食器の上には何も残っていない。磯山先生は綺麗に食べきってしまった。
 いや……なんていうか、作り甲斐のある人だと思う。
 普段はコンビニ弁当ばかりだから、飢えていたらしい。

「で、今更だけどお前早速今日から住むのか?」
「何でも早いほうがいいですから」
「でもなぁ、俺のほうが準備してねぇし」

 がりがりと頭を掻き、磯山先生は眼鏡越しに困ったように俺を見た。
 やっぱ、少し早かったかな。直前までそういう事は少し考えたけど、それでも、こうして来てしまった。

 家に帰るに帰れない。帰りたくは無い。

 磯山先生の準備が出来ていないなら、別におれは野宿でも構わないし。
 ネカフェなんて豪勢な場所、勿体なくて行けない。
 しばらく顎に手を当て、考えていた先生は俺の頭に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。

「な、に!?」
「追い出すわけねぇだろ。まあ、なんとかするから安心してろ」
「……せんせー?」
「とりあえず風呂入れてくれ。掃除してるんだろ」

 ぼさぼさになった頭を整えようと手を伸ばしたら、ぽんぽんと先生は頭を軽く小突いた。
 そんなに酷い顔をしていたのかな、おれ。
 磯山先生は、机の上にあった空の食器を手にして狭いキッチンスペースに向かっていた。

(……変わった先生だよな、やっぱり)

 狭いアパートだけど、風呂とトイレは別々だった。
 たぶん、磯山先生がユニットバスは苦手なタイプなんだと思う。和室で甚平が似合いそうな人だし。
 栓を回し、お湯が出たことを確認して洗面所のタオルを確認する。
 石鹸の匂いと、微かに煙草の匂いがする。

 そういえば、先生っていい年だけど彼女いないのかな。もしくは、彼氏。
 おれを自分から招き入れているから……いないのかな、やっぱり。
 コンビニ弁当ばっかり食べてきたって言っていたから、先生はそういうのいなさそうだ。
 セフレとかは作ってそうだけど。先生、見た目はいいからなー。

「羽月、煙草吸っていいか?」
「あ、せんせー。いいよ別に。先生の家なんだから許可取らなくてもいいのに」
「あー。出来るだけ、生徒の前じゃ吸いたくねぇから。でも、お前は仕方ないだろ」

 部屋に戻ると、先生は換気扇の前で煙草を吸っていた。
 律儀だよなぁ。それより、真面目?
 テスト中に平気で競馬を聞いてるのに、そういう部分はきっちりしてる。

 口元を覆う掌に、その向こうに微かに見える無精髭。薄暗い場所で煙草の火が赤く光る。
 眼鏡のレンズに映っている光も反射して、綺麗だった。
 こういう姿に皆はキャーキャー言うのかな? おれには、よくわからないけど。

「吸うなよ」
「へ?」
「煙草。じっと見てるから」
「吸いませんよ。煙草一箱で豪勢な弁当買いますから!」
「……ったく」

 先生は用意していたガラスの灰皿に煙草を押し付け火を消した。
 長さは充分残っていて、煙草を吸わないおれも思わず勿体ない。と、思ってしまうものだ。

「羽月ィ、明日から弁当も頼むわ」
「はい?」
「俺のと、おまえのね。豪勢な弁当より、お前の飯のほうが美味いわ」

 一瞬、言われた意味が分からなかったけど、理解して嬉しくなった。
 先生は嘘を言わない。本当しか言わない。人に料理を褒められて、こんなに嬉しかったのは初めてだった。



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