透明な液体に微かな白を混ぜたような清涼飲料水を一気に飲み干した。
 渇きと熱が充満していた喉の奥に潤いと冷たさが入り込む。
 昨日の雨のせいで気温だけじゃなく、湿度も高く皮膚に引っ付いてくる制服が気持ち悪かった。

 六月の終わり、蝉の鳴く休みの校舎で四十万は廊下を歩いていた。
 四十万は馬鹿ではない。なので、補習で学校に来るなんてしたことはない。ただ、携帯を机の中に忘れてしまったのだ。
 家に着いた途端気づき、考えた結果図書館に行くついでに携帯を取りに行こうと昨日決めたのだ。
 ただ、それは失敗だったと知る。

「ツーアウトー!」

 馬鹿でかい声が、聞こえる。
 グラウンドで野球部の練習試合があるらしく、それに気づいた瞬間四十万は帰ろうとした。
 けれど、そうなれば明日も携帯を取りに学校に来なければならない。見なければいい。そう思い、四十万は教室まで急いだ。

 練習試合だが、相手校も有名校のようで応援部まで借り出されていた。
 流石に大太鼓は出ていないようだが、騒音と称することも可能な大声が四十万の耳を侵す。
 女子の黄色い悲鳴が聞こえてくる。蝉の鳴き声と相俟ってそれは一層喧しさを増しているように思えてならなかった。

 立ち止まり、じっと、見る。

 薄汚れたホームベースに滑り込む男の存在に、四十万は知らずに歯を噛み締めた。
 羨ましいのか、妬ましいのか、哀れみを覚えているのか、四十万にもわからなかった。得点に絡んだ男はにこやかな表情でチームメイトに駆け寄っていた。
 ハイタッチをしている男に応えているのは四十万でも知っていた今年野球部に入った期待のルーキー、速球派の一年だった。

 あのポジションは、四十万の居場所だった。
 死に物狂いで練習し、真夏の灼熱にも負けず、暑さにホームの端で吐いたこともあった。練習の辛さに泣いたこともあった。
 でも、それでも辞める事はできなかった。でも、今は野球から離れてしまっていた。


(――一年だ)


 あの、真っ青な日から。あの、灼熱から変化したのは。たったの、一年。
 短いのか、長いのか、四十万にはわからない。ただ、マウンドに立つ勇気は持っていない事は確かだった。
 白球を投げる手が震える。白球を追いかけることが怖い。白球が、青い世界に吸い込まれる姿は四十万にとって恐れにしかならなかった。

 楽しかった野球はもう、出来なかった。野球番組も見れなくなった、新聞だって見たくない、学校も行きたくなかった。
 あの夏の空気、世界、雰囲気。すべては色濃く、灰色で支配していた。

(お前は違うのかよ……佐伯)



back : top : next