ファーストキスってどんなものなのだろうか。
 そんなこと、考えたことも無かった。
 ただ、漠然と、おれもそういう風に女の子と付き合ったらするのかな。程度にしか、考えた事がなかった。

「頭痛ェ……」
「自業自得ですよ」
「水、水くれ……」

 這うような姿で情けない磯山先生は、昨日の記憶は一切なかった。
 と、いうか当たり前だろう。寝る前だったし、酒に飲まれてたし。おれも、それほど気にしてないし。
 ファーストキスは先生に事故みたいな形でされてしまったけど、正直な話、そんなに気になってない。
 故意じゃないし、まあ、犬に舐められた程度に思ってればいいだろう。
 先生には色々世話になってるから、こんなくだらないことでこの関係を終わらせたくもない。

 今日も学校があるのに、先生は死にそうだった。
 水を飲んで唸り声をあげ、もう一度飲んで唸り声を発する。情けない大人の典型に見えた。

「飲みすぎた……」
「記憶なくするほど飲むなんて駄目だよ」
「うーわー……生徒に説教されたよ、俺」
「え? 今更じゃないの?」

 頭をグーで殴られた。理不尽だ。

「あ、頭に響いた」
「おれも響いてる」



■ □ ■



 新しいバイト先「Zizz」は学校帰りに通える距離にある。
 磯山先生のアパートからは少し遠いけど、自転車で通っているからそれほど距離は感じない。
 建て直しをしたばかりだそうで、店は古くても奇麗だった。
 そこにはおれより前に働いている「牧野政哉」センパイがいて、おれでも知ってた「和山那都」センパイもいた。
 和山センパイはオーナーの息子らしいけど、おれと一緒に研修メニューを受けている。

 政哉センパイはかなりいい人だ。
 甘いものが苦手らしくて、接客しかできないけど、困った事があったら言えよ。と、言ってくれた。
 にかって笑った顔がなんていうか、いいなって思った。
 先輩後輩関係を大事にする人だと一目で分かった。

「春樹、バイトだいぶ慣れたか?」
「はい! 政哉センパイのおかげです!」
「おっまえ率直だなぁ。まあ、ありがとな」

 二人で話していると、和山センパイが厨房からのそっと出てきた。
 手に持っているのはオーナーが作ってみろといって作ったケーキだ。
 政哉センパイはそれを見るだけで顔をしかめる。甘いものが苦手っていうだけじゃなく、完成品の見た目のせいだろう。
 とりあえず、チーズケーキを作ったらしい……が、見た目はそんな名残がない。

 何故、チーズケーキで黒い部分があるのか。

 顔を近づけるとむわっと焦げたにおいが鼻先に届いた。
 眉が自然に反応してしまう。……ある意味才能なのかもしれない。お菓子を作ったことがない人でも、こんな風にはならないだろう。
 政哉センパイは甘いものが食べられない。でも、これは万人が食べられそうもない。

「失敗した」
「見て分かります」
「何故だろう」
「何故でしょう」
「いや、明らかに焦げてますよね」

 政哉センパイは、和山センパイと首を傾げた。
 そういえば、センパイは甘いものが苦手なだけじゃなくて、料理の腕がマイナス方面に突出しているから厨房に立てないんだった……。
 オーナーの言っていた言葉を思い出し、おれは料理オンチの二人を見比べた。

 このバイト先、センパイはある意味恵まれているけど、心配にもなる。
 おれとオーナーがいないと、一体誰が料理を作るのだろうか。
 焦げたチーズケーキを三人で一斉につまんだ。一斉に吹き出した瞬間、不安は更に濃くなった。

「那都! 食い物で遊ぶなっつったろ!」
「遊んでねぇ。大真面目」
「……尚更悪いだろ」



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