社会化準備室は相変わらず物が多い。
 汚いというよりも、多いと表現した方が正しい。書類、ファイル、紙の束、色んなものがある。
 おれはその中心にいる人間を見つけて、両手に抱えていたノートを渡す。
 磯山秋人先生は、弁当を食べながら片手で器用にテストの採点をしている最中だった。

「せんせーすっげ、重かった」
「ごくろーさん」
「労りの心がないよ。いいけど」

 ノートを辛うじて見えている机の端に置き、おれはそのまま予備に用意されている椅子に座った。
 教室で一緒に飯を食べてた和泉は今頃予習をしているだろう。
 おれが傍にいると邪魔だろうし、先生は傍にいても文句を言わないから都合が良かった。

 社会化準備室は先生の家みたいに煙草の匂いが充満してる。
 おれが見てもわからない乱雑な書類の束は、先生しか管理できないものなんだろう。
 もしゃもしゃとエビフライを咀嚼している先生を見ながらそんな風に考えた。

「美味しいですか?」
「おお」
「先生って作り甲斐ありますよね。普段ひねくれてるのに、そういう部分は素直で」
「おまえ……教師に向かってひねくれてるとか言うなよな」

 おれとしては褒めているつもりなんだけど、なんでそんな風に言われるんだろ?
 首をかしげたところで先生がおれの方を見て、見せ付けるように溜息を吐き出した。
 ……え、おれが悪いのこれ。

「あ、そうだ。今日飲み会だからおまえ先に飯食って寝てろ」
「飲み会?」
「歓迎会。新年度は色々忙しいから五月にしてるんだよ」

 歓迎会の言葉に、新任の先生や移動の先生を思い出した。
 おれたち一年は分からないけど、五人ぐらい新しく入ってきた先生がいるらしい。
 歓迎会になったら美味しい物たくさんでるんだろうか。肉とか、肉とか、肉とか!

 じゅるっと涎がたれそうになったら磯山先生は「飢えてるな」と、冷ややかに言った。
 あながち間違いじゃないから、おれはその言葉に反対せずに頷いて合図を送った。
 磯山先生はそんなおれに噴出して、目尻に皺を寄せて笑った。

「ははっ、羽月こそ変な部分で素直だっつの」
「え。おれ、いつでも素直だよ」
「……まあ、いいわ。土産も渡すから、とにかく今日はさっさと寝てろ」

 煙草の匂いが鼻先を掠めて、空気が揺れる振動を皮膚で感じる。
 髪の毛をくしゃりと撫でる感覚を覚えて、おれも笑った。



■ □ ■



 この家に来て数日、実はおれと先生は未だに一緒に寝てる。
 新しい客人用の布団を買ったけど、机に書類が重なってどうにも敷ける状態じゃなかった。
 パソコンのコードの関係や、おれの荷物の関係もあって片付けても微妙な広さ。
 仕方ないから薄いマットを敷き、畳の上に転がってもいいようにした形でおれと先生は一緒に寝ていた。

 居候の身としておれはどうでもいいけど、やっぱり男二人で寝るのはむさ苦しい。
 でも、寝ている先生を見るのは実は少し楽しい。
 髭が生えているおっさんで、しまりのない顔をしてるけど、やっぱり素材がいいと寝てる姿はかっこいい。

(――やっぱ、そういう部分でもてるんだろうなー)

 バイト先で貰ってきたあまった軽食を食べながら、おれは家主のいない部屋を見る。
 質素じゃなくて簡素な部屋。
 先生のいない場所でおれがいるのが不思議だった。



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