「先生って英語や数学も出来るんですか?」 「あのな……“先生”だっつの。お前より出来るから安心しろ」 あ。そう言えば、磯山“先生”は渋い顔をした。 先生先生って言ってるけど、先生って先生っぽくないんだよな。教えるの上手だし、面白いけど、なんていうか……。 競馬好きだし、いい年して教頭先生に怒られてるし。明らかに大人なんだけど、兄貴? って、感じがする。 おれは絶対先生みたいにはなれないし、なりたいなんて思えない。 先生って結構お人好しだ。優しいし、おれみたいな生徒を放っておけない。 おれはそういうの無理。関わりたくないって思ったら絶対に関わらない。たとえ、目の前でその人が困っていたとしても。 「先生、先生ってなんで先生になったんですか?」 「あぁ?」 「だって、専攻が違ってても教師になりたかったんでしょ」 「まあな」 「イメージじゃないですよねー」 灰皿いっぱいの煙草に視線を向ける。 先生って下手したらホストにだってなれていた人だ。女を口説くより、口説かれそうなタイプ。 眼鏡を少し持ち上げ、先生はおれを見て「勉強しろ」と言い放った。 ……聞かれたくない話、なのかな。 ごまかしもせず、何も言わないで先生はおれのノートにスラスラと数学の公式を書いた。 横顔は真直ぐにノートを見てて、おれを見ることは無かった。 「俺の事気にすんな。羽月」 「……はーい」 「気にすんなって言われてもこれは気にしますよねーせんせー」 「お前縮め」 「人間はやめられないからね。せんせ」 一枚の布団の上、正座しているおれ、胡座の先生。 勉強も終わって、先生の悪魔の課題作成の時間も終了し、風呂も入って、歯も磨いて、残すはベッドインのみ。 こうして一緒に布団の上に座ったらやっぱ男二人は無理なサイズだ。 絶対畳の上に転がると思う。 「おれ畳で寝るよ。無理に早く来ちゃったおれが悪いし」 「うっせぇ。おまえに畳で寝られたら俺が悪いみたいだろ」 「磯山先生って変な責任感あるよね」 一緒に住むだけでもおれは嬉しいのに、別に最高の環境も求めてないし、衣食住の確保だけで充分だ。 畳だってフローリングで寝るわけじゃないから別に構わない。 なにより、バイトで寝不足だし、久々の勉強で疲れておれは眠い。 今ならどこでだって眠れる自信がある。 早朝の新聞配達をしないだけでおれは幸せだ。だって、暗い時間に起きなくていいんだ。あれは、精神的にきたからなぁ。 そういう生活をしていたおれの体調不良に気づいてくれた先生には、言葉では言わないけど感謝してる。でも。 「一緒に寝てて先生の加齢臭が移ったらどうしいっで!」 「誰が加齢臭だ殺すぞクソガキ」 「いだい! 今本気で殴った!」 「こっち来いてめぇ。俺にそんな匂いがないこと証明してやる」 え、別に興味ない。 そう言ったらもう一発頭を殴られて、強引に体を引っ張られた。横暴教師だ、先生。 ごつんと先生の胸板に額をぶつけると鼻先に届いたのは、石鹸の香りだった。 清潔な香りにスンスン鼻先を動かせば、先生は「わかったか」と偉そうだった。 加齢臭じゃなくて、普段香っているのは煙草の匂いだ。 微かに石鹸の匂いと混ざっている。常に煙草を吸っているからそうなってしまったんだろう。 でも、不思議と落ち着くにおいだった。 「……眠くなってきた」 「本気でガキだなおまえ……。おら、さっさと寝ろ」 「ん」 そのまま二人で一緒に布団の中に入った。 狭い布団で、体の一部は絶対先生に触れたけど思ったよりも気にならなかった。 |