「あと一周!」 「はい!!」 佐伯は大声を張り上げ、己の背について走ってくる後輩に視線を向けた。 入部した一年は背が高い者、低い者。それぞれいるが、やはり三年に比べれば体格は細く、胸も薄い。 これがあと一年か、一年もしない内にあっという間に成長をするのだから、人間は不思議だ。 今年の一年は例年よりも豊作で、素直な性格が多い。 多少内向的だが、親しくなるうちにいい意味で変化することを祈っている。 佐伯は野球部副主将であり、捕手のポジションだ。 正捕手としてチームの司令塔として、日々野球に明け暮れている。 連日遅くまで投手の球を受け、後輩の相談相手にもなる。責任ある立場、支えにならなければならないポジション。 充実している毎日、甲子園に思いを馳せる日々。 けれど、投手の球を受けるたびに佐伯は思う。 もっといい球を受けたい。もっと速く、コントロールの優れているものを。 「……今日も暑いな」 夏ではない。まだ、あの季節はきていない。 白球を追いかけ、青空に全てを吸い取られる、あの季節。 苦い思い出、嫌な思い出、思い出すもの拒絶したい思い出。それらを抱え、佐伯は白球を手にしている。 カーン! 高い金属の音が聞こえてくる。打撃練習に入った三年が機械から飛び出てくる白球を打っていた。 何度も、何度も、音が耳に入り込んでくる。 その音の先、佐伯はある人物を見つけることになる。いや、この時間になれば大抵見つける事が出来る存在。 四十万。 いつも、見かける度に声をかけようと思うのだが、佐伯はそれが出来ない。 夕方の長い影がまるで地面に四十万を縫い付けるように見え、触れてはいけないもののように思え、佐伯は声をかけられない。 坊主頭だった四十万の髪が、ゆっくりと伸び、今では風が吹くと彼の髪は靡くほどだ。 佐伯が見ている事を四十万はいつも気づかない。 四十万が見ているものは、白球と、グローブと、バッドだけだ。 佐伯はそんな四十万を見ている。いつも、見ているだけしか出来ない。そして、それは約一年前から続いている日常だった。 四十万が野球部にいた頃、彼は投手で、佐伯は捕手だった。 四十万の球は速く、コントロールにも優れ、それを取る事ができ、佐伯は嬉しかったのだ。 あの夏の日以降、四十万は白球に触れなくなった。 あの夏の日以降、佐伯は一層野球に打ち込んだ。 今でも夢に見る。あの日の悪夢は決して晴れることはない。 けれど、それでも佐伯は野球を辞める事ができなかった。球を追わないでいる事が、出来なかったのだ。 熱に侵され、熱に苦しめられる。 それでも佐伯は白球を待ち続ける。あの日の悪夢を繰り返さないために。 夕焼けの、茜に吸い込まれる白球は、どこまでも眩しい白だった。 |