試合開始のサイレンが鳴り響く。陽炎が見えそうなほど暑い日差しの中、試合は始まった。
 応援席には去年卒業した先輩も見に来ている。乾いた土が風で浮かぶ。青い空が視界に入り込む。吸った空気は暑過ぎて肺が燃えてしまいそうだった。

「佐伯先輩?」
「なんでもない。行くぞ!」
「はい!」

 今日のピッチャーは新入部員だが、部内でも剛速球の1年だ。
 同学年にもピッチャーはいるが、四十万が引っ掛かるのか、それともあの夏の記憶が蘇るのか、なぜか足踏みをする人間が多かった。
 それほど相手校がトラウマに残っているのだろう。
 佐伯は相手校のキャッチャーに視線を送った。あの日、同学年で佐伯と同じ舞台に立っていた数少ない人間。

 もしも、彼のように優位に四十万に指示を出せていたら今とは違う結果があるのだろう。
 今隣で野球をしている人間が四十万だったに違いない。

(でも、あいつらは本気で勝っただけだ)

 悪い人間なんか、自分ひとりだけだ。
 八つ当たりで野球はできない、楽しかった野球がいつの間にか苦痛になっている。それでも続けているのは楽しい野球がしたいからじゃない。
 楽しく野球をしている、四十万が見たいだけなんだ。

 佐伯は視線を観客に見える。因縁の対決からか、応援している先輩も口が裂けんばかりの声を出している。
 その姿から誰も、あの日の四十万を責める人間はいない事がわかる。ただ只管、応援しているだけだ。勝ってほしいだけだ。勝負はそういうものだ。そういうものだった筈だ。
 野球はこういうものだろ。勝って、負けて、後悔して、でも立ち直って。


「    」


 四十万。
 おまえも、ほんとうは。

 観客の姿が視界に入る。四十万は知らないだろうけど、佐伯はずっと四十万を見つめていた。この一年間。恨めしそうに野球を見つめている四十万を。
 だから彼はすぐに見つけられる。四十万の姿なら、佐伯はすぐに見つける自信がある。どこにいても、どんな姿でも。
 四十万は気付かないだろうが、それでも佐伯は彼を無意識に感じることができる。何故だか、理由は考えたことはない。

 野球帽を深く被り、視線の合わない存在に佐伯は小さく名を呼んだ。
 聞こえない、聞かれない。それでも彼は構わず呟いた。夏の青空を背負い、微かに香る暑さを孕んだ空気。

 おまえも、来い。

 想いは消えない。強くなる。夏が来る。時が動く。
 佐伯の視線と四十万の視線がマウンド越し、始めてぶつかった。


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