おれの想像していた先生の部屋って、こう言ったら悪いけど、汚くて、空き缶とか転がってて、洗濯物が積み重なってるものだった。
 社会科準備室がその典型みたいなものだし。
 だから、初めて足を踏み入れた部屋に、え? と、思っても仕方がなかった。

 自転車で40分かけて通っている今の学校。先生の家は学校から自転車で20分程度だった。
 三階建てアパートの1DK。まあ、大人一人が暮らすには充分な部屋だと思う。
 先生の部屋は二階の角部屋。隣に人は住んでおらず、下に人は住んでいるらしい。
 とりあえず、おれは家から着替え諸々を持ち寄り、ついでにこれから世話になるなら。と、夕食の買出しをしてきた。

 うちは、母さんが破滅的に料理が下手で、テロだと言わしめるほどの実力者だ。
 そのため、男子でも料理は出来た方がいい。そう教えられ、おれの趣味まで料理になった。
 一応同年代の女の子には負けないと自負する程度の実力はあるつもりだ。
 ビニール袋に入った材料を確認し、がちゃりと鍵を回した。

「……え」

 まあ、一言で言うなら――物がない。
 いや、簡素っていうわけじゃない。必要最低限のものもあるし、小さな本棚には色んな本がある。
 小奇麗じゃなくて、奇麗。
 シンクの中には残している食器もなければ、三角コーナーにも何もない。
 でも、生活臭はしっかりしてる。

「……きれい好き?」

 意外だ、意外。準備室はあんなに汚いのに、私室は奇麗にするタイプなのかな。
 恐る恐る入り込み、周囲を確認する。磯山先生の……家。
 すこしだけ、どきどきして、わくわくした。



■ □ ■



 先生の味の好みはわからないから、とりあえず和食にすることにした。
 嫌いだとしてもおれが平らげるから平気だ。がっつり食います、勿体ないから!
 魚を焼いて、味噌汁作って、サラダを適当に作って、和え物も用意した。
 風呂は勝手に入れていいのか分からなかったから掃除だけした。

 時刻は7時前。
 先生は1年〜3年の普通科クラスを受け持っているから、結構忙しいらしい。
 一応帰る時間を考慮して作ったけど…この部屋、電子レンジがなかった。
 その辺が、独身男性っぽい。生ゴミとか確認したら、コンビニ弁当ばかりだったし。そりゃ、食器要らないよね。

 カチ、カチ、カチ、カチ。

 時計の針の音が大きく聞こえてくる。と、同時に外階段を上がる音も聞こえてきた。
 このアパートの階段は鉄骨だからよく響く。二階に住んでいるのは一個離れた人だ。
 じっと耳を澄ましていると、部屋を越え、足は角部屋に向かってくる。

(先生だ)

 出迎え、出迎え!
 今まで大きく聞こえていた時計の針の音が消えて、がちゃがちゃと玄関の鍵を回す音が耳に入り込んできた。

「あ、はづ「おかえりせんせー!」」
「……」
「先生?」
「ただいま」

 首のネクタイを緩めながら、先生はおれの隣を行き違うときぽんぽんと頭を軽く叩いた。

「つーか、なんだお前エプロンして」
「おれの手料理振舞ってるんだよ」
「食えるのかよ」
「えー。おれ家庭科だけはいいよ!」
「日本史や世界史も学べ」

 歴史を学ぶより、生活の知恵を仕入れるほうが先決だ。
 まあ、おれも流石に磯山先生にはそんなこと言えないけど。
 小さなテーブルには、さっき作った料理を乗せる。
 その間、先生は部屋着に着替えていた。学校じゃ、スーツばかりだから新鮮だ。

「美味そう。見た目は」
「食って腰抜かしますよ、年だしね先生」
「へいへい。じゃ、若者の手料理を頂きますかね」

 一口、何の感慨もなく食べた先生は、一瞬動きを止めてじぃっとおれを見た。

「お前女だったら嫁に欲しいな」
「素直に美味いって言ってくださいよ」



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