だ」
「そうだなー」
「パンク……パンク……」
「うっぜぇな」
「先生にこの気持ちがわかりますか!? わかりますか!? 唯一にして絶対の移動手段である自転車が、修理代の高い自転車が、パンクですよ馬鹿!」
「おまえ教師に馬鹿って言うな」

 普段ならここで拳骨でも飛んできそうだけど、先生は何も言わずに自転車の前でしゃがんでいたおれの首根っこを掴んだ。
 ずるずる引きずられて案内されたのは、アパートの前にある駐車場。
 先生が普段乗っている、車。

「乗れ」
「え?」
「パンクぐらい直せるんだよ、俺は。でもすぐには無理だから送ってやるよ」

 そう言ってさっさと運転席に乗り込む先生に、おれはぽかんと口を開いた。
 お……お人好しだな、この人。
 政哉センパイもお人好しだけど、ある意味それ以上かもしれない。

「早く乗れっつの」
「え、あ、はい」

 間抜けに突っ立っていると、助手席の窓が開いて先生が声をかける。
 いつまでもパンクに嘆いている暇はない。慌てて車に乗り込めば、車内からはやっぱり煙草の匂いがした。



■ □ ■



「羽月のバイト先ってどんな店だ」
「あれ? 知りませんでしたっけ」
「喫茶店っつーことぐらいしかしらねぇ」

 そういえば、あまり詳しい事を話した記憶はない。
 「Zizz」は隠れ家のような場所にある。
 モノトーンで落ち着いた店内、小さく響くBGMはオーナーの奥さんが選んだもので店によくあっている。
 ケーキやサンドウィッチが売っていて、軽食が楽しめる。
 でも、一番美味しいのはやっぱりコーヒーだと思う。政哉センパイも上手で、オーナーも上手。おれも早く、あの二人に追いつきたい。

「牧野もいるんだよな、確か」
「センパイも受け持ってるんですか?」
「おう。人数少ないからな、あの学校の教師。金ねぇんじゃねぇの」

 教員の台詞か、それ。
 言いかけた台詞は自身の安否のために飲み込んだ。おれもそこまで馬鹿じゃない。
 が、顔には出ていたみたいで先生はチラリと視線をこちらに向けて「仕方ねぇだろ」と、平然と言い放った。

「じゃ、俺もそこで一服するかな」
「カツサンド美味いよ」
「朝一で食えるわけねぇだろ」



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