受験生。志岐先輩はまさにそれだ。
 秋口の少し寒い風を感じながら、おれは慣れた志岐先輩のマンションに足を踏み入れていた。
 最近思うけど、おれって今こうして先輩に会いにきてもいいのだろうか?

 赤いメタルフレームの眼鏡をかけている先輩は、机の上に数学やら、英語の教科書を出しっぱなしにしていた。
 教科書にはしっかりとラインマーカーで線が引かれており、むしろおれよりも真面目だって思う。
 受験生だよなぁ…。今、こうしておれと会っていてもいいのだろうか。

「政哉はコーヒーか?」
「あ、すいません」
「いい。座ってろ」

 おれも何度か先輩と一緒にキッチンに立って、先輩の料理を手伝ったけど駄目だ。あれはもう、才能云々の問題じゃない。
 破壊活動か、これは。と、あの名高い志岐伊織を絶句させたおれの料理の腕前は、とりあえず調理実習でテロを起こす程度だと言っておこう。
 そのためか、先輩はあまりおれをキッチンには入らせない。
 コーヒー程度は淹れられる。でも、やっぱり味は何故か先輩のほうが美味い。インスタントなのに不思議だ。

 乱雑に置かれているテーブルの上の教科書を片付ける。
 三年の教科書は、来年おれが使うことになるものだ。何の気なしにペラりと捲って……ゆっくり閉じた。
 日本語なのに読めないというか、読みたくないというか……どこか、気分が重くなった。

「なにしてんだよ、おまえ」
「いや……志岐先輩って頭いいんスか?」
「今更な質問だなおまえ。……好きな教科は出来るな。嫌いなやつは最低限だ」
「勉強してるんだ……」
「当たり前。やっぱ大学出たいし、見た目がこんなだからよ、それなりに点数取ってないと教師はうぜぇの」

 そう言いながら、先輩は自分のために用意した紅茶を飲んだ。
 ピーチティーらしい。最近はまっていると目を輝かせてこの間言っていた。
 おれはそんな先輩を見ながら、ジッと考えてしまう。

 先輩の志望大学のことは前に聞いたことがあった。近い場所にあるけど、正直おれの頭じゃ2ランクぐらい上の大学だ。
 学部によってまた違うけど、先輩はその中でも難しい学部を受験する予定だ。
 推薦は授業をサボっているから最初から取る気はなく、実力で合格するんだって笑って言っていた。

 おれは……たぶん、裕人が言っていた大学と同じところに入ると思う。ここから少し離れてて、電車で一時間ぐらいかかる。
 でも、おれの頭で入れるところで、少しだけ気になっている学部がある大学だった。
 来年は高校生と大学生で別れて、再来年は別の学校で離れるのか。そう思った瞬間、目の前に志岐先輩の顔があった。

「……何スか」
「何考えてたかなーって」
「別に、何も」
「へぇ、さびしいのかと思った」
「なんで?」
「オレと離れるから」

 ニヤニヤしながらそんな事を言う先輩に、おれは胡乱な眼差しを向ける。
 いや、さびしいってそんな。それよりも、おれは先輩の受験勉強の邪魔になっていないか? と、そっちが気になる。
 さびしい云々はその時にならなきゃわからない。大体、先輩の家は自転車で近いし、メールも電話も出来る。

 さびしい? のか?



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